2007年10月
2日分まとめて更新!
10月1日(月)
・ごはん
・昨日の残りのクラムチャウダー
・豚キムチ
・カニサラダ
10月2日(火)
・懇親会メニュー
10月1日からEC2007という学会に聴講にでかけている。平田オリザさんもいらっしゃるし、私の携わっている研究資金の出所であるJSTの領域「デジタルメディア作品の制作を支援する基盤技術」のメンバーの方々もたくさんいらっしゃる学会だから、最近の動向を知るいい機会だと思ったからだ。
出てみて、自分の普段いるところとのカルチャーの違いに驚いた。どっちがいいとか悪いとかそんな問題ではなく、ほんとうの意味でのカルチャーギャップ。異文化体験。これまで私は学会ではその道のエキスパートである先生のお話を拝聴して、明日への活力をもらうスタンスでいることが多かったが、コンピュータ系の本学会は若手がセッションをオーガナイズして研究の途中経過をどんどん発表している。とりわけ学生でがんばっている方の発表を聞くと、よい刺激をもらえる。
懇親会後は、同じ研究所に勤めるSさんに車で自宅まで送ってもらえた。電車で片道2時間以上かかるところを車では1時間ですむ。ラッキー。Sさんは風流の数寄者で、途中の集落のなかで車を止め、田んぼのなかに分け入り、たくさんの彼岸花をアーミーナイフで取ってきた。往きしにマーキングしていたとのこと。その後、お気に入りの花入れにすすきと彼岸花をアレンジすべく夜の研究所に立ち寄った。翌朝、皆を驚かせるためにとのこと。私が手洗いから戻ってきたときもなお、真剣な表情で花と格闘されていた。花泥棒に建造物侵入。かっこいい! 私もそういう50歳を迎えたい。
10月3日(水)
・鰻丼
・なめこと豆腐の味噌汁
・オクラのしょうゆマヨネーズソース
・トマトのサラダ
保育園にゆういちろうを迎えに行かねばならず、学会トリのぜんじろうさんの講演はパスして帰宅した。残念だけど仕方ない。どんなことをお話されたのかな。
夕飯のメインはゆういちろうのリクエストのあった鰻。疲れているのかな私には少し臭みが感じられた。片道2時間以上もかけて毎日移動するのはちょっと辛かった。東京で学会のとき、関東の先生方が午前中のセッションをパスする気持ちも分かった。学会の場合泊りがけで参加したほうが集中力が高まる。電車って、なんであんなに疲れるんだろう。
10月4日(木)
・握り寿司
・ぶっかけうどん
・トマト
・茹でもやし、青じそドレッシングかけ
今日から新規雇用者が入られた。同世代の主婦の方で、親の目から見て小学校はどんなとこかなど、たくさんお話を聞かせてもらえそうでうれしい。太田省吾さんの稽古場の書き起こしをしてもらうことになっている。今日は手始めに『水の駅−3』の本番のビデオを見ていただこうと思っていたが、誤って『砂の駅』のテレビ録画を流してしまった。1時間ほどして誤りに気付いた。無言劇、恐るべし。
出張明けのどたばたなのだろう、いろいろな方に「業務連絡」を提出して、一日が終わった感がある。あせっちゃいけないのだろうが、気だけがせいていて、だめだなあ。度量の大きい太田さんを見習わなくては。ゆったりと相手を信じて待てる度量の大きさだ。でも、ちっちゃいなりにねずみのようにちょこまか生きるのも、それはそれで味があるんじゃないかと自分をなぐさめたりもする。そういえば太田さんは『水の駅−3』にあたってUZURAという集団を作ったのだった。うずらもちょこまかしているのかぼーっとしているのかよく分からない生物だ。地味だけど愛嬌のある卵も産んでくれる。月見そばには欠かせないあのちっちゃい卵。そうか、うずら的生き方もあるな。
夕食は出来合いの握り寿司をメインにした手抜き料理。。。そういう日もあっていいのだ!
10月5日(金)
・日本酒
・ごはん
・ねぎと豆腐の味噌汁
・さんまとサーモンのお造り
・焼きなす
・トマトとバジルのサラダ
・もずく
・ちりめんじゃこ
仕事ではもうひとりの助っ人の初出勤の日を迎えた。言語学でいう音韻論の専門家(の卵)の方で、音声学と音韻論の違いについて教えてもらった。個人研究型プロジェクトとはいえ、研究補助者の雇用がままなければ思うように先に進むことはできない。9月19日締め切りだったことをすっかり忘れていた案件を協力のもと急いで片付けた。助けられていると思う日日だ。
今日もあぶらっけを欲しない日だった。品数だけは多い、簡単な食事。
夫の来期の担当コマ数がこのまま言われるままに引き受けると実質的には週15コマになるそうだ。所属学科の平均が週6,7コマだそうなので、どれだけ多いか分かるだろう。減らしてもらえないかと抗議したところ、本来なら夫が提示した抗議内容を直接知りえないある先生から「君は組織ってものを分かってない」と逆に絡まれたそうだ。組織が組織の利を考えて采配をふるうのは当然なことだそうだ。
組織の論理をふりかざす人のためにこれまでどれだけの人が死んでいったか。歴史はたくさんの結果を示しているはずだ。そこから最も遠いところにあるはずの大学で、教養あるはずの教員が平然とそれを口にしているのだから、いろいろなことを考えさせる。幸いにして私はまだ「この世見据えて笑うほど冷たい悟り」は持っていない。いろいろなことを見聞きして、いろいろなことを感じて、忘れないうちに書き留めていこうと思う。
10月6日(土)
・スパークリングワイン(ハーフボトル)
・トマトの冷製スパゲティ
・白身魚の和風カルパッチョ
・焼きとうもろこし
・クレソンとマッシュルームのサラダ
生魚が続いている。気分は生魚なのだ。献立表には「和風カルパッチョ」と書いてみたが、なんのことはない、ポン酢とオリーブオイルを混ぜたものを回しかければ出来あがりの手軽な一品だ。刺身にしょうゆだけだとちょっととんがってきついとき、ポン酢とオリーブオイルは便利な組み合わせだと思う。大根のつまといっしょに食べるとおいしいよ。
昼間は夫のラジコンヘリクラブの活動にゆういちろうとともに顔を出した。仏徳山(なんというありがたい名前!)という山の中腹の原っぱで模型のヘリコプターやら飛行機やらを飛ばして遊んでいる。クラブメンバーのみなさんはみな心根の優しそうな方ばかりでお会いすると安心する。今日はゆういちろうも原っぱで自分の模型グライダー(240円のおもちゃ)を存分に飛ばすことができてご満悦だった。家のなかでは禁じられているからなおのことだろう。
どんなにラジコン機から排気ガスが出ようとも山の空気はやはり気持ちいい。たくさんの虫の鳴き声が聞こえる。空も広い。うろこ雲がたくさん出ていたときは、「わあ、たくさんの雲!」とゆういちろうは驚きの叫び声を挙げ、しばらくして雲がなくなっていたことに気付いたときは、「あれえ、雲はどこにいったん?」と不思議がっていた。
本日の豆知識。山の案内看板によると、仏徳山は平安時代から炭焼きの山として知られていて、時代が下って江戸か明治には京焼きの窯元が移住してきたところらしい。
10月7日(日)
・白ワイン
・ごはん
・キャベツと人参のスープ、ほんのりカレー風味
・ニラ餃子
・トマトとバジルのサラダ
・温泉卵
スープが思いのほかおいしくできてうれしかった。夫もゆういちろうも風邪の引き始めの諸症状が出ていたので、にんにく、ねぎ、しょうがを効かせ、手間暇のうち暇だけをかけた(2時間ほど煮込んだ)スープだった。
午前中は保育園の運動会、正式名称「なかよしカーニバル」に出かけた。私は変装かけっこに参加した。かとちゃんぺのようなカツラと丸眼鏡をかけて運動場を半周した。ゆういちろうも年中さんになり、随分大きくなったなあと思った。いつものように、日焼け止めを塗るのを忘れたので、顔が火照って困っている。
午後からは、古くなった枝や根をびしばし剪定し、鉢の植え替えをおこなったのち、美容院に行った。1ヶ月ちょっとの間で来るなんて珍しいですねとお店の方(保育園の同級生のお父さん)に言われたが、今度の13日、14日と人前に出るので、整えておきたいと思ったのだ。ほっておくと茂りがちの頭だからなあ。私だって身だしなみに気をつけるときはちゃんと気をつけるのだ。というか、13日と14日のそれぞれ司会とパネリストの仕事がどうかうまくいきますように。
■追記:Aさんから驚きの知らせが届いた。おめでとうございます! これからいろいろと不安なこともあるかと思いますが、楽しい未来がきっと待っていますよ!!
