料理ネタ


2008年5月

2日分まとめて更新!

5月1日(木)
・町の洋食屋さんメニュー



母の生まれ故郷である焼き物の町・三川内で、はまぜん祭りという陶器市がこの日より始まった。今年で二度目の訪問だが前回以上に物欲を満たした。三川内で手に入れた器を見せると、母はとても喜ぶ。物欲と親孝行がうまいこと合致して、私たちは幸せである。写真は陶器市の傍らでおばあさんが売っていた野菜である。

今年とてもうれしかったのは、1977年生まれの中里太陽さんという若い陶工に出会えたことだ。演劇の世界でいうと前田司郎さんを想起させる人当たりのよさ、感じのよさ。でも焼き物の話になると目が一瞬にして変わるのだった。大切にとっておいた修行中の作品を譲ってもらった。三川内の登り窯も久方ぶりに火が入れられ、外野で悲観していたのが恥ずかしいくらいの勢いだ。

夕食は長崎市内に戻って、洋食屋で食べた。丁寧に作った料理はゆういちろうもペロリとたいらげた。また行きたい。


5月2日(金)
・五島うどん
・鯛とはまちの刺身
・かぼちゃの煮物

諸々の準備が整い、本日施設まで母を迎えに行った。いつもは外食を嫌がるくせに、ここ数日は頻繁においしいものを食べに外に連れ出してくれた夫の気持ちが分かるだけに、「自分の原稿のペースが芳しくなく、母を迎えている場合ではない」とは言い出せなかった。それにもし私が今ここで知らんぷりしたら後から自己嫌悪になるのは目に見えている。一生のうちのたった3日を割くのも惜しいほど仕事が超重要フェーズにあるのかと問われれば、何も言い返せないからだ。どうして私は母と一緒にいるのをこんなに面倒くさく感じてしまうのだろうか。わずかな期間だけ一緒に過ごすのは、そう一瞬でも思ってしまったことの罪滅ぼしになるのだろうか。

などなど、悶々とした気分で始まった共同生活だが、意外と早く慣れた。季候がよくなり、母の機嫌がいいのがまず一番。ゆういちろうに手がかからなくなったのもとても大きい。とくに今GWは、年長さんの使命感に燃え、母の着替えを手伝ったりしてくれて助かる。買出しを含め、食事全般を夫が担当してくれるのも助かる。やっぱり拒否しなくてよかった。「私もすっかり老いぼれた。こんなんじゃ仕事どころじゃないでしょう」と母から同情されたときは、本当に認知症を発症しているのかどうか疑った。

みなが寝静まって、原稿の構想を練る時間がとれた。気分転換に日記を書こうと思ったのに、予想以上に日記に時間をかけてしまった。ザ・現実逃避だ。原稿の大きな構想(理想)ははっきりと出来上がっているのだが、細かい段取りの詰がまだまだ甘く、文章にならない。でもあともう少しでグワっと書き出せそうな予感だけはする。明るい不安。がんばれ自分(たち)。
5月3日(土)

・ちゃんぽん
・クレソンとプチトマトのサラダ



夫が作ってくれた。ちゃんぽんを作り始める前、サラダ油がないことに気付いた。彼が具の下ごしらえをしているあいだに、私がこの日2回目の買出しに出かけた。坂の上り下りは、きつい。暑かった。それにしてもぽろぽろと買い忘れてばかり。胡椒(ちゃんぽんには必需品)を買い忘れたときはあちゃーと思ったが、ないならないなりに何とかなるもんだと思った。

写真は、けだるい午後の昼下がりの様子である。幼馴染のKちゃんにもらった、もったいないばあさんカルタをしております。

ゆういちろうが寝ない。早く寝てくれ〜
2日分まとめて更新

5月4日(日)
・ごはん
・なめこと豆腐と味噌汁
・冷たい牛しゃぶ
・クレソンのサラダ

5月5日(月)
・いろいろおつまみメニュー(伊丹空港で)



