料理ネタ


2007年4月

4月1日(日)

・白ワイン
・あさりのクラムチャウダー(手作り!)
・冷たいトマトのスパゲティ
・寒ぶりのスパイス焼き

昨晩この日記を書いた後の土曜の深夜、雷鳴が轟き、停電した。あやうく貴重な休日労働分データが飛んでしまったかと青ざめたが、なんとか大丈夫だった。バックアップは大切だと今更ながら思った。結構どきどきしたまま眠りについたのだが、夢のなかでは幸せだったようだ。夫いわく、私はとてもはずんだ大声で、「わ〜、私だけこんなおいしいもの食べていいの!!」とはっきりとした寝言を言ったそうだ。この前の大声系寝言では、毒を盛られても自分だけ助かっているし、なんという性格をしているんだ。今回も全然覚えていない。それにしてもいったい何を食べたんだろう。しかも自分だけ。

それにちなんで「おいしいもの」が食べたくなり、今晩の夕食は、のりのりの気分で作った。あさり(春)をメインに、過ぎ去る冬(ぶり)と来るべき夏(トマト)を表現したつもりだ。あさりのクラムチャウダーは、別冊エッセ『男のための料理の基礎』 pp.218-219を忠実に再現。冷たいトマトのスパゲティは、原田慎次の『「アロマフレスカ」のパスタブック』 p.90を微妙にアレンジ。ぶりにまぶしたスパイスは、熊谷喜八の『スーパー・カレー』 p.96の配合で。

今日も暖かかった。庭の花たちも元気が出てきた。曇天のなか夫に写真に残してもらい、ここにアップした。同じ曇天だと思っても、秋(10月)、冬(1月)、春(4月)とでは、温度感が全然違う。

7年間使ってきた無印のソファを処分した。布地がやぶれ、下の安いウレタンがのぞき、薄汚れているというよりは、単に汚い染みがたくさんついている。息子が赤ん坊のときはこの上で寝かせてきて、思い入れも含め、ある意味いろんなものが「染み込んでいる」のだが、お気に入りの布地に張り替えるだけで、同じものの新品がいくつか買えてしまうほどで、ブツとしてもう限界だと判断した。劣化を早めた張本人である息子のページに、1週間限定で、ソファの思い出を残すことにする。今まで「ぼろかくしシーツ」として別布をかけてきたが、最近彼はそのなかに入り込んで縫いつけの布カバーを引き裂いて遊ぶことまで覚えた。しょうじ破りの感覚で本人はさぞかし楽しいであろう。ここに白いソファの歴史が刻まれている。昔は真っ白できれいだった。。。
4月2日(月)

・ごはん
・大根と長ねぎと豆腐の中華スープ
・もやしとセロリの豚肉炒め
・きんぴらごぼう(今日の弁当の残り。夫の手作り)
・納豆
・きゅうりとなすの漬け物

冷蔵庫の残り物でちゃちゃっと作った。私はこれから仕事だ。要領が悪くて悪かったな。あばよ。

そうだそうだ、忘れないうちに書き留めておかねば。ゆういちろうは昨日初めて自発的にひらがなで「単語」を書いた。それまでは、おそらくは意味もわからず一文字一文字「まね」をしていたが、どうやらことばを書くことに目覚めたようだ。何を書いたかというと、一番最初が「ごはん」。次に「さしみ」。
4月3日(火)

・日本酒
・親子丼
・なめことたまねぎの味噌汁
・豚肉と白菜の重ね煮、ポン酢だれ
・鮎の塩焼き

自宅研修中の夫が作ってくれた。養殖ものだけど鮎がおいてあったので、塩焼きにしよう。初物だし。と、完全に「男の料理」だった。ついでに明日の献立まで指定し、材料まで買っておいてくれた。ともあれ、たいへんおいしゅうございました。ありがとう。

心境の変化というやつがやってきて、トップページにメールアドレスを公開することにしました。です。本サイトに関して、コンタクトをとりたい方がいらっしゃいましたら、どうぞご連絡ください。ほぼ毎日チェックすると思います。

postmaster@kmu-f.jp

いろいろ書きたいことがあるが、だめだ、やたら眠い。おやすみなさい。
4月4日(水)

・白ワイン
・かぼちゃのポタージュスープ
・牡蠣のスパゲティ
・かれいのムニエル
・マッシュルームのサラダ

上の献立を1時間半で作った。飲みながらやっていると、仕事がはかどる。キッチンドランカーになりそうな勢いなので、うまくお酒を取り入れながら、自重するというバランスを見つけないとな。

しつこいようだが、たけのこの話。近くの生協で、京都の山城産が1280円で売られていた。京都(1280円)、熊本(980円)、鹿児島(580円)と、自分のうちから遠くになればなるほど安くなるという不思議。たけのこ山では、利権をめぐって傷害事件でもおきているのではないかと邪推もする。あ〜あ、山から掘ってきて、ただで食べてたはずなのになあ。

ただで食べていたといえば、生まれ故郷の高梁川の天然鮎。叔父や近所のおじさんが鮎取り名人で、いつも分けてもらっていた。昨日の鮎よりも確実においしいのよ。父の話によると、昔は店で食料を買うお金がないので、川で魚を釣って食べていた名残だ。松茸もそう、他に食べるものがないので、食べていたのだ。ぽこぽこ山に生えていたらしい。

「高梁川」、「鮎」でネット検索をかけたら、高校の同級生Rちゃんのおうちがやっている宿、油屋旅館のサイトを見つけた(ここ)。故・岸田今日子さんの常宿でもあったという。サイトのデザインはたぶんRちゃんだ。高校のときはクラス会をそこの大広間でやらせてもらったりした。東京でばったりと会ったりしたこともある。元気かな。で、そのなかの「備中高梁の鮎料理」を読んでも分かるとおり、近年手に入りにくくなっている。誰かをターゲットにして怒るわけにもいかない問題だ。まあ、なにはともかく、都会の子の体験ツアーとはわけが違うのよ。お金をだせば、なんとかなる問題ではないのだ。

