2007年6月
6月1日(金)
・白ワイン
・スパゲティペスカトーラ
・たまねぎスープ
・なすとトマトのチーズ焼き
夫が作ってくれた。私はなすを焼くのを手伝ったくらいである。そういう日は疲れ度合いが違い、日記を書くという心の余裕が出る。感謝である。
職場で同僚とお昼ご飯を食べていたとき、唐突にある人が自分は「不惑」の歳になったと述べた。彼はなんと二人の占い師から40までに死んでしまうと言われていたという。そんな背景があるなら、無事誕生日を迎えられたというのはそりゃあ目出度い話だ。私ならそんな怖いことを言われたら厄除けの壺とかに即行で走りそうだもん。心からおめでとうございます。むちゃくちゃ感慨深いではないか。生きてるってすばらしい!!
それにしても今頃になって研究所には非凡で不思議な人たちが集まっているなあと思う今日このごろ。全力疾走した5月。
6月2日(土)
・日本酒
・ごはん
・大根と豆腐の味噌汁
・かれいの煮付け
・かぼちゃの煮付け
・もずく
・ちりめんじゃこ入り大根おろし
・きゅうりの漬け物
昨日がオイリーだった反動で、今日はあっさり和食にした。夫婦で協力して作った。
午前中は保育園の役員会に参加した。午後からは、相国寺で開催されている若冲展を見に、京都御所近くまで家族3人足を伸ばしたのだが、3時間待ちという札が出ていて即あきらめた。130年ぶりの一般開放で次いつ見られるか分からないのだが、3時間は長い。子連れじゃなくてもあきらめるよ、普通。ぷ〜。帰りの電車では、なんでそんなにもったいぶるかね、大衆にも美術品を開放するのが社会に対する責務ってもんじゃないかなど、ぶつぶつ夫婦で文句をいいつつも、縁がなかったのね、という感じであっさりその場を後にしている自分たちもいた。
今日が土曜日でよかった。やな感じのまま月曜を迎えるのはやだもん。
6月3日(日)
・赤ワイン
・トマトの冷製スパゲティ
・チキンのトマト煮込み
・マッシュルームとルコラとサラダ菜のサラダ
夫の要望でトマトづくしの献立になった。トマトペーストやサンドライトマトも入れて煮込んだりして、自分でいうのもなんだが、おいしくできたぜ。いつのまにか夏だ。
ひさびさに何も予定が入っていない休日だった。朝10時半にゆっくり起きて、家の掃除、洗濯、庭いじり、料理と、とにかく「家庭」に関わることを中心に過ごした。なぜかというとね、来週から7月中旬まで土日がびっしり埋まっていて向こう一ヶ月間まともな「休日」がとれないから、今日は仕事以外のことで頭を充たしたかったのです。今はとてもすっきりした気分になっている。明日からまたがんばろうっと!
6月4日(月)
・日本酒(ほんの少々)
・ごはん
・あさりの味噌汁
・さばの味噌煮
・じゃがいもとわけぎの蒸し煮、酢味噌がけ
・ほうれん草のおひたし
昨日はあんなに希望に燃えていたのに、反動なのか、ちょっとしたブルーマンデイになってしまった。それも夫婦揃って誰のせいでもないプチ・ブルー。うちに帰ってからもなにかとお互いに機嫌が悪かった。勝手にしやがれって感じだった。しかし、「みそってたい」という夫のしょうもないことばから気分的には復活した。夫の希望どおり味噌づくしの献立にした。味噌汁にはいつも使っている信州みそを薄めに、さばの味噌煮には八丁みそを濃い目に、野菜には白みそを使った市販の酢味噌チューブを使用して、変化をつけた。
6月5日(火)
・日本酒(ほんの少々)
・ごはん
・大根としいたけの中華風スープ
・麻婆豆腐
・青梗菜の塩炒め
夫婦で協力して作った。まちがえて牛ひき肉を使ったら、いつもと全然違う味になった。麻婆豆腐は豚ひき肉のほうが合う。また、青梗菜の塩炒めは珍しく私が中華なべを振ったのだが、夫が作るほうが味がしまっておいしい。なんとなくちぐはぐとした食事になった。
ああ、あとテレビのニュースで政治家の発言とか聞いていると、あちゃ〜〜〜〜〜というくらいびっくりするくらい腑抜けたものがいつかあって、正直びっくりしている。年金問題をめぐってお互いに責任をなすりつけあって、そりゃ子どもの喧嘩レベルだろう。情けないよ。大丈夫か。私ってあの人たちよりもしかして大人?!
