2007年11月
11月1日(木)
・長崎ちゃんぽん
研究所の年に一度のオープンハウス、正式名称はNICTけいはんな研究発表会/ATR研究発表会2007が始まった。体調がまったくよろしくなく、自然と不機嫌な態度をお客さんにとってしまいがちなことが自覚され、表にはなるべく出ないようにした。体力と気力って直結している気がする。まったく意欲的になれない。そういうのを他人に悟られないようどんなときでもにっこり笑顔を作れる人っているのかな。思い浮かぶのは皇族の人たちだが、あの笑顔は訓練でカバーしているものなのかな。
前同僚が部屋にやってきてくれて旧交をあたためた。「今だるいんです」と言っても大丈夫な相手なので、ぽつぽつと近況報告しあった。
夕食は夫が作ってくれた。彼も風邪なのに、すまぬこった。感謝。風邪は本当に嫌い。
11月2日(金)
・赤ワイン
・ビーフシチュー
・フェットチーネ、チーズクリームソース
・プチトマト
昨日より100倍ほど意欲が出て、普段の半分くらいの精力でもって研究発表会を乗り切った。ポスターを聞きに来てくださった方々、どうもありがとうございます。外国人には英語でしゃべらないといけないのだが、これは酷だった。英語の論文を渡してお茶をにごした。
夕食は、血管の詰まりそうな濃いものが食べたくなり、上のような献立にした。
知り合いの研究者夫婦に赤ちゃんが産まれたのだが、産休中の奥さんが赤ちゃんとともにやってきた。もう9ヶ月になるという。ラブリ〜。赤ん坊って、幸せの塊りのような存在だと思う。体温高いし、いるだけで場をぱ〜っと明るくするんだもんなあ。本当にラブリ〜。
ゆういちろうもよくぞ生まれてきてくれたと思う。先月学会に行ったとき、以前勤めていた大学で上司だった先生と再会した。新しいプロジェクトが始まるという悪いタイミングで妊娠してしまったのだが、その先生からは「人知れず堕ろしてくれればよかったのに」「次の人を採れないのは組織運営上痛いので、育休を取るぐらいだったら辞めてほしい」と正直に言われたのだった。で、私は大学を辞めることにした。「自主的」に辞表を書いた。
先月ひさしぶりにあったその先生は、「あなたが元気にやっていてほっとするよ。俺心配してたんだよ。本当に辞めるんだもんなあ。驚いたよまったく。せっかく大学の専任講師の職にありついてたんだよ普通は辞めないぜ」と言った。なんだか私は人から死ねと言われて素直に死んでしまった馬鹿みたいだが、馬鹿正直でよかったと思う。なぜなら研究者としても生活者としても今のほうが幸せだからだ。
嫌味で言っているのでもなんでもなく、そのおかげで今があると思っている。私怨はまったくない。あなたがたは人の命よりも大事なあなたがたの組織を守るためにせいぜい奮闘してください。でも私の好きな人たちを巻き込むのは、お願いだから止めてください。私は別の生き方をしたい。私は最後までゆういちろうを守るし、彼から守られていると思う。いい仕事をしたいと思う。
11月3日(土)
・日本酒
・しゃぶしゃぶ
・〆はうどん
気持ちよく晴れた。午前中は庭に出て、夫に花の写真を撮ってもらった。たくさんの蝶や蜂が熱心に蜜を吸っていた。蜘蛛も軒下に巣を張り、獲物を待ち構えている。海野和男さんの小諸日記のようにはいかないが、昆虫入りの写真をここにアップした。
午後になってゆういちろうといっしょに公園で遊んだ。公園ボランティアのさとうさんという方と偶然話し込むことになり、この辺に生えている樹木についていろいろと教えてもらった。庭木をどうするか、植えたい木を5本挙げよというファックスがちょうど奥村ご夫妻から届いているときだったので、グッドタイミング。ちなみに奈良は椎(しい)の木がシンボルツリーとのこと。小さめのどんぐりのなる常緑樹。ウィキペディアによると「生でも食べることができるドングリをつけるため、縄文時代には重要な食料であったと言われ、現在まで親しまれている」らしい。庭に1本いいかもしれない。
3時過ぎには、前にもここで紹介した(奥村ご夫妻の娘さんでもある)織工おきぬの奈良展に出かけた。猿沢池近くのお店の一角を借りての展示会で、観光気分も味わえた。噂には聞いていたが、その前の東京の展示会でたくさん売れてしまったのであろう、あまり数がなかった。そのなかでこれはというシャツとスカーフに出会えて、私はもう、うっとりと満足している。ターメリック色というのか辛子色というのか、深い黄色のシャツに水色のスカーフを巻くととてもきれいなのだ。スカーフは藍染めなのだが、白の縦糸に、濃い藍色ではない薄いブルーの横糸が使われているので、全体的には渋い水色のように見える。庭の写真もそうだし、今日は黄色とブルーの気分なのね。
夕食はしゃぶしゃぶ。恢復期とも重なり、待ちに待った週末にふさわしい。休みの日になるとうれしくていつもより早起きしてしまうのだった。恢復期を堪能するために風邪はある。
11月4日(日)
・日本酒(おちょこ1杯だけ)
・ごはん
・おでん
・朝の残りの焼き塩鮭
・ちりめんじゃこ
昨日はしゃぎすぎた。そのせいか今日は家族内で風邪がぶり返してしまった。とくにゆういちろうがひどく、今朝2回吐き、今も微熱がある。油断するにもほどがあった。
夫がおでんを作ってくれた。長時間煮込まれたおでんはなんでこんなにおいしいのだろうというくらいおいしかった。大根をはふはふ言いながら食べると風邪もよくなる気がする。それにしても憎たらしい風邪だ。このタチの悪いねちっこさには呆れる。
俳優の南波典子さんのブログで、大阪アジアン映画祭にて、本日、青山真治監督の『こおろぎ』が上演されることを知り、昨日まで行く気まんまんだったのだが、熱のある子どもを置いて外出する気は起こらず、うちでおとなしく過ごすことにした。と、我が家のことはさておき、さらにそのブログの最新記事(11/4)によれば、南波さんはご結婚されるらしい。舞台上の南波さんをうっとりと眺めてきた私にとっては、めでたい知らせなのだった。しかも旦那さんのお名前は、佐藤拓道さんという。同姓同名の人が他にいなければおそらく「ニュータウン入口」に出ていらした佐藤拓道さんだ。きっとそうだ。なんてすばらしいんだ。末永くお幸せに!