高校時代のことを思い出しちゃった。高校は、備中松山藩の藩主の私邸跡に建てられている。ある時代の「殿様」は小堀遠州だったので、高校にある庭は遠州作のものだった。遠州は、利休の「侘び寂び」に対抗して、「きれい寂び」という概念を打ち出した。どんな時代の若者にとっても、学校文化とか伝統とかというものには多かれ少なかれ対抗するものだ。つまり、私たちにとっては、利休に対抗した遠州に対抗しないといけない。

これが難しい。うっかりすると取り込まれている。私は関東にいたころ、京都旅行をするたびに、密教系の青蓮院の庭を感じがいいなあと思ってよく行っていたが、遠州作だった。なんだよ、それじゃ、単なる田舎者による故郷自慢と変わらないじゃないかと愕然としたことがある。私にとって新しい文化とはどんなものなのか、自分の目で見たいなあ。自分が直接作り出せなくても、作り出している人たちの傍にいたいなあ。

■追記:昨日の日記は、ねむねむ状態で書いたので、日本語がめちゃくちゃだ。けど、面白いので、そのまま残しておく。
4月5日(木)

・ごはん
・あさりの味噌汁
・バンバンジー
・春野菜の蒸したもの、ごまだれで

夫が作ってくれた。ごまと味噌(どちらも好物)をグラデーションでバランスよく配合した献立だ。野菜がおいしかった。

さて、本日はいわゆる堪忍袋の緒が切れた事態が発生したので、「料理ネタ」とは全然関係ないが、記録のため残しておく。

今週に入って、なにやら私のいる研究スペースに、直接面識のない人たちが無断で入り込んできて、騒がしくしていた。私はたまたまその場にいなかったのだが、研究補助をしてくれている助手さんいわく、

「目が合ってもなんの挨拶もなく、『私、この机がいい!』『○○さんに言ってなんとかしてもらおう』とか、べらべらしゃべるだけしゃべって、去っていくんですよ。一度や二度じゃないですよ」

と怒っていた。しかも、ちょっと席をはずして自室に帰ってくると(あるいは、出て行こうとすると?)、どこかの秘書さんとおぼしき知らない人が、お茶のみスペースに立っていて、何やら目で周りを物色していて、ものすごくぎょっとしたとも報告があった。

温厚を絵に描いたような何かにつけ辛抱強い彼が珍しくものすごく怒っているので、変だなと思っていたが、本日、その噂の方たちが上で述べた「○○さん」とおぼしき方を連れてまた入ってきて、自分が実際にその場で遭遇してみて、助手さんの怒りが納得できた。まことに失礼極まりない態度だったのだ。「何の御用ですか?」と質問するつもりで近づいて行ったら、そのなかのひとりが、「見ているだけですから」と悪びれもせず笑顔で言ったのだ。初めてのことばがそれかい? あなたの名前は? 誰ですか? 

呆然とした。人の研究スペースに無断で入ってきて、そういうことばを平気で言える人たちなのだ。○○さんも、部下のそのことばをたしなめることはしなかった。悪い夢でも見ているのではないか、社員教育に何か問題があるのではないかと疑った。これは私たちの研究に対する侮辱であると認識している。

つまり、こういうことだ。「自分たちはここでは何をしてもいい」と思っているからこそ言えることばだろう。人の研究に対するレスペクトの気持ちや、逆に自分が人から同じことをされたらどんなに不愉快な気分になるかという想像力に著しく欠けている。ある意味、自分の行動に責任をもっていないからこそできる幼稚な態度だ。「何様のつもり? お子様のつもり」だ。会社が自分を守ってくれてるとでも思ってるのかな。自分の行動に責任を持っている人は、他人のスペースに入っていくときは、「お邪魔します」なり「失礼します」なり一言必ず断りを入れる。それが社会のルールだ。

とりあえず、後から○○さんに直接連絡をいれ、何の用か聞いてみた。その問いにお答えになる前に、丁寧にお詫びのことばをいただいたが、私の問いに対しては「今はまだ言えません」とのことだ。全く納得できない。考えてもみて欲しい。「自分の借家」にずかずかと無断で何度も(4,5回も!)入り込んで来る人たちがいて、何の用かとこちらが聞くと、「見ているだけです」「理由は言えません」とその相手が応えたら、そういう人たちを信頼できますか? セキュリティの問題もあるし、それ相応の対策措置をとらざるをえないだろう。

うちに帰って、夫にそのことを報告してみたら、「あなたは今まで、人格的にも研究的にも社会的にも尊敬できる人たちに囲まれ、かわいがられてきた。恵まれすぎる環境にいただけだよ。ちったぁ社会勉強になっただろう」と鷹揚なことを言われた。たしかに、関東にいたころは指導教官をめぐる厚い人脈に守られぬくぬくと育ってきたし、関東に事務所があるさきがけ研究では領域の先生方から非常にためになるアドヴァイスをいいタイミングでもらえている。関西にいると、自分の身は自分の身で守らないととんでもないことにないということが骨身に染みて分かってきた今日この頃だ。

あ、そうだ、ごめんなさい、訂正します。関西に来てから知り合いになり、主婦の時代から研究会に呼んでくださったり、学会発表の機会を与えてくださったりと、研究面でエンカレッジしてくださる先生方も数名いらっしゃっいます。大変感謝しています。いかん、いかん、関西でたったひとりだと思うのは、傲慢というものだ。いろいろな方に私は助けられている。最近では、幸いなご縁で、雇用問題を専門とする法学者の先生とも既知となり、ていねいなアドヴァイスを「困っている友人」に仲介して知らせる役を担っている。

自分たちだけ恩恵をあずかっているのはやはりだめなので、お世話になっている龍谷大学法学部の脇田滋先生が運営しているサイトを紹介します。雇用問題で困ったことがあれば、相談してみてください。非常に真摯に対応してくださるはずです。
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4月6日(金)
・劇場で打ち上げメニュー