5日、母を施設に送り届け、奈良に帰ってきた。長崎の旧市街地の思い出として、民家の軒下の水場の写真を載せよう。

初日はあんなにしっかりと元気に普通に会話していたのに、3日深夜から母の様子が急変した。夜中何度も起き、自分がどこにいるのか何で私たちがそばにいるのか分からない様子だった。この前の正月に感じた以上の大きな落差に戸惑った。私たちといると元気になるんだという思いは、能天気な幻想だった。夫は、家に連れて帰るのは、もしかしたら自分たちの自己満足で、母にとっては酷なことなのかもしれないと言うようになった。

ごくたまにしかあわないので素人判断は厳禁だが、私たちには症状は進んでいるように見えた。しかし正月に会ったときよりも、精神的には私は楽だった。なぜなら今回は母は私にきついことを言わなかったから。頭では認知症のなせるわざだと分かっていても、あのときは簡単に聞き流すことはできなかった。いったん発せられたことばはブツとしての力を持つのだと思った。

(しかし私たちが老後を迎える頃には、愛される老人になりましょうと老人マナー教室がさかんになり、その点数をもとに人がランク分けされ、入所希望の高い施設から順に振り分けられていくことになりやしないかと思うと、気分が悪い。憎まれ口をきいても大丈夫な関係を今からせっせと周囲とのあいだに築いておこうと思う。悪いことばの訓練だ)

ここに書こうかどうか迷ったが、やっぱり書いておこうと思う。母を迎える前日の5月1日に三川内のやきもの祭りに行ったとき、ひと騒動があったのだ。祭りの中心地から少し離れたところに玉泉という窯元があり、祭りを堪能したのち、そこの70をゆうに超えた透かし彫りの名手に会いに行くのを夫と私は楽しみにしていた。ところが「玉泉に行こう。おじいちゃんにも会えるよ。」と言ったところ、私たちの趣味に長いこと付き合わされていたゆういちろうは「えーーっ、もうやだ。長生きするな」と言ってはいけないことを言ってしまった。

夫からお尻や顔を何度も平手打ちされ、ゆういちろうの両頬は真っ赤になり、涙で目も赤くなった。夫は「年寄りははよう死ねということか。長生きするなはそういうことや。ゆういちろうは長崎のおばあちゃんも、はよう死ね言うんか。おんなじことやで、長生きするないうのは。だったらおまえが死ね。命をあげろ」とだんだん語調が激しくなっていった。

私はゆういちろうの口からそんなことばを聞いたのもショックだったが、それよりも母を迎えるのを心の片隅でどこか疎ましく思っていたことをゆういちろうに見透かされていたのではないかと思い、そっちのほうがショックだった。泣きわめきながら叩かれるままになっているゆういちろうを、呆然と見た。

もう帰ろうと私は提案したが、夫は玉泉に行きたいという。結局、少し全員が落ち着いたあと、みんなで店のなかに入った。ついさっきまで泣きかぶっていたことがバレバレのゆういちろうに、玉泉のおじいさんは「まあこれでもなめて機嫌なおしなっせ」と飴玉をたくさんくれた。おそらくゆういちろう本人が一番複雑な気持ちだったのではないかと、5歳児の心にひだひだを信じている。

その後、三川内から長崎市街までの車の道中で、とくにきっかけもなく気分が晴れ(あ、強いてきっかけを言えば、ゆういちろうと私の居眠りか)、いつの間にか何事もなかったかのように普段の自分たちに戻った。

むりやりまとめると、「私たちは誰もきれいな良いことばばかり使っているわけではない。とてもひどいことをお互いに言ってしまったり、思ったりする。だけどなんとか一緒にやっていきたいと思っている。」ということだろうか。

備忘録として。まだ気持ちが昂ぶっていて、書かないと先に進めないのだ。食事とはまったく関係ない事柄だが、そういう日があってもいい。
5月9日(金)