11月5日(月)
・日本酒
・焼きビーフン
・細切り大根、人参、たまねぎの中華スープ
・ぎょうざ
・温泉卵入り納豆
スープは私が作り、それ以外は夫が作ってくれた。二人でとりかかるとあっという間にできる。本日の食卓のメインの話題は、映画『死霊の盆踊り』だった。
ことの始まりは、ランチのときの同僚の話だ。彼は最近その映画をDVDで見てしまって、誰かに話さなくては気持ちがおさまらなくなってしまっている。脚本はエド・ウッド。宣伝費わずか50万円にもかかわらず、日本でも中島らもや「うる星やつら」などが取り上げ、一時期とても話題になった映画らしい。同僚いわく、映画の内容も拷問的にしょうもなかったのだが、DVDのなかには特典として入っている監督のロングインタビュー(40分!)がこれまた身悶えるほど実に退屈で、感情のもって行き様に困ったとのこと。
「後安さんだったらしゃれが分かるかもしれないけど、ご主人がこれを見たら怒り出すかもしれない」と言われ、帰宅後おそるおそる話題をふってみたのだった。
夫の答えは、「ああ、それ学生のとき見たよ。すごい話題になったやつでしょ。めっちゃくだらなくて笑えるやつだよね。」と予想外のものだった。80年代以降たくさんハリウッド映画を見て楽しんでいたようで、とても詳しい。で、「俺ってもしかして大衆芸能嫌いのいけすかない奴って思われているわけ?」と詰問されて困った。でもなぜ今頃『死霊の盆踊り』なんだと同僚の趣向を逆にいぶかしく思ったりもしている。
そして私は果たしてその映画を見るべきか否か。たぶん見ないような気がする。リアルタイムだったらまだしも「お勉強」「教養主義」で見たらつまらないでしょ。といいつつこっそり見て後悔してしまうかも。でも同僚はなんで最近になって見たんだろう、今度聞いてみよう。
テレビでは浅田真央の滑りを映していた。熱心にみていたゆういちろうは、「きれいだねえ、真央ちゃん」と感心し、ふいに私のほうを見て「おかあさん、全然かわいくない」とひどいことを言う。
11月6日(火)
・ごはん
・大根と豆腐の中華風コーンスープ
・チキンマカロニグラタン
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・かぶの漬け物
息抜きによった本屋で『ねぎ・しょうが・にんにくの元気レシピ』という料理本を見つけて、思わず買ってしまった。衝動買い。帯に「血液サラサラ・体を温める・脱メタボリックに!」「薬味だけなんてもったいない!毎日食べたい、本当にからだのためになる91品」「とにかく作りやすい、そして白いご飯に合う だから毎日おいしく食べられる!」とあって、惹かれてしまったのだ。からだが疲れているのだな。
さっそく料理本を見ながら、ねぎたっぷりチキンマカロニグラタンを作ってみた。思ったよりおいしくできたと自負しているのだが、ゆういちろうの反応はいまいちで少し残念だ。彼はあまりグラタン系の料理を好まない。かわりに渋いものが好き。例えば今朝はあぶったししゃもを私の分まで食べた。
ゆういちろう、私と伝染してきた結膜炎様の症状が夫にまで伝播し、目がかゆくしょぼしょぼするという。全体的に免疫力が低下している。やだやだ。(最近病の話ばかりで自分でもいいかげん飽きてきているが、家族の記録として書き留めておく。)
10時半ごろ帰宅した夫は、何か面白いことはないかと私に聞いた。「全然」と答えると、「何か面白いことを言って疲れた夫をなぐさめるのが妻の役割だろう」と半分本気の冗談交じりに言うので、「どんなに面白いことがあってももう絶対に話しません」と応えた。よそ様にはどうでもいい話ですいません。
11月7日(水)
・ごはん
・たくさん野菜のコンソメスープ
・チキンマカロニグラタン
・サーモンのお造り(ゆういちろうのみ)
・プチトマト
・温泉卵入り納豆
昨日マカロニグラタンをたくさん作りすぎたため、オーブンに入れる前の状態のものを半分を残していた。本日、改めて焼いた。ゆういちろうはこのグラタンは食べないので、特別にお造りをつけた。夫の帰宅が遅いので、ふたりで食べた。会話が成立するようになってから、ふたりの食事も楽しくなってきた。
今まで逃げ惑ってきたけど、ついにとうとう英語論文の査読をしなければならなくなった。かなり気が重い。こういうのをさくさくできる人って尊敬するなあ。卑屈になっているのでは全くないが、歴然とした力量の差を感じる。私の場合は英語能力のなさをカバーすべく愚直すぎるほど丁寧に取り組むしかない。
自分が投稿した論文の査読結果も返ってきた。ふたりの査読者の方がそれぞれ「照会(照会後再判定)」と「不採録」の判定をつけて、編集委員が「照会」という判断を下したためかろうじて不採録を免れた感じだった。初めからシャットアウトの不採録通知でなくてほっとしたが(何度か経験があるがそのたびにしゅんとなる)、いつもながら論文への道は厳しい。
「格調高い文体にするため未定義語が多く、しかも少しづつ意味を変えて新しい言葉を使っていくという文学評論などにある記法」というのがだめな理由の一つとされている。これは本当に難しい。私の書く文章は、いわゆる文系の人からは理系扱いされて芸術の本質を理解しない無味乾燥な内容と言われ、いわゆる理系のひとからはなぜか「格調高い」と言われてしまうのだ。どちらにもいい顔しようとするからいけないのかな。つまりちゃんと使い分けできるよう自分のなかに2面性を入れていかないといけないのかな。それともこの両義的な書き方を洗練させていくよう努力したほうがいいのかな。
あと、追試可能性と類似研究をしたいと思う研究者を作らなければならないのに、そのことに対して配慮がないのもだめな理由。めちゃくちゃ難しいわ〜〜〜。でも、がんばろ。
2日まとめて更新!