閑話休題(寝れなくなるので)。
元気かなあと思っていたAさんからメールの返信があった。多くの人が一度は経験する、人の一生のなかで大変な時期を過ごしているのだと思うと(私自身は未体験なので想像するしかないのだが)、しかもそのなかで仕事や家事の手を休めず並行してやっていることを思うと、私はAさんからのメッセージにどう返信すればいいのか分からない。だから返事は出さないことにする。でもこれは気にかけていないことを意味するのではない。
まどろっこしい表現で申し訳ないが、Aさんはたまにこの日記を読んでくれているそうなので、私がこういうふうに思っていることがいつか伝わってくれればいいなあと思いながら書いている。妙なコミュニケーションのとり方だが、そんな感じでこの公開日記を利用するのも悪くないと思っている。
6月6日(水)
・ごはん
・たまねぎとじゃがいもの味噌汁
・サーモンのレアステーキ、わさびバターじょうゆソースかけ
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・白菜の漬け物
まぐろが手に入らなかったので、サーモンでいつものレアステーキを作ってみた。そもそもソースが濃いので、ソースで食べるタイプの料理で、まぐろとサーモンのどちらでもいける感じ。おいしかった。
去年フィールドワークでお世話になった青年団の『ソウル市民昭和望郷編』で出された指示の評定作業がひとまず終わった。あなた、平田オリザさんはこの1作品を作るのに4000個近くも指示を出しているんですよ。いい加減出しすぎなんじゃないかと思うですよ。最初の1000個あたりが一番苦しかったな。終わりが見えない感じで。評定終了記念日にすべき今日も、例によって例のごとく、肩や背中がパンパンに凝りましたがな。心地よい達成感とは程遠く、終わった直後はただひたすらぐた〜と放心していました。まあ他の多くの優れた研究と同じように、私のこの研究も十分ヘンタイ的なのではないかと、今日ぐらいは自負させてくださいな。
3日分まとめて更新!
6月7日(木)
・駅弁(しゃけとイクラ弁当)
今住んでいるところが気に入ったので、借家近くに土地を見つけ、そこに自分たちの家を建てることにした。設計は、奥村設計所の奥村昭雄・まことご夫妻にお願いした。1929年生まれの奥村先生はOMソーラーの創始者で、なにやら面白そうな家を作ってくださる予感がしたからだ。奥さんのまことさんも、岡本敏子さんを彷彿とさせる個性的な方で、私はとても気が合うというか何でも好きなことをしゃべっても大丈夫な感じがする頼もしい方なのである。歳の差を全く感じることなく、ひとつのことに対して対等にああでもないこうでもないと言えるのは滅多にない体験なので、うれしい限りなのだ。
この日は2回目の打ち合わせのため、東京にある事務所に夫婦でお邪魔した。少し前に、第1次の模型や図面は届いていたが、大まかなアイデアは大賛成だったのだが、こまごまといろいろと直して欲しいところがあり、第2次案を提示してくれることになっていた。で、その第2次案を見た瞬間、不思議なことにぱっと家のなかのイメージが沸いて、説明を聞く前から気に入ってしまった。説明を聞いたらますます気に入った。実は奥村先生たちも「これは!」という図面が引けたと思っていたとのこと。
この日は、庭にある大きな木や奥村先生自作の生ハム製造機を見せてもらったり、まことさん手作りのミカンジュースや赤い木の実の砂糖漬けをいただいた(いずれも庭になったもの)。こう書くと、いわゆる普通の「自然派」っぽく思われると思うが、少しお二人はニュアンスが違っている。例えば私たちにも宿題が出た。ロボットを家のなかに持ち込みたいらしく、そのアイデアを出せということだ。これは難問で、単にロボット単体(例えばお掃除ロボットなど)を置いてどうこうしろというのではなく、家全体のシステムに関するもので、かつ、いい意味でちょびっとでたらめな感じのロボットを創造したいらしい。
OMソーラーのOMは奥村のなかのOとMをとったそうだし、家具部門の代表作ハンペンチェアははんぺんが膨らんでくる感じに見えるから、垂涎もののオールドパッチチェアは、老人のパッチに似ているからという理由で付けられた名前だそうだ。このことから推測するに、われわれの仰せつかった使命は、優れた機能を発揮するくせ限りなく駄洒落に近いしゃれたロボットを家のなかに投入することだ。わくわくする課題ではないか。
私たちの前に設計した家は夫婦で数学者をやっている家庭だったとのこと。そのときは非常に複雑な地形の狭小住宅で、どれだけ広く空間取れるかが問題になったらしい。きっと数学のアイデアが必要とされたはず。私たちも考えねば。
夕飯は、心地よい興奮と疲れに襲われながら、新幹線のなかで駅弁を食べた。
6月8日(金)
・駅弁(うなぎの寝床弁当)
この日も駅弁。今度は親子3人で岡山行きの新幹線のなかで食べた。9日に開かれる祖母の四九日の法要に間に合わせるべく、1日前に実家に着いておこうという目論見だった。7時に奈良の家を出て、10時半に実家に着いた。これは遠いのか近いのか分からない距離だ。
6月9日(土)
・鴨南蛮そば
四九日のすべての行程に参加して、実家を出た。納骨など肝心なときには驚くほど晴れ渡り、あとは雷雨というドラマチックな展開だった。きっと祖母のおこないがよかったからだと思う。で、なぜか私たちが移動しようとするとき(昨晩もそうだし今日の帰りしなもそう)に限って土砂降りになるのであった。夕食は京都駅の新幹線乗り場コンコースにある蕎麦屋でとった。鴨南蛮のおつゆがおいしかった。