・白ワイン
・カルボナーラスパゲティ
・野菜スープ
・鶏の網焼き、プチトマト添え
・いもサラ



ゴールデンウィーク中家を空けている間に庭はチューリップ主体のものから別のお花畑状態になっていたり、ゆういちろうが柿ピーの食べすぎで便秘、腹痛を起こし病院に行ったりと、今週もいろいろあった。詳しく書きたいことは山盛り。

だけど私のなかでは、今日は個人的なことよりも、緊急性の高いメッセージを載せるほうが優先順位が高い。世界中の気象情報を知ろうと思えば知れたはずの「私たち」は、ミャンマーにサイクロンが来るのを分かっていて住民に届く避難勧告を出せなかった。せめても、今できることをするしかない。SAVE BURMA!

以下、いとうせいこうさんのブログの文章を引用する。


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2008/5/9

テーマ:SAVE BURMA!


 ビルマ(ミャンマー)のサイクロンによる死者数は、10万人を越えると推測されている。

 ひと晩で10万人が死ぬということ。

 我々日本人も同じ規模の「ひと晩での死」を東京大空襲で、さらには原爆投下によって体験している。だから想像しなければならない。そこで今、何が起きているかを。

 とんでもない事態である。
 
 だが、ミャンマー軍事政権は救援のための入国を拒んでいる。

 愚か者が自らの権力にしがみついて、外からの勢力が入るのを極端に恐れているのだ。
 ここで民主化勢力が国内に拠点を作ることを避けるため、彼ら軍事政権は人民の地獄をかたくなに無視している。


 愚かな。なんと愚かな殺人者だろうか。ミャンマー軍事政権に巣くう人間どもは。


 その間にも真水が飲めずに死んでいく者、伝染病で死ぬ者、二次被害で大海に流されて行ってしまう者がいる。死者の数はこれからも増えていく。

 なのに、愚かなミャンマー軍事政権は国民投票をやめようとしない。
 野党勢力が参加出来ない投票をして、政権を国民が認めたことにしようとしている。

 誰が今、投票などするのか!?
 死者の山を前にして、何をしているんだ!?

 人間を馬鹿にするな。
 死者も生者も、ともに馬鹿にするな。

 ミャンマー軍事政権の連中だって、いつか死ぬんだ。
 権力をあの世に持っていける人間はいないんだ。

 だったら、これ以上殺すな。


 俺は日本政府に呼びかける。

 ミャンマー軍事政権に、救援者の入国を認めさせるよう、一刻も早く圧力をかけなければならない。

 
 そして、ミャンマー軍事政権にはこう呼びかける。

  LET US IN!
  TO SAVE YOUR PEOPLE,MYANMAR!



 けれど、どんなに軍事政権が愚かでも、人道的支援の手をゆるめることは出来ない。
 したがって、一方で俺たちはユニセフ支援を続けるべきである。

 

 だから、今日も書く。



 SAVE BURMA!



 上記の一行を、どうかリンクつきであらゆる場所に貼り付けてください。
 あるいはこの文章すべてを。


5月12日(月)

・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・肉じゃが
・納豆
・キムチ
・プチトマト



実家から郵パックで送られたしゃぶしゃぶ用薄切り肉を利用して肉じゃがを作った。かつて長崎で母に食べさせるべく夫が一念発起し、いい肉を使って肉じゃがを作ったら、いつものよりとてもおいしくできたという身もふたもない事実を思い出してのことだ。やはりおいしくできた。

先週の金曜日(9日)は奥村昭雄先生・まことさんご夫妻が現場にやってきて、工務店関係の方々、夫も交えて打ち合わせがあった(私はゆういちろうの柿ピー腹痛看病につきあい、自宅待機)。玄関のタタキのタイルなどをその場で決めないといけなかったらしく、夫が悩んでいると、奥村先生が設計意図にかかわる「素敵なこと」をおしえてくれて決めることができた。まことさんからもたくさん「素敵なこと」を聞けたよと、帰宅後夫は興奮して中身を語ってくれた。いずれ語録としてリストアップしたいなあ。設計ってそういうことをおこなう作業だったんだ!と、目から鱗が落ちてばかりだ。それにしても私の眼には鱗が出来やすい。