11月8日(木)
・赤ワイン
・ごはん
・前日の残りの野菜のコンソメスープ
・ビーフステーキ、トマトしょうゆソース
・3種類きのこのガーリックソテー
・かぶの漬け物
研究所のお母さん的友人研究者に車で家まで送ってもらえた。ラッキー。ありがとうございます。
ステーキをがぶっと食べたくなり、週末でも記念日でもないがステーキの日にした。前日の残り物の野菜スープがやたらおいしくなっていた。使った野菜も、残り物。つまり、キャベツやブロッコリーの芯など冷蔵庫に微妙に余っているものを中心にした。得した気分だ。
照会判定の出た投稿論文を読み返してみて、青ざめた。査読者の方々の言うことは逐一正しく、一番だめだろうと思ったのは結論が書かれていなかったことだ。何をしていたのか。慌てて提出したものは本当にろくなことがない。落とされなかっただけ御の字だ。捨て子を拾ってくれたような種類の感情(恩?)を感じる。12月2日締め切りなので、時間は非常に限られているが、採択レベルに達するよう心して修正しよう。最後まで気を抜くな、自分。
11月9日(金)
・ごはん
・なめこと豆腐の味噌汁
・鰻の蒲焼
・オクラのしょうゆマヨネーズソース
・温泉卵入り納豆
・きゅうりの漬け物
ゆういちろうが鰻を食べたいと言い張った。昨日はステーキで今日は鰻というのは贅沢すぎる気もして最初は止めようと思ったが、あまりにしつこく言い張るので1匹だけ買い3人で分けることにした。私は一切れ、ゆういちろうは2切れ、夫は3切れ。今日も深夜近くに帰宅する夫にたくさん食べさせたいという、珍しく殊勝な妻としての気持ちが反映している(からだにいいのか悪いのか分からないけどね)。
午前中は、青年団の『ソウル市民・昭和望郷編』の稽古のビデオで見た。稽古前半にあたる、北海道(美瑛)合宿時のものである。該当する稽古日のフィールドノートを開いたところ、「熊が出たらしい。注意」と書いてあった。思い出した。この日のミーティングでは、北海道のヒグマは本州のツキノワグマより大きくて獰猛でとても危険な存在であるので、ひとりで山奥に入るなというお達しが出たのだった。
今日は、新しい家の設計者の奥村まことさんが植木屋さんと現場の土地を見ながら打ち合わせするために奈良にやってきているはずなのだった。どんなことが話し合われたのかな。まことさんは手紙で采振木という木を候補のひとつに挙げていた。知らない名前の木だったので、インターネットで調べてみたら、読み方はザイフリボクといい、こんな感じの樹木である。そういえば以前東京のご自宅兼事務所に打ち合わせにいったとき、庭になった赤い実の砂糖漬けをいただいたのだが、たしかザイフリボクと言ったような。。。
私もひとつだけ希望を伝えた。山椒ばらを和室の前に植えたい。山椒ばらは箱根に自生する原種のひとつで、趣のある一重の花を咲かせる。ばらは花束でもらうのは八重も大好きだが、庭に生えているのは一重のほうが好きだ。せっかく庭でぽってりした八重の花を咲かせるなら、牡丹のほうがよほどインパクトがあって好き。かといって、がちがちの東洋趣味の庭を好むわけでもないのだなあ。(←この辺のことは奥村ご夫妻にすでにお伝えしてあり、似たような好みを持つことを確認しあっているので安心だ)。
2日まとめて更新!