親戚とは不思議なものだ。葬儀のときに会っているので、四九日の今日はおひさしぶりです〜という感覚もなく、普通に世間話をする感じだった。それにしても、「駅」に縁深い3日間だったなあ。
6月10日(日)
・白ワイン
・トマトの冷製スパゲティ
・鯛のアクアパッツァ
・ルコラとプチトマトのサラダ
やはりイタリア料理というものは、母親の味といいましょうか、家庭で食するものだと思われます。
と、エッセイスト気取りの文章を書いてしまいたくなるほど、うちのほうがくつろいだ気分で好みの味にまとめることができて、私は好きだなあ。主婦の非日常体験であるレストランでの食事だと、期待だけが膨らみに膨らんで、「おいしくないと許さないよ。元とったる。驚きも味あわせてくれないとやだ」などなど、わがままな気分が勝ってしまいがちなのだ。でもこれはとてもよくない傾向だと思っている。おだやかに会話を楽しむために外食するのが本来の目的であると思うからだ。
アクアパッツァなんざ、子どもの頃など絶対に食卓にのぼることはなかった。今も私の母はその存在すら知らないと思う。私が大学に行くために田舎から東京に出てきて初めてそれをレストランで食べたときは、世の中にこんなおいしい魚料理があるのかとびっくりした。結婚して、家庭でも簡単に作れるものだということを知って、初めのうちは大変感謝しながら食べていた。
もちろん今もありがたいなあと思いながら、作っているし、食べている。が、最初の頃のテンションはない。アフリカの少数民族の言語を専門とする知り合いの研究者は、よくアフリカにフィールドワークにいくので、食べ物に関しては普段から絶対に口が奢ることのないように気をつけているという。そうでないと、つらくてすぐ日本に帰りたくなるらしい。
つまり私が何を心配しているかというと、息子のゆういちろうがどんな風に育つかということだ。何でも手に入ると思う傲慢な子にならないかと心配しているのだ。親の私たちですら最近食に対して我慢というものを知らないので、当然息子のなかで「ごちそう」という概念がなくなるのではないかと思うのだ。1年に1度しか食べられないごちそうを待ち遠しく思うのは、健全で幸せな姿のように思える。それを私たちは子どもに体験させてやりたいと思うのだが、いざ私たちにとって「ごちそう」とは何かを考えると、すぐに思いつくものがない。
一方で、そんな贅沢な悩みを持ってられるのもここしばらくの間だけの異常事態で、いつか私たちも飢えを経験することになるのではないかという意見も頭の片隅にあって、今のうちにいろいろなものを食べておこうと思っていたりもする。だから最近やたら太るのだ!
2日分まとめて更新!
6月11日(月)
・ポークカレーライス
・焼きとうもろこし
・ゆで卵
魚の煮付けとカレーとのあいだでしばし悩んだが、結局カレーにした。いつもとは違う粉タイプの市販ルーを利用した。好みの味だったので、しばらくはここのを使おう。確か、横浜なんとか亭かなんかだったと思う。銀色のチャック付きの袋に入っているやつである。
6月12日(火)
・昨日の続きのカレーライス
・じゃがいもとたまねぎの温サラダ
・乱切りトマト
・じゃこ乗せ冷奴
カレーは昨日の残りがあるので、おかずを3種類つけた。ゆういちろうも新しく試してみたカレールーが気に入ったみたいで、いつもよりおお喰らいのお代わりをした。最近、彼は台所仕事に目覚め、「お手伝いする」と言っては私の邪魔をするのだ。これでだいたい自分の心の余裕度が計れる。昨日はかなりイライラしたが、今日はほぼにこにこと対処できた。原稿ひとつを無事投稿できたからかな。
6月13日(水)
・ごはん
・なめこと豆腐の味噌汁
・たちうおの塩焼き
・茹でもやし、青じそドレッシング和え
・キムチ
産休中の友人から赤ちゃんの写真添付のメールが届いた。ぷくぷくしてとてもかわいかった。
仕事場では2時から5時くらいまでの細かい記憶が全くない。それだけ原稿に集中していたことになる。ひさびさの感覚。「情熱と受苦」と書いてパッションと読ませましょうか、ある種の快感でもあった。成果さえ問わなければだけど。その後も記憶がとびとびで、おっといけない、保育園に迎えにいく時間だと思って、帰路についた。最寄り駅からダッシュして保育園に着いて(汗だく)、帰り道に夕飯の材料を買って、帰宅後、一気にどーっと疲れた。しばらく放心していた。
で、全く自慢することではないが、今日はまな板を一度も使わず、包丁も豆腐を切ったくらいの手抜きの献立にした。ところがそういうときに限ってゆういちろうの反応がすこぶるよいのである。彼は和食が好きなのだな。濃い目に魚のだしの効いた赤だしの味噌汁がとりわけ好きであるようだ。
昨日の深夜から今朝にかけて、なんと夫が食あたりを起こして、いろいろと大変だった。心当たりは昨晩のカレーかちりめんじゃこ。昨日は日中とても暑かった。カレーは前の晩ふたをして思いっきり加熱殺菌したつもりになって、不覚にも鍋ごと外に出していた。で、夫は食べるとき「ちょっと、くんと来る」と何度も言及しつつ、たくさん食べた。ちりめんじゃこは冷蔵庫に入れていたが、賞味期限が1日過ぎていた(これくらい大丈夫だと思うのだが、念のため候補に挙げておく)。