東京出張へ出発。夕方、『スネークさん』の稽古場見学をさせてもらい、あまりの楽しさに時間を忘れた。本番は必ず見ますといって退出。危うく、次の芝居、『チチキトク サクラサク』の開演時間に遅刻しそうになったが、なんとか間に合った。いやもう、予想外の面白さに釘付けになった。演劇の力とはすごいなあ。


4月7日(土)
・外食中華 in 東京駅

東京出張の続き。コメディ『別れの唄』を観た。前日の作品も死を扱った作品だが、これもそう。でも、全然タイプが違う。それぞれ感想はたくさんあるので、また後日にでも。

東京駅で中華を食べた。


4月8日(日)
・豆腐となめこの味噌汁
・握り寿司

伊丹空港の近くの公園で、夫の出身大学の同期の家族の人たちと花見をした。東京や岡山からわざわざそれだけのために駆けつけた家族もいて、にぎやかだった。気持ちのいい人たちと、満開のサクラのもと、おいしいバーベキュー。去年の花見は私がフィールドワークにいって不在なためキャンセルしたのだが、それぞれの家族の子どもたちの成長ぶりには驚かされた。

昼間から5時過ぎくらいまで楽しみ、帰宅してそんなにお腹がすいてなかったので、握り寿司を軽くつまんだ。

追記:花見後、統一地方選挙の投票をした。


4月9日(月)
・白ワイン
・まぐろの漬け丼
・しじみの味噌汁
・茹でオクラ、しょうゆマヨネーズがけ
・キムチ

ひさびさにうちでまともに食事を作った。今週末は出張と花見が続いたから、地に足のついてないふわふわ感がまだ残っている。それだけとっても楽しかったのだ。リフレッシュ!

さて本日仕事では、先週木曜に起こった(怒った)私の間借りしている部屋の使用をめぐる案件について、話し合いの場が設けられ、それへの対応に追われた。話し合いの場には、別組織に所属する先方(のボス)と、私が間借りしている研究組織のボス(部屋の管轄責任者)、副ボス、私と助手の5人が顔を並べた。先方は、自分たちの組織の人数が増え、手狭なので、私たちの間借りしている部屋(結構広い)の3分の2を使わせて欲しいという要求を申し入れてきた。

要求としてはかなり無茶な部類に入ると思うのだが、その割には、先方はなんだか不思議な方で、あらゆる手練手管を使って「人のものを取ったるぜ」という強引な感じもない代わりに、かといって、「どうか使わせてください」というお願いモードでもない。私は自分のすべき主張はすべて出し切ったので、あとは成るようにしかならないと思いつつも、それと同時に、どこかで非常に客観的かつ冷静に事態を眺めている自分もいて、この不思議な感覚はどこから来るんだろうといろいろと考えていた。ヒトの表情とか身振り手振りを観察、分析するのが仕事なので、職業病の一種なのだと思う。

で、分かったことは、これこれです。と書きたいとこだが、いまだ謎。不条理劇を見ているような感覚であったことは確か。そもそもコミュニケーションの「コミュ」の部分が成立していないので、ディスコミュニケーションもありえないという、足場のない感じ。事態がどのように転ぶかまだ結論がはっきりとは出ておらず、こんなに他人事のように言っている場合ではないのだが。。。先方が不思議な方なだけに、何かこちらのあずかり知れない切り札のようなものをもっているかもしれず、予断の許されない状況ではあるのも分かっているのだが。。。不思議なものは不思議なのだ。
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4月11日(水)
・赤ワイン
・昨日の残りの野菜コンソメスープ
・宅配ピザ

おかげさまで昼間は仕事がはかどり、これでやっともうすぐ締め切りの論文の目処が立つかなという希望的観測が見えてきた。ぎりぎりになるのは間違いがないが、「絶対無理だよ」という状況は脱した(かな?)。先々週体調を崩して使い物にならなかった分とか、その他いろいろなことを挽回したくて、私にしては猛スピードで、でも正確さを犠牲にしないよう、作業を続けている。

ところが、夕方、私の借りている部屋の使用に関する爆弾メール「先日はごめんなさい、でもやっぱり使いたいんです。もう一度話し合って」が届いていることに気付き、「全く意味がわからん。もういい加減勘弁してよ」的内容の返事を送り返した。で、夕食をまともに作る気力が失せ、宅配ピザにしたという訳だ。

ところが、そのあとの展開を見ると、どうやら意思疎通不足だったみたいで、たんに先日の「見てるだけ」発言をちゃんと謝りたいだけだったようだ。あいだに入って通訳してくださった方(感謝)によると、先方は、「ごめんなさい。こういう理由からの行動だったのです。一度会ってそれを説明したい」と言いたかったらしい。つまり先方は、倒置法で「謝罪」を語るタイプの方なのだ。むちゃくちゃ誤解を招きやすい。少なくとも私はすっかり誤解した。でもまあ、メールだと互いのニュアンスが伝わらないので、ただでさえカッカしていて、ナーヴァスになっているときには、気をつけないとな。便利だけど難しいメディアだ。

「天才は場所を選ばない」とはよく言ったもので、私がこんなに研究環境(場所)を大事にし、それを守るためには何だってする状態がオンになるのは、凡人研究者だからだ。環境のよしあしが研究のよしあしを決めることを骨身に染みて分かっているのだ。いじわるでやっているとかそんな高等な動機はさらさらなく、基本的には、魚とか昆虫とかのなわばり争いと同類の本能的行動を取っている。

最近のマイブームの曲は、山口百恵の『絶体絶命』。阿木耀子と宇崎竜童コンビの名曲だ。ひとつの場所をめぐっての「奪い合い」の気分とよくシンクロする。

  別れて欲しいの 彼と 
  そんな事は出来ないわ
  愛しているのよ 彼を
  それは私も同じ事

  夕暮れせまるカフェテラス
  その人は白いハンカチを噛む
    (中略)
  そこへ彼 遅れて来た彼 
  二人共 落ち着いてって言ったわ
  三人模様の絶体絶命
  さあさあ さあさあ
  はっきりカタをつけてよ
  はっきりカタをつけてよ
  はっきりカタをつけてよ
  やってられないわ
  その人と私のどちらを選ぶの

