2008年10月
10月1日(水)
・日本酒
・鴨鍋
・青ねぎ入り卵雑炊
10月になって手帳のページが新しくなったら、いろいろ重要案件をかかえていることが分かり、気持ちが青ざめた。そして今晩は昨日締め切りの仕事を持ち帰ってしまった。自分でも要領が悪いなあと思う。でもだからといって食事をないがしろにできない。寒くなったので鴨鍋にした。白ねぎはスープと一緒に煮て、薬味と雑炊には青ねぎをたっぷり添えた。これから主婦の見方、鍋の季節が始まる。
雨上がりに研究所近くを散歩した。街路樹の楠(クスノキ)に惹かれた。ネームプレートの説明書きにあったように、いくらでもある葉を一枚ちぎって揉んで匂いを嗅いでみたら爽やかなとてもいい匂いがした。まだ青い未来のどんぐりも発見。瑞々しいったらありゃしない。
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第25報)
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10月2日(木)
・白ワイン
・魚介の洋風トマトスープ鍋
・〆、スープスパゲティと残りご飯リゾット(ほんの少々)
ニースで「本物」の魚介のブイヤベースを食べたと散々夫から自慢された後で、うちで作る洋風簡易鍋トマト風味をブイヤベースと呼べなくなった。味が全然違うそうだ。いいもん。
保育園の先生のどなたかが手作りされたミズゴケのクマ(子犬?)の存在感に圧倒された。この訴えかけるようないたいけな眼差し! 思わず抱き上げぎゅっと抱きしめたくなるほど、モノにリアルな魂を感じてしまった。
10月3日(金)
・日本酒
・ちゃんこ鍋
肌寒くなってきたものだから、今日も鍋にした。市販のストレートつゆに食材を順次放り込んでいくだけだったので、あっという間に仕上がった。具をたくさん入れすぎて、〆のうどんにたどり着けなかった。
職場では締め切りを過ぎた2つめの原稿を出し、少しほっとした。その原稿でも触れたことだが、太田省吾さんのことを最近よく考える。『水の駅−3』(1998)の稽古場での発言のなかにとても重要なことが内容が含まれている。太田さんが言うに、多くの演劇人が「真理・能弁・目明き」の人として、既存の演劇の考え方に反対、対抗することで新しい何かを生み出してきた。けれども太田さんは、「反」の立場ではなく、例えば『ライ麦畑でつかまえて』の主人公が教師の教訓を前にあくびを噛み殺して眠ってしまうかのような、あくびの構造美を自分は求めたいという。
たいていの批評家たちは、太田さんの沈黙劇を「反」演劇と捉え、「強力な対抗文化」として称揚した。(ときにそれは太田さんを無条件に称揚することで、まるで自分らもそれに便乗する勢いで称揚しているかのように、外野にいる私の目には映っていた。) ご本人は全く異なるベクトルで物事を考え、それを形にしようとずっとあがいておられたのだ。何という孤独な闘いなのだろう。何という孤独な拒否。そして10年前の私はなぜそのことに気付かなかったのだろう。間抜けだ。遅すぎるよ、何事も。悔しい、本当に悔しい。太田さんはもう少し長く生きてもらえるものだと、根拠なく思っていた。
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第25報)
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10月4日(土)
・日本酒
・ごはん
・スペアリブと白菜の中華風煮込み
・納豆
・プチトマト
なにが見えるのかな?(撮影・勝吉)
見事な秋晴れのなか保育園の運動会「なかよしカーニバル」がおこなわれた。子どものしぐさってつくづくかわいいなあと思う。保育園最後の5歳児クラスはたくさん出番があり、高機能ぶりを見せつけていた。この時期の1歳の差って本当に大きい。
夕飯は枝元なほみさんのレシピを少々アレンジして、スペアリブの煮込みを作った。「アレンジ」というと積極的な意味合いが含まれるけど、実をいうと、紹興酒がなかっただけ、春菊が余っていただけ。
(1)代わりに酒半カップを使い、オイスターソース大さじ2、赤味噌大さじ2、にんにくしょうがのすりおろし各小さじ1を混ぜあわせたたれにスペアリブ600グラム(レシピでは800グラム)を20分漬け込み、
(2)白菜を5センチ幅に切って芯の部分を鍋底に敷きつめ、スペアリブをたれごと入れて、強火5分、
(3)さらに白菜の葉と春菊を上に乗せ、ふたをして弱火で30分煮る。
(4)ふたを開け、ざっと混ぜ合わせ、再び強火にして適宜煮詰めて出来上がり!