10月8日(月)
・ごはん&梅干
・鯛の味噌汁
・納豆
・ブロッコリーとじゃがいもの温サラダ
・もずく
実家の父が釣ってさばいてくれた魚やお隣のおじちゃんが釣った鮎がクール宅急便で届いた。今日はそのなかの鯛を味噌汁にして出した。夫が発熱したため、あっさりさらさらと食べられる献立を心がけた。
夫は発熱中の身で保育園役員の書記の仕事、21日(日)にある秋のレクリエーションの案内文を作成してくれた。私はそれを他の役員の方々にメールで伝えるメッセンジャー係となった。夫婦協力の姿である。いままで十分すぎるほど本件準備に時間をかけたので、あと本番に向けては、他の方におまかせモードに入った(と思いたい)。保育園の役員の活動って、持ち回りのボランティアなんだけど、ちっちゃい世界のなかにも二八の法則という社会の縮図を垣間見ることができる愉快な世界だわさ。責任もって取り組んできた人々とそうでない人々の差がありすぎる。ただうちだけが大変だったというつもりはさらさらない。もしうちが放棄しちゃったらもうひとつのご家庭にむちゃくちゃ迷惑をかけるからそれはできないという力学のもとでやってきた。
なんか愚痴っぽくなってだめだな。明日の週明けから本職の仕事がたてこんでいるので、今日中にかたをつけることができてほっとしている。うちも暇そうにみえて暇じゃあないので、いつまでも本件を持ち込んでいる場合ではないのだ。って、やっぱり愚痴っぽいや。でも今日ぐらいはいいでしょう? もういいかげんにおやすみ、自分。
10月9日(火)
・ちゃんこ鍋
・〆うどん
鍋の季節がやってきた。ここ数ヶ月全く食指のわかなかった白菜だが、今秋初の白菜を食べた。甘くておいしかった。
日中は、今度の14日にある「演劇におけるHow to個性記述」という企画に向けて、講演をお願いした宮沢章夫さんにご連絡を差し上げるべく文面を考えていたら、あっという間に時間がたっていた。なんだか自分勝手にことばを連ねているだけで伝えたいことがちゃんと伝えられるだけの文章になっていないような気がして送信するのに気後れしたが、けれども締め切り等の都合もありこれ以上引っ張ったら今度は企画者に迷惑をかけることになる。結局、えい、ままよとメールを送信した。
今日のランチは、今月からアルバイトに来てくれている方とお友だちの秘書さんとご一緒した。私が保育園役員の仕事についてぶつぶつ言っていたら(しつこくてすいません)、小学校のPTA役員間で本当にあった怖い話を教えてくれた。私たちが勤めている研究所で昔研究員をやっていた方がいつもの調子で役員会でがんがん発言していたら、ママ友だちの間で「上から目線」に立っていると噂になり、小学校2年生の子どもさんがいじめられてしまう事件があったそうだ。暗黒世界だなあ。そういう意味では秋レク役員なんてものすごくいい人たちが集まっているよ。そういう陰湿なことはしそうにないもん。もうぶつぶつ言うのはやめようと思った。
10月10日(水)
・ごはん
・大根とわかめの味噌汁
・鮎の塩焼き
・しいたけともやし炒め
・納豆
・かぶの浅漬け
この前実家からクール宅急便で送られてきた隣のおじちゃんが釣った鮎を解凍して食べた。冷凍といってあなどるなかれ、十二分においしかった! ゆういちろうも好物で、頭と尾ひれを手で持って肩のところからがぶりとかぶりつく、鮎の最もおいしい食べ方をすでに会得し、実践している。わたや白子にはしょうゆをちょっとたらして、ごはんにまぶして食べるととてもおいしい。高梁川の地元で育って者にとって、鮎は高級品でもなんでもなく、重要なタンパク源を提供してくれる日常食なのだった。私の子どもの頃は牛肉なんて今よりもむちゃくちゃ高級品で、食卓にのぼる頻度は非常に少なく、夏は川魚ばかり食べてた気がする。30年のあいだに食環境って大きく変わったなあ。
今度の13日には、北海道大学で法と心理学会のワークショップの司会をすることになっている。昼間は司会進行のシミュレーション兼思索のため、研究所近くのお気に入りの散歩コースを歩いていたら、小さな藪のなかから雉の雌と鉢合わせになった。すぐそばは車も通る大通りがあるのに、なぜこんなところに雉がいるんだ。向こうは向こうで「なぜおまえがこんなところにいるのか」という顔をして、お互いにしばし固まり見つめあった。急につかまえたくなり、追いかけたら、飛ばずに足早に逃げていった。うさぎもたまに出ると聞いていたが、この辺はのどかなんだな。
話を戻すがそのワークショップでは、心理学者と実務家とが裁判の場でどのように協力していったらいいか、袴田事件や足利事件の鑑定経験を軸に話し合うワークショップで、心理学からは森直久さんと浜田寿美男さん、実務家サイドからは佐藤博史弁護士と秋山賢三弁護士から報告がなされる(ここの9/11ページ目のワークショップ6の項を参照のこと)。みなさんがそれぞれの著書で自説を展開されている方々で、司会とはいえ、なんというかかなりの重責なのだ。
元裁判官でもある秋山先生とは直接お会いしてお話しする機会は初めてなので、『裁判官はなぜ誤るのか』という著書を手がかりに、どんな方か想像をふくらませ失礼のない司会を心がけたいと思っている。
2日分まとめて更新!