11月10日(土)
昼 ストークにて
・ハヤシライスセット
・牡蠣のグラタン
夜 金谷にて
・肉さし
・すき焼
夫が朝起きて寝床のなかで、「伊賀上野ですき焼を食べる、一泊小旅行に行こう」とおもむろに言い出した。「おー!」と答えた。断る理由などない。目的地は自宅から車で50分ほど。
11月11日(日)
・居酒屋メニュー
伊賀上野から急いで帰ってきて、そのまま京都の法と心理学関係の研究会へ。夜はみなさんと懇親会へ。そういえば、朝食を食べに入った喫茶店には、元永定正(伊賀上野出身者!)の絵がたくさんかかっていた。
11月12日(月)
・ごはん
・豚汁
・はまちのお造り(ほんの少々)
・きゅうりの漬け物
一雨降り、夕方から急に冷え込んだ。具沢山の豚汁を大量に作った。ほっとする食事となった。汗を流すために「入らなければならない」のではなく、からだを暖めるために「入りたい」と思える風呂の季節になった。そろそろチューリップの球根を植えることを考えないと。
風呂から上がると、初めて「な」の字が書けたと、ゆういちろうが大興奮して報告してくれた(今までは最後の円の部分が反転していた)。渡された紙を見ると、数字やアルファベットがランダムに並んだ文字列のなかにひとつだけ「さかな」と有意味語が浮かんでいる。書きたい文字はキーボードを見て探せばいいと、自然と覚えたようだ。偉い! その探究心をいつまでも持ち続けてくれまいか。というか、もともと小さい子どもはこんなに「勉強好き」なのだから、それを「勉強嫌い」にしてしまわないよう気をつけるのが親の務めなのではないか。
11月13日(火)
・ごはん
・昨日の残りの豚汁
・さばの塩焼き、たっぷり大根おろし添え
・卵焼き
・かぶの漬け物
さばの塩焼きと大根おろしは夫が、卵焼きは私が作った。昨日に引き続き、ほっとする食事となった。ひさびさに出してみて気付いたこと。ゆういちろうはさばの塩焼きが大好きみたいだ。昔はあんまり食べなかったと思うのだが。
奥村まことさんから手紙が届いた。植木屋さんと相談した結果の新しい家の庭の案が提示されていた。「全体は今の雑草生(ざっそうふ)を生かして、ほんものの雑草生とは、こういうものだ、というようにしたい。」とあった。奥村家の庭も、生の雑草がたくさん生えているのだけど、とてもいい感じだった。小鳥が種を運んできて、毎年違う見知らぬきれいな花を咲かせるのが楽しめるそうだ。うちもそうなればいいな。
手紙によると、庭に植える木は次のようなもの。
門の左側はおとこようぞめ。右側は金木犀。土手は転落防止用につくばねうつぎ(アベリア)の低い刈り込み。前庭には山椒ばらと紅梅。奥庭にはそよごと西洋ざいふりぼくとレーラント桧。レーラント桧という名の植物は聞いたこともなくインターネットにも載っていなかったが、奥の家にある植物だそうで、同じものを植えてつながり感を出そうというねらい。台所近くには南天と山椒。これは料理用だそうだ(葉をいろどりに使うのかな?)。
今も緑に塗られた図面を見ては、うっとりと想像を膨らませている。
4日分まとめて更新
11月14日(水)
・ごはん
・あさりの味噌汁
・白菜ほっぽり鍋
・温泉卵入り納豆
帰りのバスと電車のなかで平野レミの『笑ってお料理』(ちくまプリマー新書)を読んだ。あっという間に読める分量だった。そのなかの「白菜ほっぽり鍋」のレシピがあまりに簡単でおいしそうだったのでさっそく作ってみた。万が一だめだったときのための保険として、温泉卵入り納豆を出してしまったが、今度からは必要ないと思う。つまり我が家の定番になる予感大。
白菜ほっぽり鍋の作り方。「白菜と豚バラ薄切りを一口大じゃなく大口大に切って、鍋に交互に並べ重ねる。フタをして、白菜がぐったりとして透き通ったらでき上がり。ポン酢でいただく」(前書p.82より抜粋)。ポン酢に大根おろしをたっぷり添えるといいと思う。
11月15日(木)
・日本酒
・すき焼
・ごはん
・豆腐とわかめの赤だし
ゆういちろうの5回目の誕生日だった。実家から届いた肉ですき焼にした。1週間に2回もすき焼なんて禁断の域に足を踏み込んでしまった(実家の両親は私たちが10日に金谷に行ったことは知らない)。〆の赤だしには、奥村ご夫妻からいただいた昔みそを使ってみたら、まことによく合った。
いろいろな人々からいろいろなものをもらって生活しています。ありがたいと思う。
11月16日(金)
・白ワイン
・宅配ピザ
・かぼちゃのスープ(パック入りの)
帰りが遅くなり、夕飯を作る気が夫婦とも起こらず、宅配ピザにした。生のバジルの葉を散らすタイプのピザにした。だめなイタリア料理屋のものよりおいしかったりする。私が学生の頃の状況とは大違いだ。以前家族で入った隣町のイタリア料理屋では、どう考えても冷凍ピザをチンしただけなんじゃないかと思うのが出てきて驚いたことがある。見た目がおしゃれそうに見えるお高い店だけに余計に腹が立った。もっとさっぱりと生きたいのはやまやまだけど、宅配ピザを食べるたびごとに今でもしつこく食卓の話題にのぼるエピソードである。
11月17日(土)
・味噌味ちゃんこ鍋
・〆卵雑炊
ここのとこすっかりとこの日記を書かなかったのは、夜睡魔に襲われることが多かったからである。夜12時前に睡魔が襲ってくれるのはとても健康な気がするので襲われるままにほおっておいて時がたったのである。