私とゆういちろうが全然なんともないので、夫が体力が落ちて胃腸が弱っていたか、局所的に腐敗が進んでいてたまたまその部分を夫が食べたか、私とゆういちろうが野生児か、その3つの可能性が高い。ともあれ今はすっかりよくなっているので、ごくごく軽度の食あたりで済んでよかった。
これからの季節、残りものは必ず冷蔵庫に入れるようにし、頻繁にまな板殺菌(天日干ししたり使う前に熱湯をかけたり)して、食中毒防止に努めなければね。それが主婦の務めってもんよ。
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6月14日(木)
・パン
・あさりとトマトのスパゲティ
・生ハム、春菊添え
・焼きとうもろこし
・茹でオクラのしょうゆマヨネーズソース添え
先月に週末出勤した分の振替休日を取得して、この日は仕事を休んだ。家の設計を依頼している奥村昭雄・まことご夫妻が、我が家の家具類の寸法を測りに、奈良までお出でになることになったので、その応対のためだ。仕事でお世話になっている領域事務所の方に振替休日制度があることをおしえてもらって、なんだか得した気分! 今までそういうのに無頓着すぎた。この恵まれた境遇を今のうち存分に体験しておこう(なにせ期間超限定だからね)。
奥村設計所では、家の詳細設計に入る前に必ず持ち物の寸法を全部計ることにしているそうだ。「さし押さえ」という呼び方をしている。最初、このことばを聞いたとき、家具を持っていかれるのかと思ってどきどきしたが、単に計ることをそう呼ぶらしい。建築の分野にはいろいろな業界用語はあるんだなあと妙に感心していたら、どうやらそれは奥村事務所特有の言い方らしく、途中から合流されたこれからお世話になるであろう工務店の方も最初聞いてびっくりしたという。奥村先生いわく、全部計ること自体「うちだけかもしれない」とのこと。これまた建築家によっていろいろな流儀があるんだなあと妙に感心した。要は、初めてのことだらけなので、何もかも新鮮に映るのだ。
1時半過ぎから6時半前までみっちりと。でも、雑談していた時間が長いかな。まことさんもいつも面白い言い回しをなさる方だし、奥村先生は、ある興味の幅にピンポイントではまると急にしゃべり始める方だし、私ら夫婦は基本的に(好きな人の前では)おしゃべりだし、話題はつきないのだ。
夕食はお土産にいただいた生ハムと春菊をメインにした(おいしいパンもいただいた)。生ハムは奥村先生設計の生ハム製造機で作ったもので、塩気と煙の香りのバランスがよく、大変美味だった。生の春菊とあわせるととてもおいしいということも初めて知った。肉がちゃんと「強い」と春菊ぐらいくせのある葉っぱでちょうどいい感じになる。メロンなんかとあわせてはだめよとまことさんが言っていたわけが分かった。生ハム好きのゆういちろうがだまっているわけはない。半分以上食べたのではないか。
6月15日(金)
・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・かれいの煮付け
・もずく
・キムチ
遅々として進んでいる感の仕事で疲れた。今日はしょうがと豆腐を包丁で切ったくらいで、下こしらえほとんどなしの献立にした。食後の片付けは夫がしてくれたので助かった。
食後、まことさんからファックスが5枚も届いた。はやもう昨日の「さし押さえ」結果が、手書きのイラスト付きで送られてきた。間違いがないか確認するようにとのこと。そのほかの用件も簡潔に書かれてあった。私もあきらめずに丁寧な仕事をしようとパワーをもらった。
6月16日(土)
・はちみつ柚子酢ジュース
・トースト
・カマンベールチーズ
・プチトマト
・納豆
昼ごはんが遅くなったので、夜は軽めに済ませた。夫が山口出張で不在のため、ゆういちろうと二人で適当に食べた。
今朝は早く起きて、ゆういちろうが寝ている間に仕事を1,2時間集中してやろうと思ってたのに、こういう休みの日に限って彼も朝早く自発的に起きてしまうのである。今朝もそうだった。普段保育園には遅刻ぎりぎりの時間に無理やり起こしているのに、平日より早い時間に起きるなんて、なんだよという感じである。
母親が自分に関心を向けていないのが分かるであろうか、日中もとにかくしつこく私を包囲した。椅子に座っていたら乗ってくるわ、机の上にも乗るわ、散歩に連れて行けと連呼するわ、それでも無視していると「行かないのね。お母さんなんて大嫌いやわ」と言って寝室にこもって泣くわ、さらにそれでも無視していると寝室から仕事部屋に毛布を持ってきてその上に「しんどい」といって寝始めるわ、人のやる気を削がせたら天下一品の行動をとった。結局こちらが根負けしてこの暑い中散歩に出かけた。
日中たっぷりと光を浴び、今すでにねむねむ状態で原稿頭でないので、早いとこ寝て、明日の早朝からやることに決めた。
6月17日(日)
・フカヒレあんかけチャーハン
午前中は原稿書き。午後からは尼崎にあるピッコロ劇場に別役実作・松本修演出の『場所と思い出』を観にいった。別役文体というのが確実にあって、今回もねちねちと粘着質でいながらどこか乾燥していることば遣いがふんだんに盛り込まれていた。なんと主演女優の一人が、ゆういちろうの保育園の同級生のお母さんなのであった! 送り迎えのタイミングがあったときはいつも挨拶しているのだが、舞台で見ると別人のような別人でないような、とても不思議な感じだった。