10月11日(木)
・赤ワイン(ハーフボトル)
・ごはん
・じゃがいもと長ネギのミルクスープ
・鶏のトマト煮込み
・まいたけとしめじのシンプル炒め
日中は半そでが気持ちいいが、朝晩は冷えるようになった。暖まるものが食べたくなり、火を入れたものばかり作った。鶏のトマト煮込みは、ごはんとの相性がとてもよかった。別々に盛るよりカレーライスみたいに一つの皿に盛ればよかった。今度からそうしよう。
間借りしている研究所の年に一度のオープンハウス(外部の方々に向けての研究発表会)と、研究資金をいただいている領域の大々的なシンポジウムの日が近づいている。この日の仕事は、シンポジウムの予稿集の原稿作成とオープンハウスのポスターの修正に費やされた。
せわしなく働いた。いずれも、ひろく一般の方々に向けた表現が求められる。税金が投入されているプロジェクトに関わっているので当然の義務なのだが、ものすごく難しい。自分の興味関心だけで突っ走ってはいけないのだ。。。そうなりがちな研究者の習性を知ってか、研究所用のポスターは、社長チェックの前に、所長チェックが入るという念の入用だ。所長自らが私たちのポスターを再々修正してくれ、夜10時に、その確認を求めるメールが入った。こんな時間まで働いていらっしゃるのかと驚いた。もちろん断然よくなっていた。なんだこうすればよかったのか(というか、お手間を取らせてすいません)。
あともう少しで、怒涛のようなプレゼンテーション期は終わり、腰を落ち着けてデータにあたれるようになる。データにどっぷり浸かりたい。
10月12日(金)
・寿司屋で握りなどを
明日からの学会の前泊として、本日北海道入りした。噂には聞いていたが、冬のような寒さだ。夕方5時の時点で気温は10度。明日はもっと冷えるとのこと。ショートコートを持ってきて正解だった。
外歩きしたくなかったし、あぶらっぽいものを受け付けない気分だったしで、ホテルの隣にある手ごろな寿司屋で食事した。カウンターにはたまたま私だけだったので、お店の人に気を遣わせてしまった感がある。おいしい鉄火巻きとかサービスしてもらった。熱燗でひとり寿司をつまむ30代女(童顔気味)って、暴力的な存在だったかも。かたじけない。こういうときだけ初老男性に変身できたら、どんなに楽だろう。
10月13日(土)
・一次会:懇親会メニュー
・二次会:居酒屋メニュー
幼児虐待の問題を前に現場で対応している方々の話を聞いて、身につまされる思いがした。とくに虐待の被害者が加害者に転じる事例も多く、その負のループをどうやって断ち切ればいいのか、うまい解決策を誰もが模索しているが見つけきれていないのが現状だという。戦前に比べると誰もが平等に暮らしているという建前社会のかげで、非常にしんどい思いをしている子どもたちが一定以上の割合で存在するのだと思うと、そしてその子どもたちがものをいう術をもたない存在だと思うと、いろいろとこみあげてくるものがある。
司会を担当したワークショップも無事に終わった。ワークショップの企画者から、始め私の声がいつもと違って蚊の消え入るような声でびっくりしたと言われた。その理由をここで言おう。聴衆のなかにお二人、ものすごくしかめっつらで斜めを向いている方たちがいるのを発見して、一気に気持ちがしゅんとなってしまったからだ。なんで気持ちのなかで無視できないのだろう。我ながら気が弱いと思う。そんなんでこの世界で生きていかれるのか。強くありたいよ。
登壇をお願いした佐藤弁護士とは私が20歳の頃に知り合ったのだが、非常にご多忙を極める中で、この2時間のワークショップのためだけに東京から北海道とんぼ帰りツアーを敢行してくださったのだった。大変感謝している。その後の懇親会や二次会の席で、次の企画について方針もだいたい見えてきて、未来への希望が持ててほっとした。企画自体はシリアスなものになるとは思うのだけど。。。
で、今の私の頭は、明日の日本パーソナリティ心理学会主催の宮沢章夫さんの講演会のことでいっぱいである。自分の研究発表なら事前の作りこみが可能だが、今回はパネリストの役目なので、その手の準備は意味をなさない。宮沢さんの講演の内容に自分も寄り添う形での柔軟な思考が求められる。どういうボールを投げてこられるのかなあ。ポップなのかずどんと来るものなのか。とても楽しみである。
へたれな自分を自覚した今日の教訓を生かすなら、自分が話す直前まで他の人々の表情を見ないようにして、あくまで宮沢さんの話にだけ集中するようにしよう。ようは集中力の問題のような気がする。全くのアウェイの学会だし、他のパネリストの方々とは面識がないし、そもそも宮沢さんとちゃんとお話するのも初めてなんだもん、いろいろと気を揉み始めたらきりがない。もうこうなったらあっけらかんとしていよう。
3日分まとめて更新!
10月14日(日)
・居酒屋メニュー(洋風)
朝北海道から東京に移動し、宮沢章夫さんの講演会のある東洋大学へと向かった。お弁当つき会食をかねた事前打ち合わせが12時半からあったのだった。パーソナリティ心理学会のみなさんはとても親切でほっとした。本や論文等で存じ上げていた同じパネリストの山登先生や川野先生とも顔見知りになれてラッキーだった。そして何よりも宮沢さんと間近に接することができてとてもうきうきと弾んだ気持ちになった。おそらくその場にいた他の多くの方もきっと内心そうだったと思う。存分に、役得を実感した。
講演自体はあっという間に終わってしまった。40分はとても短いしもったいない。講演用メモを29ページも用意してくださったそうで、そのうち3ページぐらいしか話せなかったとのこと。本当にもったいなあ。講演内容は、『ノイズ文化論』と『演劇は道具だ』に関連するお話だった。
パネルディスカッションでは私はもっといいコメントや質問をすればよかったと反省しきりだ。パネリストになるのは初めてで、その場にいけばなにかしゃべれるだろうと思っていたが、甘かった。パネリストとしてのテクニックがきっとあるに違いない。いきなり短いことばで質問するのではなく、質問の趣旨が会場にいるより多くの人にも分かるよう説明を加えなければなかったなあと思った。要は、不親切なパネリストだったように思う。
会場には50名を超える方々がいらっしゃった。この講演会企画は通常は非常にこじんまりしているものだったらしく、異例のことだったそうだ。8割以上が「ニュータウン入口」をみてやってきた方々で、パーソナリティ心理学会員の方の割合は低いと事務局から伺った。
学会の企画なので、学問内容に直接沿った話をしたほうがいいのかとも思ったけど、出演俳優の杉浦さんもいらしていることを知って、せっかくのまたのないよい機会なので杉浦さんにお伺いしたかったことを質問した。極めて興味深いことをおっしゃっていた。鈴木メソッドの最初の型の発明者は杉浦さんだったそうだが、さよならをするため、あるいは何かを確かめるために「ニュータウン入口」でもやってみたそうだ。私が最初に質問したような、鈴木メソッドの否定的、批評的再現をしたかったわけではなかったらしい。宮沢さんはその場面についてはどう反応しようか迷っていらっしゃったとのこと。「ニュータウン入口」では俳優はかなり自由な行動決定権を持っていることに感銘を受けた。
懇親会では、宮沢さん、杉浦さん、白井さんとゆっくりとお話することができた。宮沢さんが前にいて、杉浦さんの声が真隣から聞こえ、斜め向かいのニート役の白井さんがチェルフィッチュの舞台そっくりのしゃべり方をするんですよ、夢のような時間でした。
帰りの新幹線では、会場でやっと手に入れることのできた『ノイズ文化論』を読んだ。この日よりも前に読んでおきたかったと、注文してから1ヶ月以上も待たしているアマゾンをうらんだ。
10月15日(月)
・ごはん
・八宝菜
・ねぎのちじみ、お好み焼き?