閑話休題。
昼間はゆういちろうの七五三記念の写真を撮りに写真館に行き、3歳のときと同じく奈良公園内にある手向山八幡宮にお参りした。よくぞ大きな病気もせず健康に5歳を迎えることができたと思う。どうか22世紀まで生きて、親である私たちの絶対見れない世界を見てほしい。写真をここにアップした。
夕飯は市販の鍋スープを利用してちゃんこ鍋にした。鍋大好き。鍋ありがとう。
11月18日(日)
・ビール
・チキンカレーライス
明日の領域シンポジウムに向けて東京入りした。
せっかく上京しているのでアゴラ劇場に寄って、青年団の方々の生身の顔を見てほっとした気分になったり(映像で毎日根をつめて見ている反動)、元祖演劇乃素いき座の『阿房列車』という作品を観た。夕食は駒場のルーシーというカレー屋で。
その後、銀座まで足を伸ばして山村浩二監督のアニメーション映画 『カフカ田舎医者』をレイトショーで観た。原作の「田舎医者」は池内紀による最近の訳で読んだことがあって、吐き気を覚える眩暈系の作品だった。アニメーションでは吐き気まではしなかったが、じゅうぶん病気な感じがした。見ていてきついものがあった。私は臆病なので、作者本人は健やかたらんとしている(のにどこか狂気が見え隠れしてしまっている)作品のほうに惹かれる。
出発前もかなり後ろ髪を引かれる思いだったが、さきほどの電話によるとゆういちろうが熱を出しているようで気がかりだ。明日は大事な仕事だときつめに自分に言い聞かせよう。ぼーっとしないようにしよう。自分の研究発表のことよりも、どちらかというと明日は我が身のこととして、今年度が最終となるさきがけ一期生の方々やCREST一期のチームの着地点をしかと拝見したいというのが大きい。
11月19日(月)
・懇親会(正しくは交流会)メニュー
領域シンポジウムでは個人的にうれしいサプライズがあった。今は少々眠いのでそれはまた明日にでも喜びをこめて書こう。
帰りの新幹線では、藤井貞和さんの『釋迢空』を途中まで読んだ。釋迢空(しゃくちょうくう)とは民俗学者折口信夫が歌人となったときに使う別名である。副題にもあるように日本語における詩の発生を論じた書物だ。実は私は、藤井貞和さんの詩に対してまだぐっときたことがないのだが、論考文には何度もぐっときてしまうのだった。
例えば、次のような文章。「物語か。それは何であるのか。私は物語学の第一ページにこのように書く。――物語学は神話なき時代の神話学だ、と。だからいえる、物語は神なき時代の文学であると。」 p. 9
また例えば、折口信夫のことばを次のように要約引用している。「芸能は形式からみれば饗宴で、内容からみれば鎮魂である、」 p. 138
一度聞いたら忘れられないフレーズが文章として並べられていて、読んでいてかなり疲れるけど、かっこいいと思う。どうあがいても自分にはまねできないタイプの文章だ。
そういえば、昨日は駒場東大前駅でお世話になっている兄貴的先生ことKさんに偶然ばったり出会ったのだった。真央ちゃん(フィギュア)のレイバックスピンはすごいと確認しあってKさんは下北沢方面に、私は渋谷方面にそれぞれ向かった。
11月20日(火)
・白ワイン
・ごはん
・昨日の残りのミネストローネ
・グリルチキン
・春菊と生ハムのサラダ
・トマトのサラダ、しょうゆクミン風味
ゆういちろうの目と鼻と口にできものが出来て少し化膿してきたので、保育園帰りに夫が病院に連れて行った。そのあいだに私は夕食を作った。ゆういちろうはとびひになりかけているらしく抗生物質を処方してくださった。ひさびさにお世話になったT先生は、「ゆうちゃん、もう5歳になったんやなあ」と優しく語り掛けてくれたとのこと。私は1年半以上お会いしていないけど優しい顔が思い浮かぶようだ。
昨日の個人的ビッグニュース。領域シンポジウムでのポスター発表に、カオス数理解析がご専門の合原一幸先生が見に来てくださったことだ。先生が編集した『カオス時系列解析の基礎と応用』を読んで勉強して時系列解析をおこなっただけにとてもうれしい出来事だった。しかもそれだけでなくその後の公開パネルディスカッションの場でわざわざ「感動的だった」と私の研究を紹介してくれた。で、いったい何が感動的だったかというと、リカレンスプロットというかなりマニアックな手法を私が用いていることなのだ。つまり先生の感動のつぼ自体が大変マニアックなところに本件のポイントがある。もう少し詳しくいうと、
合原先生がおっしゃるに、リカレンスプロットはとても強力な手法だけどそれを使う研究者は世界でも100人ぐらいしかおらず、そんなトキのような絶滅危惧種のような存在が、この領域でちゃんと保護されていることに感動されたらしい。交流会の席でも、論文を送るようにと名刺をくださり、なおかつ先生の最新の論文はリカレンスプロットに関するものであるとのことで、完成したらこちらに送っていただけることになった。予想外にむちゃくちゃラッキーだ。
私はそんな「世界情勢」のことは知らず、びっくりしている。このまま無自覚なまま研究を進めていれば、「なんとかに刃物」「保護観察」状態になっていたのではないか。中身の数学的意味をもっとちゃんと理解して、現象の意味に迫れるだけの成果をあげたい。身の引き締まる思いだ。
2日分まとめて更新!
