懐かしの70年代
私がラジコンを始めたのは、今から30年近く前、1977年ごろのこと。
当時、スーパーカーブームとラジコンブームが重なり、小学生だった私も学校で同じクラスの連中と競い合ってラジコンカーにとりつかれていました。田宮模型から発売されていた「ポルシェ935マルティニ」やら「カウンタックLP500」やら、「タイレル(昔はこう発音していたんですよね)P34」(6輪のF1マシン)が人気でした。私もカウンタックが欲しかったのですが、貧乏な私には高価すぎた玩具だったのと、親からの「買うことを考える前に、自分で創ることを考えろ!」との教育の下、図面から起こし、シャーシはアルミ板の廃材から切り出し、ギヤ等は廃品業者さんから譲ってもらったギヤを組み合わせ、ボディはフルスクラッチで創りました。さすがに無線装置一式は、免許が無いと創れない(創ることはできましたが、法的に発信できません)ためにお年玉を貯めて買ったフタバ電子の2チャンネル送受信機一式を「流用」しました。その他のバッテリーやら何やらのパーツも廃品業者から譲ってもらったものやら無垢の金属材料から自分で削り出したりと、ガラクタから創ったものでしたので、見栄えこそクラスの連中が持っていた「田宮」勢に勝てない部分がありましたが、耐久性や走行速度などは負けたことはありませんでした。
もちろん、井の中の蛙ですけど。。。。
80年代突入
そうこうしているうちに、飽きてきて「電動もなぁ」って横柄にも考え始め(何せ充電がメンドクサイ)、エンジンカーをラジコン技術で何の気なしに探し始めるようになりました。で、欲しくなったのが、今は亡きスピタル産業から出ていた「サファリバギー・カスタムX」です。そのころには中学生になっていて、エンジンは創るノウハウが無いなということで、買ってしまいました。(創ることをに安易に放棄して買ったということで親から後でシコタマ怒られましたけど)買ったのはエンヤの19IIで、当時6000円くらいだったような記憶があります(ウソついてるかも?)。買ったはいいが、乗せるカスタムXなんぞ、高くて買えるわけない。で、すごく安易に「高くつく車は卒業!これからは安い飛行機!」と自分に言い聞かせて劇的に乗り換えて行きます。これが間違いのもとでしたか。。。。実はヘリが欲しくて欲しくてたまらなくなっていたのですが、我慢の子でした。カルト産業のバロンが瞼から離れない時もありました。泣く泣くヘリを諦め、同じ空モノのエンジン飛行機で大空へ!
で、まずは飛ばす技術をマスターしようってことで、加藤無線から出ていた高翼トレーナー機の「ハッピー20」を購入。とりあえず、ラジコン技術を読みあさり、模型飛行機の飛ばし方などを読んで頭で理解。エンジンの慣らし方も書いてある通りにしつこいぐらい行なって万全。しかしながら無線機は先の2チャンネルしか持っていなかったので、エンジンはスロットル固定で飛ばすという、暴挙に出ました。ま、それでも初飛行はとりあえず何とか。そこそこ飛ばせるようになって、さて、自作するかってことで、模型飛行機の設計原理などをいろんな本で読みあさってなんとか19エンジンに合うクラスの飛行機の設計に成功。バルサと航空ベニヤで機体を創り、ハッピーに積んでいた19エンジンを載せ換えて初飛行!綺麗に飛び上がり、安定していました(ように見えました)。自作飛行機の設計は中学生が初めてやるにしては大成功でした。しかし、風の強い日の飛行中、ループの最中で風に煽られ、失速。何故かエンストまで起こして、機体はほぼ垂直下向きに地面に突き刺さりました。
この事件を境に、しばしラジコンは休業となり、悪夢の受験戦争の時代へと突入していくことになります。次にラジコンを手にしたのは、それから10年以上経った1994年のことでした。
後で聞いた話によると、私が大学に入って親元を離れて下宿を始めるやいなや、母親によってラジコン一式が粗大ごみとして処分されていたもよう。。。。。別にいいんですけどね。。。。
バブルもはじけ飛んだ90年代
1994年、すでに大学を卒業していて今の業界で仕事を始めてしばらく経っていました。その頃、仕事と趣味を兼ねた電子回路とコンピュータで遊んでいた私が大阪の日本橋・電気街をいつものように「掘り出しもんあらへんかぁ?」とプラプラしていたら、ニノミヤのホビックスなるお店に何の気なしに入ってみる気になりました。その当時、普段だったら玩具を置いてるお店に興味を引かれることは皆無だったのですが、魔物が居たのです。で、入ってみると、有りました。京商の電動ヘリ、「EPコンセプト」。20年以上前のカルト・バロンへの切ない片思いが再燃してしまい、即刻カード払いで買ってしまいました。買ったはいいが、操縦を教えてくれる人づても無ければ、そもそも飛ばす場所が見当たりません。仕方ないので、分解、整備、組み立てを繰り返す日々。気合を入れて部屋で飛ばそうとするも、8畳一間では壁に激突でロータ大破。しばらくホコリをため込む運命となりました。そこへ、明けて1995年。思い出すのも本当に恐ろしい阪神大震災です。その頃は大阪・吹田に住んでいたので、家屋全壊までは行かずに済みましたが4階のワンルームの我が部屋の中は家具やらガラス製品やらが散乱し、キッツい状態でした。我がEPコンセプトは、飾っていた棚から落ち、壊滅的破損。またまた、ラジコン冬眠の季節が来ました。
来るべき時代、21世紀
仕事がら、ロボットを手作りする機会が多いのですが、ちょっとした部品の買出しが困ります。実は、手作りロボットの部品には、ラジコン用のパーツがとっても具合がいいんですよね。で、仕事場の近所にラジコンに力を入れてる模型屋さんが無いかと探し始めたら、あったんです。ジャンボさん。そこにしばしば通うようになって、また例の虫がウズウズし出しました。仕事で、ヘリコプターの完全自律制御(つまりは、人間が操縦しなくても勝手に安定して飛ぶヘリコプター)を研究したいなぁと思って仕事場のボスに相談したら、即刻却下。
「私にやらせてください!男の熱い想いに上司は胸を打たれた。」by田口トモロヲ プロジェクトXぅ〜。
ってほど、気合の入っていないくせに、ウズウズ虫が収まらない私は、仕事では諦めて個人的趣味で空ものラジコンを楽しむことにしたのです。ジャンボさんでラジコンクラブを紹介してもらい、現在
京都ラジコンパイロットクラブなる集団にお邪魔してます。そこで出会った諸先輩に色々とお世話になって、まがりなりにもヘリを上空で飛ばせる(思い通りにではない)ようになってきた昨今です。そもそもいろいろと創るのは大好きなので、ちまちま機体を作って楽しんでます。過激に飛ばす最近流行りの3Dフライトや、競技会に出るほどきっちりとした飛ばし方は、「運動神経皆無」で、かつ「のらりくらり性格」の私にはついていけないし合わないので、マッタリと飛ばす日々が続いております。。。。ええ感じや。