そんな唄ばかり歌っているから、喧嘩っ早くなるのかな。自分の勝気な喧嘩っ早さ、権威主義者ぶりに自分でも呆れる。これで私が「男の人って怖い」と発言したら、吉本ギャグそのまんまだろう。とにかく、足元をすくわれないよう、調子に乗らないようにしよう。


4月10日(火)
・白ワイン
・あっさり野菜コンソメスープ
・牡蠣のスパゲティ
・まぐろのレアステーキ、わさびバターじょうゆソースがけ
・スモークサーモン
・マッシュルームとベビーリーフのサラダ

家族で夕飯の買い物にいった。夫がぎりぎり無事論文投稿を済ませて気分がよい&魚介が食べたいとのことで、やたら豪華な食卓になった。買い物のとき明日からは絶対財布の紐を締めるからなと私はぶつぶつ文句を言っていたが、食事のときは、好きなものを好きなだけ食べられるって幸せだなあとちゃっかり思っていた。

最近は経費節減のため昼も(夫の)手作り弁当だし、外食しない分、食費は浮いていると信じている。より正直にいうと、信じようとしている。だが、月々の請求書(生協のカード払い)を見るとこれって節約になっていないのではないかと、現実を突きつけられる。
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4月12日(木)
・ごはん
・皿うどん
・水餃子スープ

夫が作ってくれた。皿うどんにはウスターソース、ちゃんぽんにはテーブルコショウ(決して粗引き黒胡椒ではだめ)。これが長崎県民の常識であることを長崎出身の夫と結婚してみて初めて知った。ついでにやおら、「天草四郎時貞の恨みは今でも長崎に残っている」という名言を夫は吐き捨てるように言い、延々と時貞と12聖人の話、踏み絵を踏まなかったばかりに12歳の子どもまでも殺された話を私たちに説き、頭のなかの自由を侵すことがどれだけ許しがたいことか、食後に父親として家族に言い聞かせてくれた。


4月13日(金)
・白ワイン&赤ワイン
・ごはん
・マッシュルーム、わけぎ入り水餃子スープ
・鯖の塩焼き、たっぷり大根おろし添え
・焼きたらこ
・白菜の漬け物

酒飲みの食卓になってしまった。

職場の私のいる居室の分割の話はどうやらなかったことになりそうだ。150平米の部屋を今までどおりゆったりと使えることになった。自分たちの研究スペース自体はきゅっとこもっている感じなのだが、それ以外がゆったりしているのが、とても気持ちいい。(これからちょっとずつ「身内」の同居者は増えていくだろうが、そっちのほうは楽しみなのだ。陸の孤島のようでさびしかったから。)

先方(別組織)は、秘密裏にいろいろと下調べをし、どこをどう区切るかの算段までしていたみたいだっが、その計画はおじゃんになったことになる。縄張り争いに勝てそうなわけだから喜んでいいはずなのに、なぜか悲しい気分になる。先週はあんなに怒っていたのにとても不思議だ。今はなぜか悲しい。

なぜ私は、部屋が狭くて困っているあの人たちに絶対に入ってきてもらいたくなかったのか。挨拶をせず土足で入り込んできた仕返しとしていじわるしたいとかこちらの面子にかかわるとか、そんな高尚な話では全くなく、純粋に生理的にだめだったからだ。それが悲しいのだ。私は何事にも寛容でありたいと頭では願っているのに、なぜこんなにまで激しく他人を嫌ってしまうのか。できることなら、先方も私のことをいけ好かない人間として同じくらい嫌って欲しい。そうすれば、一方的ではなく、お互いがお互いを隣り合うことのできない人種だと納得できるから。

職場では超強硬派だったが、自宅ではぐじゅぐじゅ人間だった。ほら、市川房枝も浄瑠璃だけは泣いてしまうと言っていたそうではないですか。

先日紹介したスラヴォイ・ジジェクの翻訳者である友人夫婦の飼い犬、アレクシ君のお別れの様子をここで読み、むせび泣きした。でも、アレクシ君はとても幸せな死に方をしたと心から思う。普段と同じようにおいしいものをたらふく食べたあと、眠るようにして亡くなっていたのだから。

夫と会話していて、先週末見た工藤千夏さんの『チチキトク サクラサク』と青年団の日仏合同公演プロジェクトの一貫である『別れの唄』に通低していたものは、中島みゆきの『エレーン』の世界ではなかったかという結論になった。死者がどのような人物だったかということは最後まで分からない。ただあまり周囲に好意的に受け入れられていなかったことは伝わってくる。劇の登場人物たちは、発声されない死者の叫びを聴いている。私たち観客はそれを見ている。ただし、『エレーン』のように直接悲痛に叫ぶのではなく、『チチキトク サクラサク』はロードムービー調で、『別れの唄』は吉本新喜劇調でどちらも軽快に疾走している。

こんなことを言っていると何のことだかよく分からないと思うので、歌詞を引用する。(余計混乱するかな?)