ピッコロ劇場は今、別役実さんが代表を勤めていて、ご自身が書き下ろした子ども向けの芝居も観れるようだ。ゆういちろうを連れて、いつか観にいこう。なにせゆういちろうは氏が映画用にシナリオを書き下ろした『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治原作・DVD化)のファンなのだ。そのなかに出てくるセリフ「けれども、けれどもカンパネルラが見つからないんだ」の「けれども」がいたくお気に入りで、おしゃべりのなかにしょっちゅう出てくる。私が足を家具の角にぶつけて大変痛い思いをしているとき、「けれども、大丈夫?」とか、なぐさめのことば(?)をかけてくれるのだ。
夕飯は外食中華にした。味が濃いのか、外歩きでたっぷり汗をかいたのか、家族それぞれが水をがぶ飲みして何度もお代わりしてしまった。
6月18日(月)
・鰻丼
・なめこと豆腐の味噌汁
・茹でもやし、青じそドレッシングかけ
・納豆
・刻みかぶらの漬け物
午前中から午後にかけて大変蒸し暑くからだがだるくてしょうがなかったが、夕方ごろから涼しくなり、復調した。精のつくものが食べたいと思い、鰻にした。ゆういちろうは鰻も好きだが、もやしも好きだったと思い、本日は彼の好物づくしにした。3歳の男の子が虐待されて意識不明の重体だというネットニュースを見て、胸がつぶれる思いがして、あらためて子どもを大事にしようという気になったのだ。最近放任気味だったので、反省もこめて。
もやしは大豆が発芽したものだった。ふと今日の献立を振り返ると、大豆関係がやたら多い。ゆういちろうは私よりたくさんの量をお腹に入れたが、大豆なら消化がよくて大丈夫かな。
話を戻すが、その3歳児はカップラーメンを食べた食べないで殴られたそうだ。私も日日の生活のなかで子どもをぶちたいと思うことはそりゃもう多々あるが(私に似たのか、ふてぶてしい態度をすぐとる)、実際に力任せにぶったことはない。どこかで確実にブレーキがかかっている。というか、ゆういちろうはこちらが高圧的に出たらますます反抗的になるので、ぶつことのメリットがないのだと思う。余計に事態をこんがらがらせる。
今日保育園の帰り道、たまたま保育士さんと一緒になった。ゆういちろうと私は傘をたたむたたまないで例によって例のごとくもめていたのだが、保育士さんが「あれ、ゆうちゃん、どうやって傘たたむんだったっけ?」と聞くと、ゆういちろうは得意げにさっとたたんで見せた。「上手やね〜」と先生から褒められて本人もご満悦。魔法を見てるかのようだった。つま〜り、たためと命令すると反抗するが、うまく褒めながら誘導すると楽に大人の思惑どおりに行動するのだわね。私も意固地にならずに頭を使えってことだわね。
2日分まとめて更新!
6月19日(火)
・ごはん
・あさりの澄まし汁
・馬刺し
・焼きなす
・茹でオクラのしょうゆマヨネーズソース
・茹でもやしのわさびドレッシングかけ
私の誕生日に実家から送られてきた馬刺しを冷凍しておいた。それを解凍して食べた。生肉を解凍して食べるのは抵抗ある方がいらっしゃると思うが、流水で解凍すると味が落ちずにおいしく食べられるよ。それにしても、相変わらず手抜きだなあ。
何か忘れていると思って手帳を読み返してみて気付いたこと。産休中の友人がひさびさにやってくる日だったのだ。自分の原稿のことで頭がパンクしていて、すっかり忘れて散歩に出かけてしまった。約束をすっぽかしたわけではないのだが、なんだかやな感じ。会いたかったのにな。ばかものだ。
6月20日(水)
・ごはん
・しいたけとたまねぎとプチトマトの中華風スープ
・にら餃子
・トマトとモツァレレラチーズのサラダ
・納豆
・きゅうりの漬け物
本日も手抜き。餃子はフライパンで焼くだけの、チルド製品を利用した。たまねぎをじっくり煮込んだ分、スープはおいしくできたかな。餃子とトマトのサラダは合わないよとつっこまれつつ、自分の食べたいものを作るのであった。
渋谷・松涛の温泉爆発後の映像をテレビニュースで見てびっくりした。あんなに吹き飛んでしまっている。あの辺は去年青年団の稽古場にフィールドワークに出かけてたとき、しょっちゅうそばを通っていただけにショックが大きい。そびえたつ温泉ビルを見ながら、誰が入るンだろうと思っていた。ひやかしで中を覗いてみようとすら思わなかった。まあ拒否的反応を示していたわけだが、私の動物的勘は当たっていたといえる。
原稿はあともうひとふんばり。本当に終わるのだろうか。昨日の苦しさに比べればましだと思って、明日に備えて眠りにつこう。昨晩は大声で何度も寝言を言って夫を4回ほど起こしてしまったそうだ。「すいませんが、お願いします」と申し訳なさそうに、けれどもはっきりとした口調で誰かにお願いしていたとのこと。現実そのまんまの、やな夢だ。
6月21日(木)
・ミネストローネ
・スパゲティ・ペペロンチーノ
・鶏の塩焼き(グリル)
夫が作ってくれた。ゆういちろうは私たちのスパゲティを奪った。それほどペペロンチーノ好き。渋い。明日から金・土・日と東京出張。体力持つかな。がんばれ、自分。
6月22日(金)
・品川駅でインドカレー&ナン
昨晩論文を書き上げ、1時過ぎに電子投稿を済ました。その後、結局4時ごろまで目が冴えて寝付けず。つまり我が家でいうところの「半徹」状態(半けつ状態ではない)で朝を迎えたのだった。