・ニラ餃子
さぼるために買ってあった刻みねぎパックのねぎが薬味として使い切るには微妙なほど大量に余っていたので、同じく微妙に余っていたお好み焼きの粉を利用してねぎのちじみを作ってみた。ちじみと呼ぶには分厚い、パンケーキ様のものが焼けたので、おたふくソースとマヨネーズをかけてお好み焼きっぽくして食べた。味は予想どおりそのまんまのソース味になった。ねぎの風味は消えていた。
なんとなくみんな風邪気味なので、ねぎやニラやら精のつくものを使った。風邪よ、どこかへいっちまえ。
この日締め切りの1800字の原稿がどうしても書けず、一日中もんもんとしていた。領域シンポジウム「表現の未来へ」に向けた予稿集の文面だ(シンポジウムの詳細はここです)。広く一般の方々に向けた文章が求められていたのだけど、距離感が本当に難しい。とりまとめの方にどうか1日だけ待ってくれとお願いしてひとまず寝ることにした。最近、締め切り関係のものは謝ってばっかりしているような気がする。ある人に送ったメールを後から読み返してみると、末尾には「申し訳すいません」と書いていたりと失敗も多い。おちょくっとんのかとよく怒られなかったなあ。
10月16日(火)
・ごはん
・カゼ撃退鍋
・昨日の残りのお好み焼きのようなもの
今日は昨日の苦しみはなんだったんだというくらい比較的すらすらと原稿が進んで、無事提出できた。これであと2週間は公的締め切りが何もない! 開放的気分でぱ〜っと騒げればいいのだが、原稿を書いたあとってなぜかぐたっと疲れてしまう。
夫とゆういちろうが本格的に風邪の初期症状を呈するようになったので、冬恒例のカゼ撃退鍋にした。長ネギと豚バラの他に豆腐やきのこ類を加え、たっぷりと大根おろしを添えるのが我が家のやり方だ。
食卓では、14日の講演会の「残り5分問題」の話題でもちきりになった。本当に時計時間の40分間で話を切っちゃったのよ。宮沢さんご本人が一番驚いたと思うけど、私もびっくりたまげたというくらい驚いたなあ。夫も第一線で活躍する研究者の方を招いての単独の講演会を企画したとき、一応90分でお願いしたけど興に乗ったことにまかせて一気に3時間くらいしゃべってもらったこともあるというし、「残り5分」の札は時計時間ではなく体感時間にまかせて出してもよかったと思う。
その3時間講演のときは聴衆も大変喜んでいたそうだ。後に予定を入れてしまっていた聴衆は泣く泣く自らその場を去ればいいだけだし。講演者の方だって、依頼の段階で3時間しゃべってくれと言われたらかなり躊躇すると思うのだが、結果的に3時間になってしまったからといって自分の大事な時間を倍も余分に取られたと腹立たしく思うことはないだろう。(またしつこい病が出た。ようは、14日は話の続きをまだまだ聞いていたかったのになあということです。)
■追記
空気のように当たり前に存在していて、危うく原点を書き忘れるところだった。今回の14日の講演会は知り合いの心理学者・荒川歩さんの企画によるもので、荒川さんから話がなければ知り合うこともなかった人々と知り合うことができて、おかげさまで感謝しています。私のなかでは荒川さんもいい意味でとらえどころのないとても不思議な人に入るのであった。
10月17日(水)
・日本酒
・握り寿司
・わかめとたまねぎの味噌汁
・茹でもやし、青じそドレッシング
今私が部屋を間借りして通勤している研究所は、関西学研都市の中核となる研究所で、かつて80年代の電電公社の民営化の際に国が得た多額のあぶく銭をもとにして作られたものである。アメリカのベル研を手本に、基礎研究は続けなければならないという使命を帯びた株式会社でもある。
新しい社長がきて3ヶ月あまり。前の社長は自他ともに認める気障な表現をよくする方で、自分たちのパトロンがかつての王侯貴族でなくなったことを強調したうえで、研究者は現在のパトロンであるところの納税者(=国民)に仕える錬金術師であり、新興宗教の教祖と取り込み詐欺師の性質を身につけ、金(=研究費)をぶんどってこいとしょっちゅう発言されていた。初めて聞いたときはえらいところに来たもんだと思ったものだ。
65才の新社長は、前社長が月に一度開催していた「言いたい放題飲み放題の会」の趣旨を引き継ぎ、「ワイン会」という名称に変更して、グラスをかたむけながらざっくばらんに社長と研究員が意見交流する場を設けた。私はそういうのにまだ一度も参加したことがないが、今度の金曜にオープンハウス向けポスターのコメントを直々にいただくことになったので、今日はそのワイン会の前の社長訓話には出席した。
サステイナブルな会社を目指さないといけないとスライドにはあった。お互いの信頼関係、コミュニケーションが大切だとも。そして訓話の最後には、これからワイン会でノミュニケーションしましょうともおっしゃった。今度の金曜はいったいどのようなコメントをいただくことになるのだろうか。
帰宅するとポストにふすま障子張替セールの個人広告が入っていた。広告には「店主の詩集コーナー」なるものが設けてあって、「56才青春ど真ん中」というタイトルがついてあった。次に、
最近うれしいことが続いている。
昔スクリーンで見た「石原裕次郎」や「小林旭」のように
ダイナミックな自分になった気がしてうれしい
一年程前から早朝散歩で素通りしていた公園で
無理のないよう小走りしたり、後向きで歩いたり
足腰を中心に体力作りを始めた。
とコトバが続いている。中間も、まぶしく輝く朝日までも自分に声援を送ってくれているような気がしたりとか、ものすごくポジティブなことが書かれてあるが非常に長いので割愛。ちなみに最後は、こんな感じだった。
そして誰もが認めるイケメンでいつも若々しく、
ドラマで「仲間由紀恵」があこがれ続ける理想の
恋人役にピッタリしそうな魅力的な自分が
スバラシイ。
(注)皆さんや皆さんのご主人のピッタリする
役はせいぜい嫌がる「仲間由紀恵」にメールを
送り続けて迷惑がられる男の役か、
ええとこ通行人の役柄程度のもんやデー、
お客を貶めてまで、この人はいったい広告で何をしたいのだろう。56才と65才の男性心理って本当に謎だらけだわ。というわけで、まともに食事を作る気がすっかり失せてしまい、パックの握り寿司を買ってきてすませましたとさ。本日おしまい。
10月18日(木)
・日本酒
・ごはん
・にゅうめん
・かんぱちの煮付け
・ほうれん草の白和え
実は今日は、なんだか会社にいくのが厭になってしまい、今週末の週末出勤分の振替休日をとって、思い切って静養することにした。風邪気味だしね。前日の社長訓話ショックをサラッとスルーできてこそサラリーマン研究者として生きていかれるのだろうが、今後のライフプランとか真剣に考えてしまうなどどうも私は本当に頭の切り替えが器用にできず、かなりだめだと思う。