 『エレーン』

 風にとけていったおまえが残していったものといえば
 おそらく誰も着そうにもない
 安い生地のドレスが鞄にひとつと

 みんなたぶん一晩で忘れたいと思うような悪い噂
 どこにもおまえを知っていたと
 口に出せない奴らが流す悪口

 みんなおまえを忘れて忘れようとして幾月流れて
 突然なにも知らぬ子供が
 ひき出しの裏からなにかをみつける 

 それはおまえの生まれた国の金に替えたわずかなあぶく銭
 その時 口を聞かぬおまえの淋しさが
 突然私にも聞こえる
 エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
 エレーン その答を誰もが知っているから 誰も問えない

 流れて来る噂はどれもみんな本当のことかもしれない
 おまえはたちの悪い女で
 死んでいって良かった奴かもしれない

 けれどどんな噂より
 けれどおまえのどんなつくり笑いより、私は
 笑わずにいられない淋しさだけは真実だったと思う

 今夜雨は冷たい
 行く先もなしにおまえがいつまでも
 灯りの暖かに点ったにぎやかな窓を
 ひとつずつ のぞいている

 今夜雨は冷たい
 エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
 エレーン その答を誰もが知っているから 誰も問えない
 エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
 エレーン その答を誰もが知っているから 誰も問えない


『エレーン』はここによると、中島みゆき自身の実体験、すなわち、「彼女が麻布のアパートに住んでいた頃、同じアパートに住む顔見知りのヘレンという名の外人娼婦が、無残な全裸の惨殺死体でごみ箱に放置されていた、というショッキングな事件である。この事件は新聞にわずか数行のニュースとして報道されただけで、結局、犯人も見つからず迷宮入りとなった。」という経験に基づいた作品らしい。

後日、これに絡めて、ちゃんと観劇体験を感想にまとめるつもりだ。
4月14日(土)

・白ワイン
・ミネストローネ
・カルボナーラ
・かれいとじゃがいものオーブン焼き、ローズマリー風味

カルボナーラは、いつもここのなかのレシピを参考にしている。ポイントは塊りのベーコンを使うことと(最近普通のスーパーでもお手ごろ価格で手に入るよ)、火を止めてから粉チーズ入り卵液を混ぜいれて半熟状態に仕上げることかな。このやり方を知ったことで、ベーコンが焦げたり、炒り卵状態になるなどの失敗がなくなった。もちろん粗引き黒胡椒を効かせてね。息子の大好物だ。卵ごはんと通じるものがあるのかもしれない。そう考えてみると、ミネストローネも西洋版けんちん汁だ。

かれいとじゃがいものオーブン焼きは、友だちに習ったレシピだ。白身魚だったら何でもあうよ。耐熱皿に3〜4ミリ程に薄切りしたじゃがいもを敷いて塩こしょうし、その上に白身魚を乗せて塩こしょうし、ローズマリーを散らし、オリーブオイルを回しかけて、180度のオーブンで20分ほど焼くだけ。とっても簡単で、おいしくできる。私は魚よりも、魚のエキスを吸い込んでカリッと揚がった状態になるじゃがいものほうが楽しみだったりする。

昼間は、たっぷりと庭で過ごした。普通に機械的にやると全部で20分ほどかかる鉢植えの水遣りを、ひとつひとつ丁寧に眺めたり、花ガラを摘んだりしながらやっていくと、あっという間に2時間たっていた。その後、家族3人で、うちの前の公園に行った。夕食の献立といい、まるで西洋人みたいな行動をしている。

花壇のきれいな季節になった。去年まで真っ赤なチューリップが断然好みだったのだが、今年は薄桃色や白など優しい色に惹かれている。赤は目に強すぎる。実生活で怒りすぎたので、フェッドアップになっているのかな。
4月15日(日)

・白ワイン
・パン、トマトのブルスケッタ風
・昨日の残りのミネストローネ
・鶏の塩焼き(グリル)
・とうもろこしの網焼き
・マッシュルームとベビーリーフのサラダ

今日もすっかり西洋人の食事だった。朝はトーストとカフェオレとカマンベールチーズ、昼はサンドイッチ、夜はトーストに刻んだトマトを乗せた。別に「おしゃれ」を気取りたいわけではなく、とにかく一日中、パンが欲しかった。夫も大賛成。息子も満足気。なんでだろう? 一日中白いご飯を食べたいイタリア人はいるのだろうか。

宇治市の植物公園に家族で行った。うそのようにきれいとは、この季節のことを言うんだろうな。うっとりお花畑になっていた。見ているだけで満足。花を買う気も起こらない。太陽の光で欲の塊りのような私を殺菌消毒してくれてるような気がした。で、ふと思い立った。これまで草花リストのページに、庭に植えた花を備忘録としてリストアップしていったが、いつか庭に植えたい植物リストも作ろう!! 単純な動機である。今日植物公園に行って、あまりにきれいだったものを中心に載せただけだ。別にその通りの庭を造りたいと思っている訳ではなく、未来への希望を持つために。これで脳みそバラ色になれるだろう。

それにしても、色って不思議だ。好みがころころ変わる。本日の気分:「やたら真っ白な花が気になる今日この頃」。きれいすぎて涙が出そうになるくらい。年のせい? それとも春の修羅にあてられたか? 涙腺がどうかしてる。でも、このときの気持ちを正確に文章にあらわすことができたら、どんなに幸せなことだろう。昔の和歌の達人って、そういうことができていた人なんだろうなあ。
4月16日(月)

・日本酒
・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・ぶりのスパイス焼き
・焼きなす
・茹でたもやしに青じそドレッシング
・納豆

今日はお米をきらして、(夫が)弁当を作れなかったので、昼食は外に出て、ドトールのミラノサンドAセットにした。またもや、パン。反動で夕食は白いご飯がとても恋しくなった。あぶらっけを極力減らして、ご飯をしみじみ楽しみたかった。焼きなすには市販の昆布つゆをかけ、茹でたもやしには青じそドレッシングをどぼどぼとかけた。これでいいのだ。ゆういちろうは、なぜおまえはそんなにもやしが好きなんだと不思議になるくらいもやし好きだ。一袋38円でこんなに満足してくれるんだもの、安上がりで助かる。なんだか書いているうちに、もやし炒めが食べたくなった。明日の献立の第一候補だ。

夕食後、夫はCDプレーヤーをならし、「君のアンニュイな気分はもしかしたらこのことを言うのかい」と言わんばかりの選曲をしてくれた。それは中島みゆきの『友情』。そのなかのフレーズがまさに今の私の気分にぴったりだった。中島みゆきが20代の頃に思っていたことが、25年も過ぎて、30過ぎた私の心に響くのだから、普遍的というか何も進歩していないというか。。。