11月21日(水)
・日本酒
・キムチ鍋
・温泉卵入り納豆
・〆、卵雑炊
ふだんは市販の鍋つゆを利用することが多いのだが、キムチ鍋に限っていえば市販のものを使うと夫の体がなぜかかゆくなるので、ベースのスープは手作りすることにしている。昆布だしをとり、キムチをつけ汁ごと加え、甜麺醤(もしくは豆板醤)と普通の味噌で味付けすればベースのスープの出来上がり。友人におしえてもらったレシピを記憶を頼りに再現したものだが、韓国、中国、日本のいいところがミックスされていて、なかなかいける。
夕飯の材料を買いに入ったいつもの生協で、ゆういちろうは走り回り、あげくに転んでしまい、買った商品を袋に詰め替える台のふちで鼻を思いっきり強打した。鼻のふちは切れ、骨のあたりがすぐに盛り上がった。20分以上も火のついたようにずっと泣きじゃくった。ちょっと目を離した隙の出来事だった。目と口にも生々しいかさぶたができているので、なんだか殴る蹴るの虐待を受けたのではないかと思われるような悲惨な顔つきになってしまった。
11月22日(木)
・赤ワイン
・チキンカレー
・トマトとベビーリーフのサラダ
ゆういちろうの鼻の腫れが全然ひかないので先日お世話になったばかりのかかりつけの小児科の先生に診てもらった。念のため耳鼻科の先生にも診てもらったほうがいいということで、病院をはしごした。結果は脳や視神経に今のところ異常は見られず大丈夫でしょうということだったので、ひとまず安心した。耳鼻科の先生に教えてもらったのだが、陥没したとか明らかに曲がっているとかなければ鼻のレントゲンは撮らないそうだ。つまり万が一骨にひびが入っていたとしても、普通は放っておくそうだ。外から切って直すほうが顔に傷が残りやすく、成形の意味がないとのこと。腫れは2日目をピークにして少しずつ落ち着いてくるはず。内出血の色がそのうち下のほうにも広がってきて青色から黄色に変色してくる。注射後の皮膚の様子と同じで、元に戻るのに2,3週間かかる、そういうものだと思うように。と、てきぱきと分かりやすく説明してくれた。
顔はどこか一箇所でも普段と違うところがあると、全然違って見える。私がちょっと目を離した隙に起こった怪我だった。一瞬の油断。。。鼻をぶつけた直後は「だから走るなって言ったでしょうが」と叱り、本人も自分が走ったからそうなってしまったと十分に理解しているようだったが、今になって私も素直に「ごめん、見てなかった。痛かったろうに」と思う。もし鼻をぶつけた台に荷物をかける釘様の出っ張りがあったらどんなことが待ち受けていたかと思うとぞっとする。
今日は生協に行きたくなかったので夕飯の材料は夫に買ってきてもらい、明日も食べられるよう手抜きカレーにした。明日は休みだけどおとなしくしていよう。
11月23日(金)
・洋食屋メニュー
3連休初日の休日。夫は出張なのでゆういちろうとふたりきり。さて何しようと朝を迎えたが、結局3つの公園をはしごし、日中ずっと外で過ごした。3件目の公園では紅葉に囲まれた池で鯉にえさをやったり。のどかよのう。
ただ心のなかはのどかではなかった。昨日仕事を休んだし、どうしても締め切りの近い原稿のことを考えてしまう。でも一昨日はそのせいでぼーっとして、ゆういちろうのことをホリホリにしておいて怪我を招いた。だからなるべく一緒にいて見ていたい。葛藤だ。
帰宅しておもむろにごはんを炊いて、カレーソースを温めなおしてかけることすら億劫になり(かなりだめ人間に近い)、公園帰りの足のまま6時ごろに外食することにした。じゃがいものスープにえびクリームコロッケ。血管詰まりそうだ。葛藤だらけの生活である。
■追記
朗報といえば、今朝起きがけが腫れのピークだったゆういちろうの顔の様子がだいぶ元通りになりつつあることだ(今もなお見る角度によってはお岩さん状態に見えるときがあって、どきっとすることもあるが)。耳鼻科の先生の言うとおりに事が進んでいるので、昨日より多少腫れても目に黒い隈ができても、うろたえることはなかった。専門家の意見はやはりありがたい。
11月24日(土)
・カレーライス
・カレーうどん
・マッシュルームと春菊のサラダ
木曜に作ったカレーを食べ終えた。最近のお気に入りは、春菊をオリーブオイル、酢、塩、こしょうのシンプルな味付けで生のままばりばりとサラダにして食べることだ。
昼間は七五三写真の注文(何枚か現像されたなかから好きなものを選ぶ作業)をしに奈良公園近くの写真館にいくついでに、東大寺戒壇院の広目天を見にいった。仏を守る四天王のうちただひとり武器をもたず、代わりに筆と巻物を持っているのが広目天である。しかも東大寺戒壇院の広目天はとても男前だ(例えばここに顔写真がある)。まさに私の理想とする男性像である。ポストカードを求めようとしたが、広目天だけが売り切れていた。また会いにいこうと思う。
■追記
最近、多田富雄先生の『わたしのリハビリ闘争』を読んでしまった。やたらと仏像を見たくなっているのは、確実にそのせいだと思う。書き下ろし箇所の「はじめに」だけを読んだとしても、いったい今医療政策の現場で何が起こっているのか想像できる内容になっている。遅ればせながら、介護の必要な長崎の母や小児麻痺の後遺症がある兄の身に昨今立て続けに起こった出来事の意味がようやく包括的に理解できた。
兄は神経を圧迫するのを止めるために曲がった背骨の手術をしたが、術後のリハビリを長期的に受けられなくなったのも、厚労省の保険診療報酬改定がおこなわれたからだ。生活に困るようになった時期も障害者自立支援法の制定、施行の時期と重なる。