と、思っていたときに飛び込んできた本日の個人的ビッグニュース! 相馬さんという方のブログのなかで私のことが取り上げられた。そして、今、再度確認してみると、それに対してなんと、「ニュータウン入口」のポリュネイケス役の「草間日向子」ことなんばさんからコメントがあった。うわ〜って感じだ。現実の世界と虚構の世界が入り混じってしまっている。こういう場合どこにどうお返事を出していいか分からないので、ひとまずここに書いておこう。
相馬さんのブログをどうして知ったかというと、「ニュータウン入口」の作者・宮沢章夫さんの日記によく登場するからであった。そのたびごとに読んではいたが、9月23日のときにピンときて、それ以降はブックマークをつけてほぼ毎日読みに行っていた。作品の感想(ここの9月23日付のなかの「ここをクリックすると、感想が表示されます」部分)が、意表をつかれる面白さだったからだ。同床異夢とはよく言ったもので、同じ作品を見ているはずなのに、自分では全く考えたこともなかったことが言及されていた。作品の解釈の幅をぐんと広げてくれるので、こういう事態はとてもうれしいのだ。だから読者になって間もない新参者ゆえのとても新鮮な気分で、「相馬さんのブログを楽しみに拝見しております」とご挨拶できたのだった。
今私たち家族は、外部に命綱(命網?)を一生懸命に積極的に求めているので、相馬さんやなんばさんからレスポンスをいただき、とても励みになっている。ありがとうございます。
もちろん会社内部のなかにも外部的な友人もいて、そういう人たちと話すのはとても好き。たとえば派遣アルバイトのKさん。アフリカの少数民族の言語データを収集するのが専門なのだが、そういう立派な専門がありながら時給制バイトをしなければならない現実がある。むちゃくちゃ教養のある派遣社員だ。ミャンマーの軍事政権のことで私がぶつぶつ言っていた頃、Kさんは10月1日に次のような日記を書いていた。
-----以下引用-----
「サイドストーリー:南アについて」
半年ほど前になるか,国連安保理での,ミャンマーの人権弾圧に対する制裁決議は,ロシアと中国の拒否権発動で反故になったのだが,そのとき,両国に同調して,あろうことか南アフリカ共和国が決議に反対したのだった.アパルトヘイトの反省から,民族融和を謳い,「世界一リベラルな憲法」を作ったあの国の政府が,である.
このときの南ア政府の態度については,ツツ司教が新聞紙上で怒りの声明を発表するほどで,僕の知人で南ア在住のジャーナリストも「わけがわからん」と首をかしげる不可解なものだった.「中国に媚びた」とか「恩を売った」とか,いろんな説があったが,ともあれ,いかに中国のアフリカ戦略が強力であるかを見せ付けた一件だった.
デモに対する無差別発砲というのは,白人政府時代の南アの軍や警察がよくやってましたが,さて,ミャンマーに対しての制裁が安保理で議論されるとしたら,南アはどう出るでしょうか?もし今回も中露の拒否権発動に同調し,ミャンマー政府を擁護するようなら,反アパルトヘイト運動の栄光の歴史も同時に幕を閉じることになるでしょう.
マンデラ爺さんも泣いてるぜ,きっと.
-----引用終わり------
そうなのだ。ワイン会でノミュニケーションなんて絶対にいやだと拗ねている場合ではないのだ。明日からは逃げずに会社に行こう。
10月19日(金)
・赤ワイン
・ごはん
・ビーフシチュー
・ルコラとクレソンとマッシュルームのサラダ
今週のあたまから夫はずっとビーフシチューが食べたいと言っていたので、週末だからそれを作ってみた。といってもそんなに時間をかけられるわけではないので、ハインツのデミグラスソースを使って手軽に煮込んだものを作った。さらさらとしたシチューになった。ゆういちろうはシチューの皿にご飯を入れて、とてもご満悦にかきこんでいた。そうか、なんということはない、ビーフシチューって西洋の肉じゃが(関西風)なんだな。
17日の日記で紹介した「56才青春ど真ん中」のふすま屋さんのことを会社の友人に話したら、興味を持っていろいろと調べてくれた。どうやら「50才青春ど真ん中」という詩集を出版されている方のようだ。おとといはイントラランスな気分だったが、今日は他者を受け入れるだけの余裕があった。私ってスバラシイ。
海野和男さんの「小諸日記」を読んだ。秋が心に染みた。
10月20日(土)
・牡蠣のスパゲティ
・昨日の残りのビーフシチュー
・かぶの浅漬け
昨日、ビーフシチュー=西洋の肉じゃが説を実感をもって体験したので、今度はかぶの浅漬けを添えてみた。意外と合う。いや、むしろ、積極的に合う。かぶの浅漬けはもともと淡白なので、ごはんといっしょに食べるより、洋食に合わせたほうがしっくり来るのではないかと思うくらいよく合っていた。
駅前のガソリンスタンドで我が家の愛すべきスズキのMRワゴンの洗車とオイル交換とそのほかの部品交換をした。私は免許も持っていないし、車のことは全く分からないが、オイルの色がチャバネゴキブリのような艶っぽい粘っこい色をしているのを見て、ことの深刻さが十分に理解できた。結構痛い出費だったが、命には変えられないと思った。案の定、きれいになった車に乗ってみると、発進のときのスムーズさが全然違う。それまでいちいちガックンときていた動きが霧消した。なんだかとてもいいことをしたような気がして気分がよい。
10月21日(日)
・ちゃんこ鍋
・〆、うどん
日本食研の「野菜のおいしいちゃんこ鍋スープ、みそ味」を利用して、簡単な鍋にした。いろいろなメーカーから鍋用のスープが売り出されているが、うちは日本食研のものが気に入っていてよく利用する。
秋晴れの気持ちいい日だった。昼間は保育園保護者会の行事、秋のレクリエーションをおこなうべく、けいはんな記念公園に出かけた。本行事の役員になっているので、いろいろと準備は大変だったが、太陽の光を存分に浴びることができてやってよかったと思った。役員でもやらない限り、けいはんな記念公園で遊ぶことは考えなかったから。子どものはしゃぎ声以外は聞こえない静かなところだった。
秋の公園といえば中原中也のイメージだよなあと言ったら、夫が中原中也詩集を貸してくれた。そのなかに「詩人は辛い」という詩があった。
詩人は辛い
私はもう歌なぞ歌はない
誰が歌なぞ歌ふものか
みんな歌なぞ聴いてはゐない
聴いてるやうなふりだけはする
みんなただ冷たい心を持つてゐて
歌なぞどうだつたつてかまはないのだ
それなのに聴いてるやうなふりはする
そして盛んに拍手を送る
拍手を送るからもう一つ歌はうとすると