 この世見据えて笑うほど
 冷たい悟りもまだ持てず
 この世望んで 走るほど
 心の荷物は軽くない
 救われない魂は
 傷ついた自分のことじゃなく
 救われない魂は
 傷つけ返そうとしている自分だ

 一番欲しいものは何ンですか
 命賭けても守るものは何ンですか
 時代という名の諦めが
 心という名の橋を呑み込んでゆくよ
 道の彼方にみかけるものは
 すべて獲物か 泥棒ですか

今日でもうこの問題にぐじゅぐじゅ言うのはやめるが、やはり最近起こった部屋よこせ騒動は私の心の平安をかきむしった。驚いたのは、最初あんなに悪意なく横柄に人の居場所に入ってきたくせに、私の身分を明かして、抗議したところ、急に態度が変わって謝罪の申し出をしてきたことだ。私はその手の権威主義が大嫌いなのだ。先方が謝れば謝るほど腹立たしくなってしまう。じゃあ、最初のあの態度は何だったの? あなたたち、今までそれで何人の人を泣かせてきたの? 

私の身分というのがやっかいで、国内の個人研究では最大規模の予算がつく「さきがけ研究員(専任)」というもので、3年間の研究期間のあいだ自分の給料のほかに3000〜4000万円の予算が与えられ、天国のような研究生活が保障されている。私の研究費を出しているところと今いる場所(研究実施場所)との間では「個人研究員の研究環境向上に努めること」という共同研究契約を交わしており、場所代を払って間借りしている形態になっている。

先方は、おそらくはそうとも知らず、私のことを派遣のアルバイトか、小額の科研費を扱った1年契約の若手研究員くらいにしか思っていなかったのであろう。楽勝だと思っていたに違いない。確率の面でいったら、当たり前である。さきがけ研究員は毎年60名ずつくらいしか新規採用されないのだ。そのなかでさらに女の占める割合はぐんと低い。しかも、私の見た目は童顔で、まったく威厳というものがない。

場所よこせ騒動が治まった後に、ハリウッド映画みたいに「いえーい、俺もビッグになったものだぜ、ざまーみろ」とはならず、私を襲ってきたのは、ただただこの世の仕組みに対する悲しさというか情けなさというか、自分の汚さというか、そんな負の感情だった。私はあれほど自分が嫌っている権威主義者となって、先方に対抗したからだ。それが一番効果的であると分かっていたから。簡単に要約すれば、研究費を与える立場にある国の組織がバックについている私(ただし期間限定)は、「これ以上あなたたちが非礼な行動をとると、私の研究の十分妨げになっていると契約違反であなたたちを訴えますよ、そうなったら、どうなるかお分かりでしょうね。」と脅したのだ。

同じ穴のムジナで、自分でも最低の行動だと思っている。だから、せめて、今私の要求がほとんどすべて通っているのは、決して「この私」が偉いからというわけではないことを毎日肝に命じておかないといけない。決して勘違いするな。でないと、芥川の杜子春のように、3年後何もかも失っていることになるぞ。

さあ、これでもうぐじゅぐじゅ言うのは終わり。自分を責めるのも終わり。論文に集中しよう。そうだったそうだった、20日締め切りの2つの論文のうち1つが、30日まで締め切り延長されたのだ。こんなにうれしいことがあろうか。
4月17日(火)

・日本酒、焼酎
・ごはん
・豚汁
・はまちの刺身
・もやし炒め
・きゅうりの漬け物

今晩は、暖かい場所で食事をとれただけで感謝している。

今晩は、ぼんやりとした不安に苛まれないよう努力する。

今晩は、私の大切な人の無事をとにかく祈りながら眠りにつこう。

卑怯者たちめ
4月18日(水)

・白ワイン
・ごはん
・昨日の残りの豚汁
・かれいとじゃがいものオーブン焼き、ローズマリー風味、
・ほうれん草のバター炒め
・焼きとうもろこし
・納豆
・キムチ

日韓伊合作の献立。意外とおいしかったよ。みんなでなかよくしようぜ。

職場の女子トイレに私の好きなシロヤマブキがさりげなく活けてあった。いつも何かしら野の花風の花が活けてある。いったい誰がそんな粋なはからいをしているんだろうといつも思う。

会社の自他ともに認めるCEO(私も決して面白いだろというつもりはありませんが、一応「ちょいえろおやじ」の略です)とランチをともにした。昨晩の長崎市長に対する公開処刑的殺人事件のことを話し込んだ。CEOが常々言うように、私たちは「羊の皮を被った狼のフリをした羊」的生き方をしていくしかないのではないかと思う。「えっ、あなたも実は平和主義者だったの?」と人から驚かれるような生き方をしたいと思う。つまりせこい平和行動の積み重ね、たとえば、マイルやクレジットカードのポイントがたまったら寄付に回すとか、せこ〜い行為を人知れずやっていくのだ。

このせこさがかっこいいのだと高らかに声を潜めて主張したい。つまり、自分も自由であり、なおかつそれが他人の自由を妨げないという漱石が開拓した個人主義的生き方(道徳的生き方)をしていくしかないのではないか。逃げだと言われ様とも、甘いと言われようとも、そういう方法がもっとも犠牲が最小限に留まるのではないか。

午後は、いつも何かしらの本を抱えて深いためいきをつきながら私どもの研究室にたまにやってくる「なやみん」さんが、ふらりとやってきた。普段元気なときは、なやみ癖が乗り移ってしまうのだが、今日は逆に元気をもらった。私の深刻度が深かったようで、ちょうどよいバランスに戻ったのだ。帰りのバスは、「なやみん」さんのお友だち「すさみん」さんと偶然一緒になった。「すさみん」さんは「仕事とセックスは家に持ち帰らない」とおっしゃる方で、これから飲みに行くといっていた。

四捨五入すれば、それぞれ40、30、50歳になる私のおともだちだ。性別や年齢の壁を越えて、対等に付き合えるのが研究者コミュニティのよいところだ。その研究コミュニティが壊れたらおしまいだと思っている。とくに理系の研究者たちがやばいことになってきたら、もう最終段階だと思うので、今のところはまだ大丈夫だと思う。思うようにする。しかない。
4月19日(木)