しかも、のんびりと移動すればいいだけの日だったはずなのに、いくつも研究所に忘れ物をしているのに気付き、普通に出社。「なによなによ、ばかばか」と頭のなかで叫びながらあくせくと手を動かした。それにしてもだる〜と思っていたところ、同僚のYさんからおいしい蕎麦屋に行かないかというお誘いが入った。聞くと、3日前に新そばが入ってやたらおいしかったとのこと。蛾のようについていった。
半年ぶりぐらいだったのだが、相変わらずそこの鴨せいろは美味。ところが同僚Yさんいわく、3日前の香り立つ感じがなくなっていたそうで、いたく残念がっていた。帰りも、先に会計を済ませた私たちを尻目に、店のご主人と「真剣」にそのことについて話し込んでいた。ご主人とは食にまつわる話題で、忌憚なき意見を交し合う仲とのこと。
Yさんは物知りな上、実践家だ。最近ではスープカレー作りに凝っていて、おいしい出汁のとり方をおしえてくれた。老鶏の肉を使うといいらしい。若鶏の鶏がら、もしくは丸々一羽入れたときよりも、ぐんとぐっと味に深みが増すらしい。その代わり、だしをとった後の老鶏の肉は食べられたもんじゃないとのこと。
年をとる意義を教えてくれるいい話ではないか! 私も年をとったら、肉からスープをとっておくれ。Yさんがしてくれる話の多くは、頭を直接賢くしてくれるものではないが、人生を面白くする話が詰まっている。ついでに言えば奥さんのほうも、普通にお澄まししていれば美人さんで通るものを惜しいことをしたという感じの、とても面白い人で、招かれざる客としてY家に乱入していろいろとごちそうになりたいと密かに望んでいる。その前に、我が借家で何か企画したいなあとも本気で思った。
昼食後、東京に向けて移動した。本日の目的は、あなんじゅぱすのライブを見に行くことである。私にとってこれもれっきとした仕事である。青年団のひらたよーこさんの歌を、若手の注目株、五反田団の前田司郎さんが演出をして見せるのであるから。ことばのリズムを知る契機のひとつなのだ。
腹ごしらえとして、品川駅構内のショッピングエリアで豆と野菜入りインドカレーを食べた。昼間カレーの話題になって、さらさらとしたカレーが食べたくなったのだ。直線的に辛かった。で、ライブ会場のある青山、外苑前へ向かった。
あなんじゅぱすは日本の詩人のことばに歌をつけるバンドである。今回は新曲もたくさん盛り込まれていたが、私はかつて聴いたことのある、入沢康夫の詩「キラキラヒカル」を題材にした歌に弱いことを改めて知った。これを聴くと、自動的に涙腺がゆるむのだ。
キラキラヒカル
キラキラヒカルサイフヲダシテキ
ラキラヒカルサカナヲカツタキラ
キラヒカルオンナモカツタキラキ
ラヒカルサカナヲカツテキラキラ
ヒカルオナベニイレテキラキラヒ
カルオンナガモツテキラキラヒカ
ルオナベノサカナキラキラヒカル
オツリノオカネキラキラヒカルオ
ンナトフタリキラキラヒカルサカ
ナヲモツテキラキラヒカルオカネ
ヲモツテキラキラヒカルヨミチヲ
カエルキラキラヒカルホシゾラダ
ツタキラキラヒカルナミダヲダシ
テキラキラヒカルオンナガナイタ
ライブ後、まっすぐホテルに帰り、奈良の自宅に電話して様子を聞いた。夫いわく、ゆういちろうがおもちゃを叩きつけて暴れるので、叱ったとのこと。ゆういちろうは泣きかぶって電話に出れる状態ではなかった。あとは、都会は爆発があるかもしれないから、明日も用件以外はうろうろとほっつき回らずにおとなしくしているようにと言われた。心配してくれてありがとう。私には家族がいてくれてよかったと思ったのだった。
6月23日(土)
・半蔵門でインドカレー&バターライス
今晩もカレーにした。涙が出るほど辛かった。我が家でもカレーだったとのこと。家族だから同じようなものを食べていたい。
本日は観劇の日。
午後は、慶應大学三田キャンパスに、素浄瑠璃「憑りくる魂(よりくるたま)」を見に行った。出演は豊竹咲大夫さんら。テキスト(って言っていいのかな)は、折口信夫「死者の書」を池田弥三郎が脚色したものだという。ことばと三味線だけで執念の世界を作れるんだから、すごいなあ。三味線ってすごくかっこいい楽器だと思った。
夜は、ツキムラニホ作・木崎友紀子演出の青年団若手自主企画「スネークさん」を見に行った。詩のようなことばと、歌って踊る「女子(じょし)」の世界が広がっていた。なんだかみんな楽しそうだ。最近すっかり女子の世界から足が遠ざかっていたが、10年ほど前の利賀村での合宿のときは私もれっきとした女子部屋にいたことを思い出した。私は若い女の下着姿を見るのは好きだ。
昨日も今日も、おとといも詩にふれる機会があって、詩人や詩的機能のことについて考えていた。「詩人は着地しちゃいけないんです」という名言を残したのは、夫の高校時代の先生(我が家では尊敬と親しみをこめて変態国語教師と呼んでいるN先生)だ。まさにその通りだと思う。シンボルグラウンディングの手前で、ぽん、ぽんとことばを投げ出すのが詩人だ。
たいていの詩は無視され、人々の心にはなにも残さない。でも、自分の経験値が上がったときなど、ふとしたことをきっかけにすっと入ってくる場合があって、そのときの詩の持つ力は大変大きい。たとえば、谷川俊太郎が目の前で母を亡くそうとしているときに書いた「これが私の優しさです」という詩がある。
これが私の優しさです
窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに
あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?
それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなっていいですか
あなたのおかげで
身近に大切な人を亡くしたことのなかった20代前半までの私なら、この人、何かっこつけてんだろうとしか思わなかったと思うが、少しは経験値を積んだ今読むと、詩人が言わんとしたいことのイメージが、なんとなくこんなものかなと想像できる。
6月24日(日)
・赤ワイン
・お母さん風カレー(実際はお父さん作ビーフカレー)
・ベビーリーフサラダ
奈良に帰ってきた。今日もカレーだった。明日も残り物カレーになる予定。こんなにカレーばかり食べていていいのかな。
明後日26日は、日帰りだけど、また東京出張がある。だから明日は振替休日をとった。自分の体力を全く信じられないので、休めるときに休もうと思う。とはいえプライベートの案件に3つほど取り掛かる。明日くらいしかゆっくり時間がとれない。だって、30日から1週間ほど出張にでかけ、27〜29日はその準備に忙殺されるはずだからだ。週の後半を想像しただけで怖い。
なぜこんなことになったかというとすべて自分が蒔いた種なのだ。去年のフィールドワーク(=肉体労働)の反動で、今度はたまったものを論文・発表としてはき出したい気分がいっぱいになり、あまり先のことを考えずに調子にのって発表申し込みをしまくったのだ。それらがこの時期うわっと重なってしまい、パニックになっている状況なのだ。愚かである。落ち着け、自分。
さて、出張に行くと、日常業務からいったん切り離されるので、自分の無意識の思考傾向とか、自分が何を大切に思っているだとか、これからどういうふうに生活していこうかとか、いろいろと考えることができる。今回の出張もそういういい機会になった。
私はほうっておくと仕事のことしか考えなくなる傾向がある。とくに論文書きモードに入ると、その傾向がとても強くなり、家族のことを含めその他の生活をないがしろにしてしまう。賢くなりたい賢くなりたい賢くなりたい。そのことしか考えなくなり、それ以外のことは自分を邪魔するものだと認識してしまう。それは周りにいる人間にとって、いい迷惑だ。
だからこそ、その反動で、このサイトを開設して、直接仕事に関係ない、論文に引用できない内容をここに書いて精神のバランスを取ろうとしている。このサイトでは、論文に引用できない内容を「無意味なこと、賢くないこと、でたらめなこと、しょうもないこと」と称し、ここではそれらが最も称揚されている。
つまり、私には「論文=有意味」という呪縛があり、そのほか生活一般を「無意味なこと」と邪険に扱いがちの傾向があるからこそ、「無意味なこと」「賢くないこと」のほうがよっぽどえらいのだと価値観をどうにか転換させバランスをとりたいと思っているのだ。だったら初めから「生活」に対して「無意味」ということばを使いなさんなよとも思う。論文か生活かの対立項自体間違っているんじゃないかと。生活のほうが包括的かつ豊かな意味あふれる世界であり、生活(家族)あっての論文(仕事)じゃないかと。
確かにそうなのだ。それは正しい感覚だ。私もそう思う。素直に「身の回りの生活を大事にしましょうよ」と主張すればいいだけの話のような気もする。賢い生活者というのも確かに存在する。
ただそうすると、ひねり癖のある私の欲求が満たされない。ノイズに対するロマンチックな好みが私のなかには確実に存在するからだ。ナンセンスとかバカバカしさとか駄洒落とかが大好きなのだ。で、そのことに命をかけてもっとも真剣に取り組んできたのが詩人を初めとする芸術家だと思う。
研究者は芸術家になれない。なぜなら研究者は自分のしていることを「意味あること」「賢いこと」だと思っていないと不安で仕方がない種族だと思うから。物事の一部を切り取り、無理やりにでも常にシンボルグラウンディングさせることが仕事だからだ。「無意味」に耐えられないのだと思う。でも、研究者も生活者であるならば、生活者モードのときに限っては芸術家になれるはずだ。料理なんて立派な芸術の一部じゃないか。
いったい何を言いたいのか自分でもよく分かったような分からないような文章になってしまったが、このようなことをつらつらと考えたのだった。
2日分まとめて更新!
6月25日(月)
・(私)お手製弁当
・(夫&息子)残りのカレーライス
・スモークサーモン
・きゅうりの漬物
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
昼間は外回りをして汗だくになった。夫がお昼用に弁当を作ってくれていたのだが、途中お腹が空きすぎたので、昼は外食にして、夜にお弁当を食べた。カレーを避けたかったという理由も大きい。
6月26日(火)
・東京駅で回転寿司
東大にて仕事の打ち合わせ2件、その後練馬にある奥村設計所に移動し、新しい家のことで打ち合わせをした。すべて今後の私の人生設計に関わる内容で、眩暈がしそうだ。お会いした方々全員がそれぞれの分野でプロフェッショナル!な仕事をされている。様々な刺激を受けた。私もあせらずにいい仕事を残していきたいと思った。
新幹線のなかで、保育園役員の事務仕事も済ませて、気分よし。秋のレクリエーション委員の書記をやっているのだ。6月2日(土)の役員会で決まったことのお知らせ書類を今頃作るなんてそもそもが「超」顰蹙ものだが、言い訳をさせてもらえれば、秋の、しかも、レクリエーションなので、ついつい後回しにしてしまっていたのだった。でもまあ、頭の片隅でやらねば〜と思っていたものが終わると、やっぱり気持ちいい。
夕食は東京駅構内の回転寿司屋でちょこちょこっと寿司をつまんだ。日本のすばらしいファストフードだなあと思った。胃もたれしないところがよい。
2日分まとめて更新!