小泉医療改革がなされる以前は、母は週3回のヘルパーさんと月2回の看護婦さんらの派遣で、比較的元気に社交的に自宅に住むことができていたのだ。それが政策の転換により、せっかく仲のよかったヘルパーさんや看護婦さんはクビになり、病院に介護入院をせざるをえなくなった。そしてさらに私たちには無断で病院から特養に移動。そのときベッドの空きがないからと重度の認知症の患者さんの部屋に入れられ、幻覚症状が出て暴れたことで、私たちに連絡が来た。そのとき初めていろいろなことが分かり、奈良への転院手続きをとるも、400人待ちという驚くべき数値を示され困惑。今地道に転院先を探しているところである。
(夫はここ1,2年悲痛な調子の日記を書くときが多いが、底流にはこの問題がある。奈良での話しも書き始めると長くなるので今は書かない。)
多田先生の激しい論調を読んで、いったいこの人は何をぎゃあぎゃあ騒いでいるのだと不快に思う人たちも多いだろう。障害者の介護など、今のところ自分たちには直接関係ないからどうでもいいやと思う人たちも。なかには、「国が困っているんだから仕方ないじゃない。世界に目を向けてごらんなさいよ、あんなに飢えているかわいそうな人たちがたくさんいるのよ。日本に生まれただけでもありがたく思わなくちゃ。文句を言ったらばちがあたるわ」と、一見物分りがいいように見えて、江戸時代の体制維持を目的とした差別構造をそのまんま再現している人たちもいる。
私は多田先生を支持する。私たちも書くべき段階に来たときに必ずどこかに書くつもりだ。
11月25日(日)
・日本酒
・ごはん
・ワンタンと豆腐のスープ
・五宝菜
・チンジャオロース
スープは私であとは夫が作ってくれた。たくさん作ったので、残ったものは明日の弁当になる。明日は中華弁当だ。やった。
ちょうど吉祥天立像が見られる時期でもあり、昼間は加茂町にある浄瑠璃寺に行った。知り合いの俳優さんがこの寺のことが大好きでよく訪れると聞いていたが、まさに私たちにとって車で20分足らずのところにある別世界だった。山間の田畑に囲まれた周りの風景からして、ご近所とは思えない。白菜、柿などの無人販売が至るところで見られた。もっと早く訪れればよかった。
と調子にのって、そこから程近いとされる岩船寺までの石仏コース(徒歩)に出かけたが、要所要所にある石仏を見て山のなかに入っていったところ途中から頭ががんがんし始め、でも山のなかで引き返すのも気が引ける、とやたらに疲れた「旅」となった。後から聞くところによれば、夫も途中で気分が相当悪くなったとのこと。何事も欲張ってはいけない。一日に一箇所に留めたほうがいいと思った。ちなみにゆういちろうはどんどんパワーアップしていった感じ。子どもって。。。
加茂町は一応京都府に存在するが奈良と接しており、仏教的にも奈良とのつながりが強いところだ。1000年〜1200年ほど前、東大寺、興福寺、西大寺の僧侶が中心地を少し離れた山中で落ち着いて学問をするために移ってきたそうだ。とにかく古刹がたくさんある。うちの大家さんは定年後、加茂町に新しく家を建てて引越しされた。廃寺を修復して地域に還元する試みを始められたからだ。そのおかげで現在私たちがニュータウンのほうの家をお借りできている。
11月26日(月)
・キムチ鍋
・温泉卵入り納豆
・〆うどん
漬かりきったキムチがなお多めに余っていたので、キムチ鍋にした。キムチが多いときは、豆板醤(辛みそ)より甜麺醤(甘みそ)を足したほうが断然バランスがとれてよい。
弟から野暮用の電話がかかってきた。電話をかけてくること自体珍しいが、話のついでに3歳の姪っ子が近所のイーオンで迷子になったエピソードをおしえてくれた。ちょっと目を離した隙にいなくなってしまったらしい。迷子アナウンスをかけてもらい、5分ほどして見つかったらしいが、その間生きた心地がしなかったという。誘拐だったらどうしよう、イーオンの出入り口を全面封鎖して誰も出入りできないようにしてくれと取り乱す寸前までいったらしい。
姉である私も最近ゆういちろうを怪我させたばかりだし、姉弟はやることが似ているのか。一番似ているのは、二人とも注射が大嫌いだということだ。弟の場合、献血に行ったはいいが注射針を見て貧血を起こして倒れこみ、しばらくベッドで休んでからジュースをもらって帰ったという、一体何しに行ったのか分からない人でもあった。プロポーズのことばは、「こういうのは男も女も関係ない。僕を一生幸せにしてね」というものだったらしいし。心根が優しいのだと思うようにしているが、こんなんで厳しい世の中を生きていかれるのかと、性格の面からいうと私のほうが昔から完全に「強気」だった。子どものときはいじめっこから守ったりもしたが(ウルトラの母のつもり)、結構いじわるもした(ごめんよ)。
2日分まとめて更新!
11月27日(火)
・まぐろの漬け丼
・なめこと豆腐の味噌汁
・温泉卵入り納豆
・きゅうりの漬け物
どうしてもまぐろの漬け丼が食べたいという夫の願いがかなえられた献立になった。しょうゆ大さじ2、ごま油大さじ1、練りわさび適量を混ぜ合わせたものにまぐろのぶつ切りを漬け込むだけの、井上絵美さんのアイデアを参考にした簡単レシピ。トッピングとして刻んだ青じそ、貝割れ大根、白ゴマ、刻みのりなどをどうぞ。この日はあろうことかごま油を切らしていたので代わりにオリーブオイルにしてみたが、何の問題もなかった。しょうゆパワーね。
うちの弟はかつて、石橋を叩いても渡らないときは渡らないと宣言して実家の家族を驚かせたことがあるが、私の場合は橋だと思ってジャンプしたら親切ななまずの背だったということが多く、これまた家族を驚かせてきた。最近ランチが青春群像の模様を呈している。年齢的には30歳から40歳までの気の合う人々が集まっているのだが、どうみても話題が青春群像系のそれだ。そのなかの一人は、人から、石橋を叩いて叩き割ってしまう男と言われている。青春だと思いませんか?