・赤ワイン
・ひき肉入りお母さん風カレーライス
・ゆで卵
・マッシュルームとベビーリーフサラダ

手抜きのつもりが時間だけはかかってしまい、食べ始めが9時過ぎになってしまった。すまぬのう。明日への投資(?)ということで許してね、明日締め切りの原稿に向けて今日から万全の体勢を整えているのだ。

せっかく案内をいただいたのに、本日開かれた岡崎乾次郎さんとトリシャ・ブラウンのロボット製作イベントに行けなかった。あと宮沢章夫さんのリーディング公演にも行きたかったが断念。それほど私にとってライフプランに関わる重要な論文を書いているのだ。最後まであきらめずに今時点で書けることを書ききろう。お風呂で最後の論理展開(の収束点)を思いついた。忘れないうちにメモをとっておいた。今は書かない。一日の疲れが出ているから、書いてもぼやける。ゆっくり寝て、充電してから一気に書くのだ。

最近、酒量が増えている。身の回りの現実問題以外にも、テレビの向こうでいやな出来事ばかり見ているせいだ。今朝は夫から「くさい」と言われた。思い当たる節大有り。昨晩寝る前にたっぷりとお気に入りのバラの香水(ブルガリの最新作!)を振りかけたからだ。薬をたっぷり飲んで寝るよりよっぽどいいだろうと無頼な気持ちになっていたのだった。いい夢を見たいという個人の欲望は奨励されるべきだが、ものには限度があるということだろう。他人に迷惑をかけてはならぬ。すまぬ。本日はお互いの時間があって、仕事場まで車で送ってもらえたが、車のなかでもなぜか「頼むから音痴は唄うな」と鼻歌を唄うことさえ禁止された。同じところでメロディを間違えてばかりいたので、いらいらしたのだろう。なぜ、あの部分だけ空で唄えないのか自分でも謎だ。

女に生まれてよかったと思うことは、バラとかスズランとか花の香りを身にまとっても、社会的に許容されやすいということだ。そう毎日香りのよい生花に接することはできないから、花の香りのする香水はなんだかんだいってもお手軽で、精神衛生上とってもよいよ。平安時代とかはどうか分からないが、現代社会において男はなかなかそうはいかないでしょ? 自浄努力の幅が狭まれているという点では、かわいそうに思う。だから今こそお香の文化を、と言いたいとこだが、敷居が高すぎるしな。本物の香木はグラム1万円オーダーの値がついていて、金(きん)よりもお高いそうだ。無理。私たちにはせいぜいアロマテラピーかな。

今晩は、昨年の北海道フィールドワークの際に手に入れた、富良野の富田ファームオリジナル「フロムフロム」を、家族の抗議もあることだからほんの少量だけ振りかけて寝るんだ。マイルドなラベンダーの香りのなかでうっとり眠りにつくことができたら言うことなし。おやすみなさーい。
4月22日(日)

・ビール
・とんかつ弁当

ひさびさの更新。東京日帰り出張。夕食は、帰りの新幹線のなかで。東京ではうれしいことがあったが(やったー!!)、それは後日たっぷりとまとめて。

実はいまは23日(月)の朝4時なのだ。午前様に帰宅後、新幹線のなかで推敲した原稿を手直しして、図の調整とかは夫にも手伝ってもらって、ようやく原稿提出完了。担当者の方に無理をいって金曜締め切りを今日まで延ばしてもらったのだった。とにかく感謝している。助かりました。
4月23日(月)
・ごはん
・あさりの味噌汁
・さばの塩焼き、大根おろし
・じゃがいもとたまねぎのサラダ
・焼きとうもろこし
・キムチ

前日ほとんど寝ていないので、文字通りふらふらになりながら夕食を作った。火事を起こさずにすんでよかった。寝不足はよくない。

前日の日記にも書いたが、「きちんとしたものを出したいので、どうか待ってください」とお願いして締め切りを延ばしてもらっていた原稿を無事提出したつもりだったのだが、編集委員の方から、執筆要領にしたがってくださいという修正要求がかえってきた。「あんなに何度も読んで厳密に従ったはずのになぜ?」と思いながら、あらためて読んでみると全然違っていた。私は重要な段落を2つも読み飛ばしていたのだ。例えば、私の無意識は、「英語のアブストラクト」を書かないといけないということを否認したみたいだ。この英語コンプレックスはどこから来るんだろう。結局のところは、なんとか修正して、受理してもらえたのでよかった。

本日は、友人の出産予定日。いまごろどうしているんだろう。


4月24日(火)
・ごはん
・ねぎとしいたけの中華風コーンスープ
・回鍋肉
・ぎょうざ
・白菜の漬け物

中華の日。ほとんど私が作ったが、冷凍ぎょうざは夫に焼いてもらった。ぎょうざはゆういちろうの大好物で、油断すると全部食べられてしまうので、どこか競争のようにして先にぎょうざを食べようとする自分もいて、「もう人の親なんだから」と頭の中でひとりつっこみをいれながらの食卓だった。

ゴールデンウィークを利用して、29日から長崎に行くことを思い出し、だったら30日締め切りの原稿と、1日締め切りの査読を早めに終わらせないとだめじゃないかと青くなった。原稿のほうは短いやつだったので、くるくるぴゅ〜っと一気に書き上げ(くるくるぱ〜ではない)、申し込みサイトにアップロードした。そのあと、しばらくほげっとした。
2日分まとめて更新!