まことさんのお土産もいつもしゃれていて、かっこいい。庭でとれた夏みかんのジャムはトーストにたっぷりぬって朝食べている。現場に落ちてきたお隣さんちの金柑もちゃんととっておいてパウンドケーキにしてくれた。一番の好みは、ジューンベリー(西洋ザイフリボク)の砂糖漬けを使ったパウンドケーキだ。独特の複雑な味がする。白い花もきれいだし、ぜひうちにも植えたい。

身の回りでは、いいことといやなことの落差が激しい。とくに報道ニュースはひどい。起きているときはしょっちゅう逆上し、苦悩のことばを吐いてばかりだ。ところがそういうときこそ、いい夢を見るようだ。日曜朝は私は夢のなかでトトロの歌を楽しそうに歌っていたそうだ。ついでにいえば、私にくっついて寝ていたゆういちろうもうふふふと笑っていたとのこと。まったく覚えていない。夫からは「草原でも飛んでいたのか。そんな人は初めて見た。おまえはトトロの生皮をかぶった人間だろう」と呆れられた。

写真は、公園脇の通勤路から見える光景である。成長中の竹の子が、つつじの植え込みのなかをぶすっと突き刺している。仕事でもこういう発見があったらどんなに気持ちいいだろうと、這いずり回っている現実を前に思う。 ここ数日寒かった。明日は暖かいといいが。

SAVE BURMA! (第5報 080512)
2日分まとめて更新!

5月13日(火)
・日本酒
・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・鶏の酢照り焼き
・まぐろの山かけ
・オクラとピーマンとかぼちゃの煮物

夫が作ってくれた。助かった。

手持ちの本棚を細工して、新しい家の書斎に設置することになっている。本棚を背中合わせにして林立させ、図書館風にするのだ(スペースの有効利用。壁一面の本棚もかっこいいなあと思うけど、そんな余裕はうちにはない)。大工仕事があるので、20日までに本棚を空にしておかないといけない。先週末に6,7割方、終わらせた。段ボール箱にして26個になった。結構な重労働だった。ウィークデーもその続きをちょっとずつやろうと思っていたけど、日々の生活で手一杯で、何も進んでいない。きっと今週末まとめてやることになるだろう。全部でどれくらいの量になるのだろうか。

一般的にいって「文系の先生」のお宅と比べて格段に少ない本の量だと思うが、夫に言わせればそれでも持ちすぎとのこと。処分するものは思い切って処分することにした。もともと本を処分するのが出来ない性分だったのだが、引越しを機に整理するのもいいことのように思えてきたのだ。『南仏プロヴァンスの12ヶ月』など昔つい買ってしまったものの、今はまったくそういう気分じゃない、誰かに差し上げるのもどうかと思うちょっと気恥ずかしいものを中心にお別れした。

そりゃあ私も女の子でしたもの、かつてプロヴァンスの生活に憧れたことはあるけど、今の気分はかなり違ってきている。思いっきり自己本位な「南都ニュータウンの12ヶ月」を日々細々と記録発信できたらなあと思っている。


5月14日(水)
・懇親会メニュー



東京泊付出張。本日は一期の方々の終了報告を聞くべくさきがけ領域会議に出席した。久々に産休明けの方やこれから産休に入ろうという方にも会えてうれしかった。がんばっている人を見ると勇気がもらえる。懇親会やその後の二次会でもたくさん話ができた。たくさんいい刺激を受けたが頭がまだまとまらない。定年を控えた先生のお話を聞いて、(研究者として)年を取るという感覚が自分にはまだ全然想像ができないということに気付いた。30年後の自分がどうなっていたいかと問われ、真っ先に思ったのはそもそも平和裏に生きているのだろうかということだった。目先の忙しさや苦しさを言い訳にして何も考えていなかったのが正直なところか。