6月27日(水)
・日本酒
・マグロの漬け丼
・なめこと豆腐の味噌汁
・焼きなす
・オクラのしょうゆマヨネーズソース添え
・きゅうりの漬け物
・納豆
・ぶどう
マグロの特売日だったので、我が家の定番の漬け丼にした。
横浜で開かれる国際会議で発表するための英語のポスター2件の準備に取り掛かったが、なかなかとっかかりが見つけられず、英語のヒアリングをやったり、英語で書かれた論文を読んだり、英語頭にしようと努力した。夫からは、3段跳びする前に、42.195キロの助走をしている感じだねと揶揄されたが、私はめげないのである。
6月28日(木)
・宅配ピザ
・トマトとアボカドのサラダ
保育園のプールが7月から始まる。プールの前に、ゆういちろうの耳垢を耳鼻科で取るようにというドクター(検診医)からのお達しが出ていたので、本日自宅研修の夫が夕方病院に連れて行った。なんと両耳からそれぞれ1センチくらいの茶色い塊りが出たそうだ! 何年耳掃除をしなかったんですかと当然怒られたという。ごめん、ゆういちろう。でも、その塊り、見たかったなあ。
夫は他にもたくさん家事をこなした。持病のヘルニアを治しに病院にも行った。そんなこんなで食事を作る気がしないからピザにしようという提案があり、私も、だったら自分が作るよという気分でもなかったので、提案を受け入れた。せめてサラダだけでも手作りにした。今週末から出かけるので、冷蔵庫をきれいにしたいという欲求も少しは満たされた。
仕事のほうはとりあえず1つのポスターを作ってみたが、気に入らない。手直しする必要性を強く感じる。あ〜、おそらくモバイルプリンタを横浜に持っていって、現地でぎりぎりまでやっているんじゃないかと弱気になっている今日この頃。
6月29日(金)
・ごはん
・かぼちゃのポタージュスープ
・八宝菜
・焼き餃子
・赤ピーマンとトマトの煮込み
・納豆
見よ、このばらばらな献立。明日から7月7日まで横浜に行くので(メインの会議はここ)、冷蔵庫を片付けたのだった。ポスターもとりあえず形にし(向こうでも直すけど)、パッキングもようやく終わり、これから寝る。
それから朝早く起きて、鉢植えの干ばつ対策を施し、岡山に向けて出発。岡山駅で実家の両親にゆういちろうをあずけ、新幹線で関東入りする予定。あぁ、いそがし、ぷ〜
6月30日(土)
・東京駅で回転寿司
岡山駅でゆういちろうを父に託し、東京へ。火曜も入った駅構内の回転寿司屋で15分足らずで寿司をつまみ、森下スタジオでやっている宮沢章夫さんの『ニュータウン入口』の準備公演を夫婦で見に行った。副題には「または私はいかにして心配するのをやめニュータウンを愛し土地の購入をきめたか」とある。まさに私たち夫婦の問題でもあるのだ。他人事ではない作品だ。
夫は数百年前に人工的に作られた焼き物の町やたくさんの歴史を背負った長崎市内で育った。私は吉備の里と呼ばれる岡山の備中で生まれ育った。どちらもニュータウンとは全く縁のない、因習あふれる田舎育ちだ。私たちが奈良の平城ニュータウンにゆったりとした土地を思い切って買ったのは、そこに理想を見たからだ。作品のなかでも出てくることばを借りれば、そこを「約束の地」だと思った(思い込みたかった)からだ。過疎の進む「本当の田舎」に住みたくはなかったし、かといって人口密度の高い都心にも住みたくなかった。第一、都心は土地代が高くて買えない。
私たちの選択は決して間違っていなかったとあらゆる証拠を揃えて、これからの人生をいい意味で「捏造」していきたいと思っている私だが、一方で永住を決めた町にどこか無理があるということも感じている。第一、この春最寄り駅の駅前に出来た大型複合店舗(イーオン、サティ、映画館など)の中に入ると、「私の欲しいものはここにはない」とさびしくなって、精神状態がよろしくないときは涙が自然と出てくるのだ。この感覚は甘受しなければならないものなのか、何か別の闘い方があるのか、すでに土地を買った段階で私たちは(作品のことばを借りれば)「あらかじめ敗北」しているのか。
つまりもうニュータウンにしか希望を見出せない私たちは、闘いを止めたのかもしれないし、最初から闘ってもいなかったのかもしれないし、けれどもただ違和感だけは本能的に感じているという状態にある。この感覚は次のようなこととも関係あるかもしれない。作品に出演した若い俳優さんの多くはおそらく作品の内容を分からずに演じているんだろうなと思った。しかし分かっていないで演じているということは分かっても、だからといって私が作品(≒ニュータウン)のことを分かっている訳ではない。
なんだかまた何か言いたいのか自分でもこんがらがってきて、分からなくなってきたぞ。芸術家の勘に期待しよう。宮沢さんはきっとこのモヤモヤ感の正体を提示してくれるはずだ。本公演が楽しみだ。