もう沢山といつた顔
私はもう歌なぞ歌はない
こんな御都合な世の中に歌なぞ歌はない
この詩は1935年9月19日に作られたそうだ。その頃は、世界各地で民族主義的動きが見られ、近代文学が終わった時期だ。日本でも、すでにもう芥川が筆を折っている。詩人が流れに抗い、こんな文章を詩で表現しなければならなくなる時代なんてと夫は涙目になっていた。70年前と何も変わっていないじゃないか。何も進歩しちゃいない。
私の大好きな同時代の芸術家の方たちへ。歌ってください。もっともっと歌ってください。お願いだから歌ってください。私のために歌ってください。生きていてください。
10月22日(月)
・日本酒
・ごはん
・鶏の酢照り焼き
・かぼちゃとオクラとピーマンの煮物
・目玉焼き(夫とゆういちろうのみ)
・納豆(私だけ温泉卵入り)
・大根の漬け物
焼き物と煮物は夫が、目玉焼きはゆういちろうが作った。私はそのほかの細々とした仕事を分担した。かぼちゃがほくほくとおいしかった。季節なのかな。夏のかぼちゃはどこか水っぽかったのに、いつのまにか変化している。鶏の酢照り焼きはゆういちろうの大好物で、気持ちのよい食べっぷりだった。
今朝ゆういちろうが手をつけなかった温泉卵が残っていたので、納豆に混ぜてみた。なんだかとてもいけないことをしているような贅沢な味がした。その贅沢さは納豆と卵というどちらも滋養たっぷりのものを組み合わせることに由来すると思う。同じ卵を入れるといっても、例えばインスタントラーメンに卵を落としてもあまり贅沢な感じがしない。
仕事場では一日中論文読みをしていた。データ解析に入る前の助走だ。ある意味至福の時間だ。
2日分まとめて更新!
10月23日(火)
・日本酒
・皿うどん(硬麺)
・たまねぎとしいたけの中華風スープ
・青梗菜の塩炒め
スープは私で、それ以外は夫が作ってくれた。皿うどんにはウスターソースをかけるとおいしい。
この日は読みかけの論文を自宅に持って帰ってまで読んだ。読了。こんなに勤勉すぎてよいのだろうか。勉強や仕事って大好き!!
10月24日(水)
・ふらんすの料理
保育園の帰り際、ゆういちろうと大喧嘩した。折り紙で作った舟が見当たらない、「もうなんで?」といつまでもぐずぐずと言い、保育士さんにも当り散らすなど、やりたい放題だったから、もうそういう子は知らんと私が叱ったことがきっかけだった。
私もいったん怒り出すと止まらなくなる。これはまずいと思ったのか今度はゆういちろうが「ごめんなさい〜」と折れてきた。そういうとき彼は甘い言葉で「お外のふらんすの料理に行こう」と誘うのだった。夫の帰りも遅い日だったので、例によって例のごとく仲直りデートのような感じで食事した。
10月25日(木)
・ごはん
・あさりの味噌汁
・ぶり大根
・かぶとキャベツの温サラダ
・温泉卵入り納豆
しばらく脂っぽいのは避けたい気分いっぱいで冬っぽい献立にした。たんぱく質を取りすぎなような気もするが、よしとする。それにしても昼から軽い眩暈がする。なぜだ。
家の設計をお願いしている奥村昭雄・まことさんご夫妻から、ハガキが届いた。染色家の娘さんの展覧会「秋冬の服展」が奈良でも開催されるらしい。娘さんの仕事名は「織工おきぬ」とおっしゃって、朝寝坊のお利口さんの意味も含まれているとのこと。奥村先生関連のネーミングはいつもどこか飄々としている。詳細はここに。
東京の神楽坂では、昨日から展覧会が始まっているらしい。ご興味のある方はどうぞお出かけください。私も奈良の展覧会には行くつもりだ。奥村先生はいつも娘さんの織った深く澄んだ色のシャツを着ておられて、かっこいいなあと思っていた。これを機に自分たち用にもいくつか欲しい。(財布との相談だけど)
今週の土曜は、ウィングス京都で開催される佐藤真さんの映画「花子」の上映会に出かける。子連れでも大丈夫とのことで、ゆういちろうを連れていくことにした。初の映画体験が佐藤さんの作品だなんて、ラッキーな子どもだなあ。ゆういちろうには、騒ぐと即退出して一時保育先のあおぞら保育園にお泊りで預けるからなと厳重に脅してある。
上映会のあとは、花子さんのお母さんと細馬宏通さんとの対談があって、そちらも楽しみにしている。細馬さんはジャスチャー研究の第一人者であるが、それ以外にも本当に多才な方で、紹介するのが難しい。著書もたくさんおありだ。The Beach という日記に日々の思考が書き残されている。読むのを楽しみにしている日記のひとつだ。
私が院生だったころ、細馬さんも参加されている京大の研究会に呼ばれたことがあって、平田オリザさんや太田省吾さんの演劇のことについてお話したことがある。1999年9月20日付の日記で細馬さんはそのときの感想を次のようにまとめてくださっている。
---------引用はじめ-----------
京都で「コミュニケーションと自然誌」研究会。後安美紀さんによる太田省吾と平田オリザを題材にしたマイクロスリップ論。太田省吾の沈黙劇。時間を引き伸ばすことで、かえってそこに潜在していたさまざまな行為の可能性があらわになる。その可能性の中で揺れる鞄の緊張。平田オリザの、わざとらしさから回避することで得る同時発話のなめらかさ。
マイクロスリップ、という語について改めて考えさせられる。スリップ、ということばは、そもそも「誤り」という意味をはらんでいる。スリップ、といったとたんに、スリップせずにたどりつくはずだったゴールのことが想起される。スリップはプロスペクティブに起こるとしても、それは観察する側からはレトロスペクティブにしか観測できない。行為が成立すると見えたとたんに、たどりついたゴールとたどりつきそこなったスリップとが、事後的に観察される。
しかし、だからといって、スリップということばを放棄すべきか。事後的に観察者が行為の可能性を見い出すという点にこそ、じつは行為の色気が存在するのではないか。行為の可能性に近づきながら、それでも行為は成り続け、観察者は遅れて気づかされ続ける。そのような場所で、沈黙劇の手は揺れていないか。「スリップ」ということばは観察者の傷だ。しかし、それを「行為の可能性」とつるりと言ってしまうと、観察という行為も消えてしまう。
----------引用おわり------------
細馬さんの予言どおりに(?)、その後私は、つるりとものを言ってしまうことができなくなり、3年ほど観察も研究もしなくなった時期がある。人生のなかでそういう時期があったことは絶対によかったと確信しているが、でも、もう一度同じ体験を繰り返せといわれたらまっぴらごめんだなあ。つらいのはいやだもん。と、なますをふく感じで、ここでは過度に自分を慰めているような気がするなあ。