写真は会議会場のあった霞ヶ関のビルである。その付近は高層ビルが林立していて圧倒された。ビルってカクカクと直線的だなと当たり前のことが確認できた。
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5月15日(木)
・ごはん
・かぼちゃのポタージュスープ
・ビーフステーキ、トマトじょうゆソース
・マッシュポテト



保育園のお迎えに間に合うよう東京より帰宅した。夫も早く帰宅できたのでいっしょにゆういちろうを迎えにいった。ぽぱい組の部屋には園児ひとりひとり描いたたけのこの絵が飾られていた。ゆういちろうの絵はひときわ目立っていた。ひとりだけカラフルに(=好きな色をふんだんに使って)創作していたからだ。本人は「かっこいいやろう!」とご満悦だった。私も「うんすごくかっこいい」と答えた。念のため本人に確認してみたが、「たけのこ」を描いたとのこと。画題は確かに理解している。苦笑いしつつ夫が写真に残した(私はそのとき携帯電話カメラを持っていなかった)。この先もいい先生にめぐり合えればいいと思う。夕食は私が作った。

この日は藝大で開催されているバウハウス・デッサウ展を見に行った。我が家の寝室にはリシツキーのポスターのレプリカを飾ってあるが、意外なところで本物に会えたので最初からラッキーと思いつつ展示を見て回った。結論から先にいうとすっかり堪能した。

バウハウスのことはなんとなく知っているようでいて全く知らなかったと思い知らされたのは、バウハウスが建築だけでなくむしろそれ以上に思えるくらい舞台芸術の制作にも情熱を傾け、バウハウス・ダンスなるものを創作していたことだ。映像で当事の様子をたっぷり見ることができた。固い衣装でバレエの動きを妨げているかと思えば、ウルトラマンもびっくりのキャラクター姿(?)が登場して可笑しいことこの上なかった。時間のない方はせめて写真展示を見ていってほしい。モジモジ君もびっくりのコスチュームで可笑しな格好をしている人たちが映っている。何が面白いかって、創作者は本当におおまじめだということだ。芸術のことを真摯に考え、人体の動きを機械的解剖的に研究しつくして制作にあたっている。ほんものの秀才たちだけが醸し出すことのできるそこはかとない滑稽さ、誤解を恐れずにいえば賢すぎるがゆえにかえって知性の欠けたような見えるところが現れていた。

かっこいいなあ。でも凡人がそれを真似ようとすると、普通に知性の欠けた人となってしまい、本当にそれじゃあ凡人だから、簡単には真似ようがない。面白い人間になるには正攻法でよほど勉強するしかないのかなあ。そして別の観点からみれば、ナチスに迫害にあう昏い時代の少し前に、こんなことを真剣にやっていた人々の存在を知ることができて、大きな勇気をもらえた展覧会であった。


5月16日(金)
・日本酒
・焼きビーフン
・あさりのチャウダー
・バンバンジー

あさりのチャウダーは私が、あとは夫が作ってくれた。今週はとくにあっという間に過ぎ去った気がする。
5月17日(土)

・白ワイン
・野菜のコンソメスープ
・トマトの冷製スパゲティ
・鯛の香草焼き



午前中は保育園の保護者総会と保育参観に出かけた。おとといの日記にゆういちろうの絵だけが目立っていたと書いたが、親ばかによる色眼鏡をかけていたのだと思う。今日冷静にみんなの絵を眺めるとそれぞれ面白いことこの上なかった。どれひとつとして同じたけのこは存在しない。

縄跳びができるようになるのがこの時期のクラス目標のようで、ゆういちろうも園庭でがんばっていた。でもなかなか思うように飛べない。午後は公園で練習した。あともう少しのところまできていると思うのだが、連続跳び3回目の壁が破れないのだった。