4月25日(水)
・ごはん
・なめこと豆腐の味噌汁
・サーモンのお造り(ほんの少々)
・まぐろのレアステーキ、わさびバターじょうゆソース
・焼きとうもろこし
・納豆

最近焼きとうもろこしの頻度がやたら高いのも、ゆういちろうが生協の野菜コーナーで茹でコーンの真空パック(行楽シーズンということで、この時期新しく入ってきた新商品だと思われる)を見つけて以来、とにかくそれを買うよう毎回しつこく要求するからだ。なぜそんなにとうもろこしを欲しがるかというと、保育園でひとりひとりの園児に「自分のマーク」が与えられているのだが(字が読めないので、絵で自分の持ち場をアイデンティファイさせるのが目的)、ゆういちろうはとうもろこしのマークを与えられているから、愛着ひとしおなのだ。買い物カゴには入れず、大事そうに自分の手で抱えて、レジのお姉さんに手渡しするのが、最近の流行(ゆういちろうのマイブーム)だ。

とうもろこしを大事そうに抱えるのは、『となりのトトロ』の影響も大きい。主人公のひとりめいちゃんは入院しているお母さんに渡すためのとうもろこしを抱えたまま迷子になってしまうのだった。とうもろこしの代わりに、牛乳パックを大事そうに抱えて店のなかをスタスタと走ることもある。これは別役実さんが脚本を書いたアニメーション『銀河鉄道の夜』の影響が大きい。これも病気のお母さんに飲ませるために猫のジョバンニが牛乳をとりにいくシーンのまねだ。要は、DVDの見すぎだということだ。


4月26日(木)
・赤ワイン
・ごはん
・かぼちゃのポタージュスープ
・ビーフステーキ、しょうゆトマトソース
・ルコラとベビーリーフとマッシュルームのサラダ

有給をとって、プライベートにおける「超」重要イベントに臨んだ。出会えただけで、目の前で実際にお話できただけで光栄な方々と、長時間打ち合わせをした。陽のパワーをたくさんいただく。喜びをいただく。どういうことがこれから起こっていくのか、追々この日記にも書いていこう。今は、興奮しすぎて書けないのだ。

興奮をひきずったまま、夫婦でべらべらしゃべりながら、ごちそう系夕食を作った。ワインがあっという間に空いてしまった。

友人が無事男の子を産んだ。出産おつかれさまでした。とにかくめでたい。
4月27日(金)

・赤ワイン
・宅配ピザ

怠惰な食生活だなあ。でも、GW長崎行きの前に、やることがたくさんあるから、しょうがないのだ。

人は楽しいときだけ笑うのではないということを実感した。さびしいときも笑うしかないのだ。しかしどんなことがあっても相手の人間性を信頼するしかない。どうかいい方向に物事が動きますように。

一方で、いいニュースも具体化しつつある。自分で頼んでおいて本当にOKがいただけると、自分で頼んだくせに「本当にいいの?」と正直驚いてしまう。だっていわゆる「相場」(←嫌なことばだが)からいって一桁違う小額の謝礼しか出せないのよ。昨日の件もそうだが、経済原理で動いていない人々が確実に世の中には存在している。それだけでどれだけ私が勇気付けられているか。しかもご本人たちはたぶんそのことに気付いていない。無意識に人を喜ばせている。なんとすばらしいことか。
4月28日(土)

・赤ワイン→日本酒
・ごはん
・野菜スープ
・焼き餃子
・青梗菜の塩炒め

岡山の実家の祖母が亡くなった。長崎行きの予定を急遽変更して、岡山に行くことになった。もろもろのキャンセルと、岡山入りの準備に忙しい。電話から推察するに、実家は今てんやわんやの状況にある。天寿を全うしたと思う。私が人生の重要な決断をするとき、必ず祖母は指針となることばを残してくれた。感謝している。ありがとう。
4月29日(日)
・市販の手巻き寿司&稲荷ずし
・適当な澄まし汁(?)

岡山到着。祖母の通夜の日。喪主である祖父が、「泣けるばぁするけぇ、わしは出ん」と通夜に出ることを拒否したので、叔父(三男)と私たち家族で実家の祖父のそばにいた。祖母との出会いなど、たくさんの昔話(秘密の話を含む)をみんなで聴いた。波乱万丈である。ほとんどが笑い話だった。叔父から「今かわいい言うても仕方ないがな、若いときに言っとかないと」とつっこまれていた。

叔父は一年で一番大事なメーデーを休むことになったのだが、母親の葬儀に出るためなら許されるだろうと話す。祖父は祖父で「そりゃそうだ。母親が一番大事だ。で、そっちは今どうだ」と全然関係のない政治の話になる。花の色や着物の向きなど、葬儀屋さんの言うこととお坊さんの言うことが全然違っていて、そのせいで周りの親戚の者たちもみな善意で自分たちの主義主張をして混乱した話や、祖父が、自分たちが頼んで来てもらっているお坊さんに「地球は丸いので、A地点にいる人にとって西方でも、B地点から見たら真東にあたる場合もある。ゆえに、西方浄土はない」と言って、場の空気を混ぜ返してしまった話なども聴いた。この前みた平田オリザさんの『別れの唄』を自分たちで目の前で作っているような気分になった。

家での夕飯は私にまかされたが、あるもので済ませた。暖かいものが不足していたので、天ぷらの残りをだし汁に放り込んで、適当な澄まし汁を作った。


4月30日(月)
・ドライブインでたこ焼きなど
・帰宅後、少しいい赤ワイン

前日、祖父が葬儀にまで出たくない、「明日の朝になってからでないと(注:出るか出ないか)分からない」と言い出したときは、どうなるかと思ったが、無事出ることとなった。ただ、葬儀場に着いて、祖母の写真に写真屋さんが勝手に(たぶん善意で)手を加えたことが分かり、猛烈に反発し、なだめるのが大変だった。祖父にとってみれば、もう何もかもが気に入らなかったのだろう。火葬場にも行かなかったので、昨日と同じく叔父がそばについていた。実家の両親はへとへとだったと思う。

自宅に戻ってからも、写真が気に入らないことを強く主張するので、私たちのうちにある祖母の写真を送ることにした。私たち夫婦も、奈良のうちにある祖母の写真のほうが格段に好きだ。明日速達で送ろう。気に入ってくれるといいのだが。

これから少しいい赤ワインを空ける予定だ。今頃になってしんみりしてしまう。