10月26日(金)
・チキンカレーライス
・昨日の残りのぶり大根の大根
・昨日の残りのかぶとキャベツの温サラダ
今週末を楽して過ごすためにカレーを作った。でも昨日の残りものもあって、組み合わせ的には全然あわない献立となった。でもここはお店ではなく家庭だからいいのだと、またもや自分を納得させた。でもあろうことか、かぶのサラダは大量に作りすぎて結局食べ切れなかった。考えてものを作らねば。反省。。。
今度の12月に発行される「認知科学」に青年団の創作過程をターゲットにした論文が掲載されることになった。午後はその校正作業をおこなった。プロジェクトの折り返し地点でひとつ成果が出てひとまずうれしい。認知科学はオンライン化が進んでいて、2004年に掲載された私の論文もここで読める(顔写真を見ると痩せていてびっくり!ちと怖い)。2004年のものはアルンハイムの著作『建築形態のダイナミクス』の読書感想文のような位置づけだが、今度の2007年度版はもっと実証的な研究になっている。『上野動物園再々々襲撃』の稽古場で出された指示の分析が半分を占めている。青年団のみなさん、そして旧金杉アソシエーツの俳優のみなさんの協力のおかげだ。
でも論文を書いた人なら誰でも納得することだと思うが、校正の段階では、別のことに取り組んでいることが普通だ。私の場合、今は『ソウル市民・昭和望郷編』の映像ばかり頭に浮かんできてしょうがない。でもいずれにせよ青年団関係者の方々には感謝してもしきれないほど協力していただいている。よく平田オリザさんはアイマークカメラを装着して稽古してくださったと思うし、俳優のみなさんもよくぞ出番の都度厭な顔せずマイク装着してくださったものだ。頭が下がる思いだ。いただいたものは大きすぎるけど、やれるだけのことを最大限お返ししていきたい。
他にも考えるべきこと読むべきものがたくさんある。結果のよめない仕事に従事できて幸せものだと思う。
10月27日(土)
・昨日の残りのカレーライス(小)
・カレーうどん(小)
・かぼちゃのコロッケ
・トマトのサラダ、しょうゆクミン風味
昨日の日記を読み返してみると、「でも」がやたら多いことに気付いた。書いているときは全く気付かなかったが、思考と言語って緊密につながっているのね。
夕食は残り物カレーを利用して簡単に済ませた。コロッケは生協の惣菜コーナーのもの。楽ちん、楽ちん。
昼間は、映画「花子」の上映会に家族で出かけた。ここにもあるように今村花子さんは毎日たべものアートを作っている知的障害者だ。映画の撮影のときは22歳。初の映画体験となるゆういちろうは思いのほか映像に引き込まれており、花子さんを見ると「子ども?おとな?」「女の子?男の子?」など逐一質問してきて困った。花子さんのお父さんが出てきたときは、「おじさんは後ろにいる?」と映写室を覗こうともしていた。私たちは何かあったときすぐ退出できるようにと一番後ろの列に座ったのだった。
監督は佐藤真さんだった。「阿賀に生きる」のときは被写体であるおじいさん、おばあさんと親密な距離のとり方が表に出ていたが、「花子」ではそうではなく、カメラは控えめにそこにいる感じだった。花子さんが暴れているときも、とりあえずじっと見ているような感じだった。初めて親戚のうちに泊まって、そこの家族が喧嘩を始めちゃったような居場所のない感じの妙な臨場感があった。ふだん「臨場感あふれる」という表現を使うとなんだかアップやスローモーションの多用などドラマチックな展開を期待してしまうが、そんなのは映画のなかにどこにもなかった。
冷たいといえば冷たい距離のとり方なのだろうが、そこに監督の誠実さが現れているような気がした。それ以外の距離のとり方をすると、今村家をだしに自分の表現の成功を狙っているような作品になってしまうことが予想される、ぎりぎりの距離感だ。「散歩のシーンが多用されているのがいいよね」と、作品のなかに抜け場が用意されていることを夫は指摘した。
第二部の花子さんのお母さんと細馬さんの対談もたくさん興味深い話が聴けたし、会場には花子さんご本人も来ていて私たちの2列前に座ったのだが、その花子さんとも対談中何度も目が合った(というか何度もこちらを振り向いてメンチを切られた?)し、私としては幸せな時間を過ごしたのだが、イベント終了後の夫の様子が変だ。細馬さんに挨拶する間もなく、早く会場を出ようというのだ。
会場を出るや、夫は「なんだあのバカ学生たちは」といきなり怒り出した。会場には集団で来ていた学生と思われる人たちのグループがいくつかあったのだが、真ん中一列をずらっと占めていた、帽子をかぶったアート系大学生らしき人たちの多くが、上映中スクリーンを見ずにふんぞりかえって携帯電話をずっといじくっていたというのだ。うっとおしい、だったら来なきゃいいのにと思う。私は映画に集中していて目に入らなかったのが救いだ。
さらに夫は続ける。「司会者のやつ、会が始まる前なんていってたと思う? 俺聞こえちゃったよ。あいつ携帯で『おれ、今ウィングス京都。今村花子の生活と表現の司会しなくちゃいけなくなったのよ。うん、いやいやいやすぐ終わると思うわ。終わったらそっち行くから』ってべらべらしゃべってたんだよ」とのこと。今回の上映会は、ろうきんグッドマネープロジェクト エイブル・アート近畿2007が主催するイベントのなかの一環なのだが、どうりで花子さんのお母さんや細馬さんの紹介の仕方に全く愛情が感じられなかったわけだと妙に納得してしまった。プロだったら舞台裏を観客に見せるなよと言いたい。
最初に挨拶した人も、京都で長年開催されている本イベントがメセナで賞を取ったことを第一に報告されていたが、佐藤さんが亡くなったことは知らなかったようだ。休憩時間にトイレにたったとき、「そうなんですか」と驚かれていた声が聞こえてきた。
私は自分がなにを大切にしているのかよく分かった。これから何をしなければいけないのかもよく分かった。表現者(含む障害者)を自分らの栄光のだしに利用するな。
10月28日(日)
・みそ味ちゃんこ鍋
・〆は卵雑炊
奥村昭雄、まことさんご夫妻と工務店の方といっしょに新しい家の打ち合わせをした。午前中は掃除にかかりっきりで、ぎりぎりセーフで何とか間に合った。
まことさんは仏徳山近くの採石場周辺で拾った色とりどりのかわいらしい石を持ってきて、これを玄関まわりのモルタルのアプローチにばら撒きたいとおっしゃる。豪華なタイルとかで埋め尽くすのではなく、その辺に落ちているきれいな色のなんでもない石を使いたいとのこと。コンセプトの段階で私たちもすっかり気に入った。石好きにはたまらない。