今日は仕事色ゼロで、日常の家事以外にもプライベートな事柄をいろいろおこなった日だった。新築現場に差し入れにいった。足場が外れており、家の外側の雰囲気をやっと目で見ることができた。見惚れてしまった(家ばか?)。

他には、バナナのパウンドケーキを焼いたりした。「お菓子作り」なんて何年ぶりだろう。明日同僚宅にお呼ばれしており、お土産に持っていく予定である。世情によりバターが手に入らなくて、菓子用マーガリンで代用した。膨らみすぎてこぼれ落ちた種がクッキー状になったものを味見すると、「安い味」がした。私の子どもの頃はクッキーの種にマーガリンを入れることもあり、とくに何の不平もなかったのに、口が奢ったものよ。これも話題の一つになってくれるだろう。

夫は今日も仕事があり、疲れていたので、夕食は私が作った。長いこと冷凍していた去年父の釣った鯛も本日食べきった。最初にきっちり処理してくれているからだと思うが、臭みは一切なし。ゆういちろうもたくさん食べた。さっそく実家に電話してそのことを伝え、今度釣りに行ったときには新しいのを送ってくれとついでにちゃっかりと頼んだ。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第9報)
SAVE CHINA! (中国大地震)
5月18日(日)

・お呼ばれメニュー



同僚宅に家族でお邪魔した。奥さんであるCさんはピアニストで、テレビを置かないと決めてから練習がはかどるようになったというストイックな生活をされている。雑誌に紹介されたこともあるインテリアもその延長で、目にうるさいものを一切排した空間になっていた。そのように書くとなんだか冷たく緊張感あふれる空間をイメージされるかもしれないのだが、全くそうではなく、心が平常となりくつろげる空間だった。写真はベランダの野菜の様子である。Cさんの手にかかると野菜も風情が出るのだ。手前の白い花はルコラ。こんなにかわいい花が咲くとは思わなかった。

帰宅後はふつうに家事をした。ゆういちろうをお風呂に入れて寝かしつけたり、朝早起きする代わりに夜のうちから洗濯物を干したり、などなどである。これから皆を起こさないよう注意しながら本のパッキングの続きをおこなうつもりだ。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第9報)
SAVE CHINA! (中国大地震)
5月22日(木)

・昨日の残りのハヤシライス
・焼きなす、醤油オリーブオイルだれで
・ルコラとマッシュルームのサラダ



あっという間に時間がたってしまった。明日はもう金曜なのだ。やるべきこと山積み。いやだいやだ。

ハウスの固形ルーで初めて作ってみたハヤシライスがやたらおいしくできて、うちでは「ハウス偉い!」、「とくにテイスターの皆さん、私たちのために本当にご苦労様です」とテイスター関連の話題で沸騰した。夫がおしえてくれたのだが、テイスターは舌をニュートラルな状態に保つために、酒もだめ、キムチなどの刺激物もだめなど、生活全般に渡って規制が激しいそうだ。とても高給取りだそうだが、どんなに高給取りでも私は絶対に就きたくない。無理。

あんまり大声で言うことでもないが、私の楽しみの多くは食べ物に由来している。そして自分で言うのもなんだが、デリケートな食欲を持っている。普段食べ物の写真をほとんど撮らないのは、うわ〜おいしそうと思っているときに写真を撮るなどしたらせっかくの食欲が減退してしまうからだ。とにかく熱しやすく醒めやすい。

別の角度から言うと、食べ物の写真を積極的に撮るときは、どうにかして食欲アップを図ろうとしているときだ。たとえばゆうちいろうが病気の恢復期にあるときなど。今回載せた写真は、柿ピー腹痛騒ぎも治まりかけ、自分で目玉焼きを作ると言い出し、目玉焼きごはんにしたときのものである。写真に撮っておいしそうなことを確認し合い気分を盛り上げた。