11月28日(水)
・ごはん
・あさりの味噌汁
・豚の角煮
・にらチヂミ(市販のチヂミ用の粉を利用)
・大豆とひじきの煮物(市販のパックのもの)
・大根の漬け物
豚の角煮は、昨日の夜に作り置いたものだった。時間だけかかって手間要らずなので、食後の洗い物をするときにいっしょに作った。平野レミさんの『笑ってお料理』のレシピを見ながら(p. 50)。
<豚の角煮 作り方>
(1)豚バラ肉のかたまり600グラム(今回うちではロース400グラムにした)を鍋に入れ、肉にかぶるほどの水と、しょうが、ねぎを加えて1時間強、豚肉がやわらかくなるまで火を通す。
(2)ゆで汁1/2カップを残して、砂糖、醤油、みりん各大さじ3、水1カップ、酒1/2カップを加え、落としぶたをして弱火でコトコト20分煮る。
結果はそれはそれはおいしくできていた。レミーやるな。さんきゅ。ゆういちろうはごはんに煮汁をかけて2杯たらふく食べました。子どもがご飯をたくさん食べている姿を見るのは本当に気持ちがいい。夕飯支度中に、ゆういちろうの内緒のいたずらがばれ、すなわちシャボン玉の液を絵本の上から床にかけてこぼしたときはさすがにイラっときたけど(ふいてもふいても微妙に泡立ち、ぬるっとして危ない)、初めて作ったものの出来がよかったので帳消しとなった。
11月29日(木)
・ごはん
・にゅうめん
・鶏肉ときのこのおろし煮
・あさりの酒蒸し
・ほうれん草のおひたし
オレンジページの『和食のシンプルレシピ』信奉者の夫の希望により、大根おろしを仕上げにさっと入れるおろし煮を作ってみた。きのこ類の季節でもあり、あっさりと風味よく仕上がった。手順はそんなにめんどくさくないし、我が家の定番になる予感がする。
論文の修正原稿に集中してとりかかることができた。どんなにこの日が来るのをぷらぷらしながら待ち望んでいたか。どれくらい集中したかというと、1時半から4時まで2時間半分の記憶が全くないのだ。大幅に書き直し。で、ふと気付くと腰が痛いし、歯ぐきが痛い。力みまくって書いたのだな。でもまだ先は長いのだ。後半が全然修正できていない。たぶんぎりぎりの提出になるだろう。いつもこうだ。学習能力ゼロ。でも後悔したり反省したりする時間的余裕はない。油断せずに目の前の仕事に集中しないと。慌てずに丁寧な仕事をしよう。
11月30日(金)
・イタリアンメニュー
なんだかいろんなことがあった一日。家でごはんを作っている場合ではなく、外食した。朝からあったことを書き出そう。
出勤して朝一にしたことは、昨日の京都精華大学で開かれた宮沢章夫さんの講演会(ここやここに情報あり)の報告をしてもらうことだった。本当は自分で聞きに行きたかった講演会で、そのつもりで自分の原稿のペースを高めに設定していたのだが、残念ながら無理だったため(昨日やっと原稿の神様が降りてきた)、予定変更して代わりに助手さんに行ってもらったのだった。
詳しくメモを残すよう頼んだところ、ほんとにびっちりと書いてくれた。感謝。終了後ご挨拶に行くつもりが、終了予定時間を1時間過ぎても終わる気配はなく、次の約束のため質疑応答の途中で退出となったそうだ。つくづく自分で行きたかったなと思う。
個人的に印象に残ったのは、渋谷の喫茶店「セピアの庭で」の話だ。私は92年に学生として田舎から上京したが、その頃よく通っていたから思い入れがあるのだ。コーヒーがおいしいし、広さ的にゆったりしているわけではないのになぜかゆったり読書できる雰囲気の店で、やっぱり東京に来てよかったわと思っていた。ちなみに、その上の階にはバーもあって、生まれて初めて連れていってもらったバーがそこである。ようは青春の思ひ出たっぷりの場所だ。
ああそれなのに宮沢さんのせいで次のようにしか思えなくなってしまった。「セピアの庭で」の、この「で」は何だ? 今後この店の前を通ることがあっても、メロウな思い出よりも先に「で」が気になって仕方なくなってしまったではないか。
宮沢さんの説によると、「この「で」は何だ?」から「セピアの庭で? あーそうですか」と世の中全体が醒めていってしまった境目があるという。それがオウムや阪神大震災の起こった95年の断絶。演劇の世界では青年団の登場。自分の身をどう守ったらいいかという危機意識による保守化がこのとき起こったというのが宮沢説のポイント。
引っ越したせいが大きいと思っていたが、でも確かに個人的にも94、95年くらいから「セピアの庭で」にはぴたりと行かなくなったなあ。そこでかつてのようにうっとりできなくなったというか。で、去年神泉のウィークリーマンションから駒場のアゴラ劇場に通ってフィールドワークをおこなったが、10年ぶりぐらいに行ってみたのだけど、自分でもはっきりと理由はわからないのだがなぜかひどくがっかりしてしまったのだ。
そうしてみるに、やっぱり青年団はすごい。10年たってもがっかりさせられることはない。分かった気にさせられない。「哲学者は永遠の素人である」という名言があるが、だったら私も哲学者じゃないのかとうっかり勘違いしそうで怖いくらいだ。『ソウル市民・昭和望郷編』の可能性といったら、もうあなた。
そしてその流れとは別に宮沢さんがこれからどのようなことを考え、どんなふうに作品に反映させていくかも非常に気になっている。絶対にこちらが思いも寄らないような大真面目な方法論のもとで、どうやったらこんなにバラバラにろくでもないことができるんだというすごいことをやるのではないだろうか。平和を作るひとつの道すじ。
------------------------
今日はその後、いい出会いもあったのだが、それは後日に。もう眠いので寝よう。