また雨どいはテラス付近の必要最低限に留めて、基本的には使わない方針である。屋根から落ちてくる雨のしずくは地面に埋め込んだ瓦が受け止めてくれるよう設計されている。昔ながらのロマンチシズムにあふれた家になることが予想され、うっとりとした気分になる。きっと雨の日が待ち遠しくなるのではないか。もちろん単なる懐古趣味ではない。屋根には工場でよく見られるような波板が使われ、ハードな側面も垣間見せている。
長崎の母を迎えて週末介護の日日にふさわしく、平屋のこじんまりした家となる。床は厚みのある杉板になる予定。杉は傷つきやすいがその分暖かい素材であるとのこと。ドアノブは値段的にはとっても安いものだが、職人技の光る金物細工屋さんの手によるもの。居丈高の真反対にあるような家が出来上がりそうだ。そういえば、偶然ではあるが、奥村先生と母は1928年生まれの同い年だ。奥村先生やまことさんの考える住み良い家はきっと母にも住み良いはずだ。
みなさんがお帰りになったあと、この絶対的な安心感や信頼感はどこから来るのかしらねえと言いながら、夕食を作った。
10月29日(月)
・海鮮丼+うどんのセット
駅前に洋食屋さんがある。何度か行ったことがあり、そのたびにかわいらしいなあと思うのだけど、私には少し女性的過ぎる感じの店だ。そこでチェコのアニメーションの上映会をやっていたので、家族で観にいった。感想を一言で言えば、もさっとしたアニメーションと言うことができる。子ども向けという体裁のなかで、芸術風であったり、社会批評をしたりするのだが、どこかくどくてこれ見よがしな作品に感じられた。好みからいうとロシアのアニメーションのほうが断然好き。
映画終了後、今年5月に駅前にできた巨大イーオンの中に入り、うどん屋さんで食事した。ニュータウン住民の正統的な行動様式が身につき始めている。
■追記
さらっと書いて眠るつもりが眠れなくなったので、子守唄代わりに日記を書こう。
最近映像のことばかり考えている。午前中は『ソウル市民・昭和望郷編』の稽古のビデオを見て、午後からは佐藤真さんの本を2冊読んだ。
1冊目は、『映画の始まるところ』。これによると映画『花子』は、もともとは「表現という快楽」と題された美術展の企画の一環で、『まひるのほし』の上映運動の続きの作品として構想されたものらしい。2001年1月に1週間ほどの短期ロケをおこない、3月の展示に間に合わせたという異例の強行スケジュール。
この美術展タイトル「表現という快楽」は、のちに「快楽という表現は障害者差別と受け取られる恐れがある」という美術館サイドの自主規制により、「二一世紀アートのエネルギーをみる展」に変更されたそうだ。「快楽」のどこが障害者差別につながるのか、私には全く分からない。障害者には快楽ということばはふさわしくなく、苦悩が似合うとでも考えているのだろうか。そのほうがよほど差別的に思えるから、そんな理由じゃないはずだ。じゃあ、いったい何がいけないのだろうか。。。
2冊目は、『ドキュメンタリーの修辞学』で、これはまだ半分ほどしか読んでいない。ワイズマンに関する話はとても参考になった。ワイズマンは、「個は必ずしも全体に奉仕するわけではない」という作り方を徹底している監督らしい。そういう意味では今日のチェコのアニメは、個は全体に奉仕し、全体で何かを表現しようとしていたと思う。細部がひとつひとつキラキラしているカチャーノフやノルシュテインの作るロシアのアニメーションとは対照的だ。
ゆういちろうは『花子』とチェコアニメーションと立て続けに映画を見ることになったのだが、『花子』のほうが印象に残っているようだ。今朝も食卓に着くや「花子は男の子?」「あれ何書いてたん、シュッ、シュッって。」といきなり質問。具象の絵に囲まれているゆういちろうにとって、見たことのないタイプの絵だったもんなあ。
夫は帰宅後発熱した。だらだらとしつこく続く風邪に付きまとわれている。
10月30日(火)
・白ワイン
・牡蠣のスパゲティ
・ミネストローネ、ごはん入り
スープは夫、スパゲティは私が作った。ふたりとも体調が本調子ではないので、シンプルな夕食で乗り切った。ゆういちろうはごはんをスープに浸して食べることがすこぶる好きで、今日も人一倍残りもののごはんを食べた。
夕方から小雨が降っているが、午前中はきれいに晴れていた。陽光のなかでモンティ・パイソンの"Always look on the bright side of life"とスティーヴィー・ワンダーの"A place in the sun"をお伴に足早に散歩したら、瞬間風速的にものすごく気分がよかった。あの気持ちよさはきっと麻薬のようなものではないか。
研究所の年に一度の大行事であるオープンハウスが近づいていて、準備も大詰めである。間借りの身の私の研究も今年はそこで発表することになり、机のぼろかくしのために、白布をかぶせて、そのうえにデモ用のパソコンを置くことにした。その白布が足りないので、探していたら、親切なお母さん的友人研究者がわざわざ地下にまで降りて、ひとつ探してきてくれた。
ところがせっかく見つけ出してきてくれたのはうれしいものの、これを使えと差し出された白布はどこか薄汚れていて、私はどうやって断ればいいかと初めから逃げ腰だった。「だってなんか汚いから、これはあんまり。。。新しいの買ってもらえるみたいだし」ともごもご言っていたら、お母さん的友人研究者は、「きれいなところだけ見えるようにして使えばいいでしょう」とわがまま贅沢な娘を諭すようにもっともなことをおっしゃる。
しばらく押し問答を繰り返したあげく、「でもやっぱりこういうのは」と言って私が白布を広げると、なんとそこには血痕が付着していた。ぎゃ〜である。なんでこんなところにそんなものが。。。さすがに友人もこれはやめたほうがいいねとあきらめてくれた。予想外の禍々しい展開はかえって笑いを生むようで、みんなで大笑いしましたとさ。この件に関して深入りは禁物だ。
10月31日(水)
・湯豆腐
・大根の漬け物
・ちりめんじゃこ
・卵黄入り納豆
今までだましだましやってきたが、ついにとうとう私も昨晩発熱してしまい、今日は仕事を休んだ。夕食は夫が作ってくれた。普通のごはんに対してはあまり食欲がわかない。
食間は実家から届いた葡萄を食べたり、奥村ご夫妻のお土産である手製のマルメロのジャムをなめた。小動物みたいに甘いものを食べてカロリーに変えている感じだ。
マルメロはビクトル・エリセの『マルメロの陽光』という映画(画家アントニオ・ロペス・ガルシアがマルメロを描く姿が描かれている)を見て以来、私にとってヨーロッパに対する憧れを表象する果物だ。それにしても奥村家の庭にはいろいろな実のなる木が植えられている。日本でもマルメロが育つことが分かってうれしい。