幼児のキャラ弁(キャラクターをかたどった食材で飾った弁当)みたく、飢えを知らない人間の傲慢さが出ているといえばそれだけだけど、私たちにはその手のテクが必要だ。つくづく食欲と性欲は似ていると思う。健康なときは自然にまかせていればいいが、何か問題があるときは何らかの間接的なテクを必要とする。

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ここから話は変わります。世の中の不条理さに震えつつ。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第13報)
SAVE CHINA! (中国大地震)
5月24日(土)

・冷や麦
・お好み焼き



雨が振ったり止んだりの日だった。昨日実家の祖父の手術が成功し、ひとまず安心した。これから看病が始まる。母の持病が悪化しないといいが。写真は1年半前の初秋の公園の様子である。とても気に入っている写真の一つだが、初秋の草には春のような瑞々しさがないと思う。その分とても落ち着いている。

新築の家のほうは着々と進んでいる。外構工事と漆喰塗りが始まった。リビングにかけるカーテンはなんと私たちの願いが叶いそうだ。

講談社『牧野富太郎自叙伝』を読んだ。牧野博士は日本の植物学の神様のような存在だ。私だったらきっと道を踏み外してしまうに違いないと思われるようなものすごい逆境に何度もお遭いになっている。娘さんの回想では、採集に出かけるときはいつも面白いことばかり言って周りのみんなを笑わせていたそうだ。楽しい気分でいると新事実を発見しやすいのかもな。129ページに辞世の詩が載っていた。

 終りに臨みて謡うていわく、
 学問は底の知れざる技芸なり
 憂鬱は花を忘れし病気なり
 わが庭はラボラトリーの名に恥じず
 綿密に見れば見る程新事実
 新事実積り積りてわが知識
 何よりも貴き宝持つ身には、富も誉れも願わざりけり

              昭和二十八年9月

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第14報)
SAVE CHINA! (中国大地震)
5月25日(日)

・フレンチディナー



しょうもないことで今朝夫婦喧嘩してしまった。その後、修復し、私の誕生日祝いを前倒しにして、フレンチディナーに行こうという急な提案があり、そういうのは全くやぶさかでないので賛成した。ゆういちろうはお店のなかで「今日はごはん作るのめんどくさかったん?」と大声で家庭内事情をばらして恥ずかしかった。写真はお店に行く途中の花壇に植わっていた植物である。強い匂いや形からしてくちなしの一種だと思うが、白い花しか知らなかったので、白から青、青紫へのグラデーションがとても目に新鮮できれいに映った。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第14報)
SAVE CHINA! (中国大地震)
5月26日(月)

・日本酒
・ごはん
・たまねぎとしいたけの中華スープ
・バンバンジー
・青梗菜の塩炒め



夕方ゆういちろうを迎えに行くときどしゃぶりの雨に降られた。帰宅後軒下に干していた洗濯物を急いで取り入れようとして、庭の枇杷の木にたくさん実がなっていることに気づいた。実はまだ十分に堅い。ほぉーっと思い、写真に撮った。早くごはんを作らなくてはと気が急いていたせいか、ピンボケ。でも夕暮れ時の空の感じが映っていて、ほんの一瞬ひとりでうっとりと恍惚感に浸った。

この枇杷の木はもともとは大家さんの娘さん(私と同世代)が給食に出てきた枇杷の種を大事に持って帰って庭に埋めたことから始まった木だそうだ。私たちがこの家を借りるにあたって、邪魔だったら切ってもいいよと大家さんから言われたのだが、そんな話を聞いて切れる訳がない。毎年ぼんやりしていて結局鳥に先に食べられてしまうのだが、それでも実のなる木は好きだ。

バンバンジーは夫、後は私が作った。協力して急いで作った割りには食べ始めは9時を過ぎてしまった。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第15報)
SAVE CHINA! (中国大地震)
5月27日(火)

・ごはん
・なめこと豆腐の味噌汁
・一口餃子
・さんまの蒲焼
・昨日の残りの青梗菜の塩炒め
・プチトマト
・きゅうりの漬け物



うちに帰って温めたり焼いたりすればいいだけの惣菜を多用した。どれも昨日生協で見つけておいしそうだったので買っておいたのだ。一口餃子は長崎の麒麟子という店(おそらく思案橋付近の)が出しているもの。さんまの蒲焼は「鰻屋のさんま蒲焼き鹿児島産」とあって、虎の威を借るじゃないけど惹かれるでしょう?

保育園にゆういちろうを迎えにいったら、子どもたちはみんな絵本にかぶりついて夢中で見ていた。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第16報)
SAVE CHINA! (中国大地震)
5月28日(水)

・スパークリングワイン
・ハヤシライス
・プチトマト
・焼きなす、しょうゆオリーブ油だれ







奥村まことさんから昨日新築の家のことでファックスが届いた。そのなかに、取り壊しの決まった関西学研都市展示館の近くに生えていたこばん草を抜いて家の裏庭に移植したということが書かれてあった。雑草生(ざっそうふ)計画も着々と進んでいる。それにしてもどうして私の好きな草を知っているのだろうか。

こばん草はその気になってみればこの辺どこにでも生えていることに気付く。うれしくて通勤路に生えてある姿を写真に撮った。バス停前のわずかな隙間から顔を出していたり(写真上)、遊歩道の街路樹の下に群生していたり(写真中)、車道脇のアベリアの植え込みのなかから顔を出していたり(写真下)、などなど。どれもとてもかわいらしい。夕日をあびて輝いている姿に、これが本物の小判だったらすぐに借金が返せるのなあにと心はファンタジーの世界に遊んだ。 

でもひとつのことにうつつを抜かしている場合でもないんだな。今日もうちでちゃんとごはんを作りました。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第17報)
SAVE CHINA! (中国大地震)
5月29日(木)

・昨日の残りのハヤシライス
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・ルコラとマッシュルームのサラダ



残り物中心の献立だった。楽チンだった。新しく作ったのはサラダである。サラダの場合、軽い気持ちで出来るので2種類作った。

新築現場に行くと、瓦が無造作に並べてあった。瓦は地面に立てた状態で埋められ、屋根から落ちる雨だれをうけとめることになる。どんな感じになるんだろう今から雨の日が楽しみだ。ロマンチックがとまらない! ただし予算の都合上、おもに和室周りの設置となる。残りは普通に雨どいをつける。このささやかな感じがますますロマンチックではなかろうか。

25日の日記に写真を載せた紫色の花の名前が分かった。ニオイバンマツリ(ナス科)というらしい。花色が紫から白に変わるので英名は、Yesterday-Today-and-Tommorow とのこと。いい名前だなあ。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第18報)
SAVE CHINA! (中国大地震)
5月30日(金)
・回転寿司

職場ではいろいろな人々のおかげで、地味だけどブレイクスルーになりそうな解析結果が出て、ひとりでもうそれはそれは大大興奮した。台所におとなしく立つことができず外食した。


5月31日(土)
・えび天そば
・豚の冷しゃぶ、たっぷりサラダ菜とゴマだれで
・もやし炒め

午前中パウンドケーキを作り、お昼に新築現場に差し入れした。午後は4ヶ月ぶりに美容院に行って髪を短く切ってもらった。昨晩の研究者としての興奮は、ついに主婦として「素敵な奥さん」になりきるところまであまねく行き渡った。そして夜は金曜に出た解析結果を英文にまとめた。ネイティブチェックを受けたとしても、月曜には投稿できるのではないか。仕事がうまくいくと何もかも回り始めるのであった。でもちょっと危ないかも、フル回転しても全然疲れないんだもん。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第18報)
SAVE CHINA! (中国大地震)