紹興酒を使うことでコクが出ると書いてあったが、酒でも十分おいしくできた。枝元さんありがとう! お会いしたことがないのに、私は一方的に親しみを感じている料理家のひとり。しょっちゅう助けてもらっています。太田省吾さんが元劇団員の彼女の作る料理を指して、「にんにくが多いんだよな」と親しみあふれた苦言をおっしゃっていたのを思い出す。
10月5日(日)
・白ワイン
・フレンチディナー
前日の晴天とはうってかわり、冷たい雨が朝から降っていた。夫が起き掛けおもむろに、今晩はフレンチを食べようと言い出し、実現した。席についたとき、私の顔をまじまじと見て、あんた本当に顔が丸くなったね、新婚当事は卵型で今はまんまるだよと、楽しい気持ちをぶちこわしにする「本当のこと」を言った。私はこの期に及んでそんなこと言わなくてもいいだろうとどうしようもなく機嫌が悪くなったが、メインの猪の煮込みはとてもおいしかった。昨日に引き続き野獣のような暮らしの趣味をしている。
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10月6日(月)
・ごはん
・豆腐とたまねぎの味噌汁
・ぶり大根
・山芋の摩り下ろし
・しいたけとエリンギの網焼き、柚子こしょう風味
自分でいうのもなんだが、今日はおいしく出来た。大根の下茹で時間を利用して、たまねぎをだし汁でゆっくり煮た味噌汁のおいしかったこと。基本的には「時間」が食材をおいしくするのだな。
食前に熊本の叔母から届いた梨を食後には岡山の実家から届いた葡萄を食べた。果物を食べるとき小動物の気分が少し分かるというか、ずっと果物だけ食べていたいという幸せな気分になる。
叔母にお礼の電話をかけて、ついでに雑草生(ざっそうふ)を目指す新居の庭の様子を報告すると、「あんた最先端なのは分かったけど、純和風の庭の人は相当むかむかして見とるとばい。どこんでか種が飛んでくるもん」と田舎の人間としてもっともなことを言う。さらに「あんたもしかしてセイタカアワダチソウ生やしとるんじゃなかとね。喘息でんなんでん引き起こすとよ」と聞かれ、イエスと大声で答えると大声で笑われた。叔母も確かに黄色の花は好きだそうだ。とてもきれいだと私も思う。でも花後はすぐ摘んで、蔓延らせないようにするようにという忠告をもらった。写真は駐車スペースの裏の様子。セイタカアワダチソウと生活感あふれる物置付近の組み合わせが個人的には好きだ。なごむ。
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10月7日(火)
・赤ワイン
・ビーフカレーライス
・ゆで卵
・ルコラとマッシュルームのサラダ
ここのところ金木犀の香りで祝福されているような毎日だ。お隣さんの庭の際には3本の金木犀が垣根代わりに植わってあり、朝玄関を出ると真っ先にいい匂いが飛び込んでくる。お向かいの前庭にはこんもりと丸く大きく刈り込まれた立派な金木犀があり、門を一歩出るとさらに香りのシャワーを浴びる。会社の門周りにもずらっと列植されていて、いい気分で仕事を始められる。毎年いつまでもこのうっとりとした状態が続けばいいのにと思いつつ、突然始まり、突然なくなるのが、この木のいいところだなと妙に納得する。ずっと続けばさわやかサワデーのように有難味がなくなるから。
幸せなことといえば他にもある。自然にできた獣道のような道のある庭を持つことが夢だったのだが、我が家の裏庭にもできつつある(写真)。ここもなごみエリアのひとつ。通るたびに気持ちよくなるので意味もなくぐるぐる庭を徘徊している。私はどうやら砂利や踏み石などで歩き方を予め規定されるのが苦手みたいだ。押し付けがましいのがとにかく嫌い、何事も。
ゆういちろうと葡萄を食べつつ空腹をしのぎ、少し帰りの遅くなる夫をカレーを煮込みながら待っていたら、いつもよりやたらおいしくできた。後から時間を計算してみたら、7時から作り始めて9時半に食べたので、炒めたり煮込んだりするのに正味2時間くらいかけたことになる。やはり「時間」だ。
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10月8日(水)
・赤ワイン
・昨日の残りのビーフカレーライス(ミニ)
・カレーうどん(ミニ)
・いさきのカルパッチョ
・乱切りトマト、ヨーグルトマヨネーズソースがけ
・ゆで卵
残り物で楽した献立だった。冷蔵庫に余っているヨーグルトを料理にも使えないかと考えていたおり、学生時代によくいっていた喫茶店のきゅうりのサラダを思い出した。ヨーグルトに塩コショウとマヨネーズ少々を混ぜ合わせた比較的さらりとしたドレッシングがかかっていた。予想通りトマトにもよく合った。いさきは栄養学的にいったら必要なかったのだけど、タイムサービス1パック214円に惹かれて、つい買ってしまった。食欲に負けてばかりだ。
今日は仕事帰り夫と合流して車で保育園に迎えに行ったのだが、車中で私はしみじみと「ホント、ゆういちろう、いとおしい〜」と力をこめてつぶやいたら、「え! うっとおしい!?」とびっくりされた。私は滑舌(かつぜつ)がよろしくないようだ。今晩うちのパソコンでスパムメールを削除していたら、「セックルしたい」という表現を見つけ脱力した。とても大事なキーワードを誤字するスパムメールなんて、本当にいい迷惑だ。
携帯カメラの写真を整理していたら、保育園でお料理教室(確か、よもぎだんご作り)のあった時期の、ゆういちろうの怪しい写真が出てきた。いとおしい我が子である。
■追記
明けて9日朝、本日記を読んだ夫は「セックルって何かの隠語かもしれないよ」と含みのある発言をして早朝出勤していった。気になってネットで調べてみると、なんと、ちゃんとした専門用語だった。昨日鬼の首をとったかのように相手の間違いを指摘した自分って。。。2重にショック。(9日午前7時22分記す)
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10月9日(木)
・日本酒
・ちゃんこ鍋
・〆うどん
出勤途中に通る歩道側面にある街路樹の下草に、巨大な白いきのこを発見した。やぶれ傘状態だけど、余りの大きさにびっくり。周りが緑のなかで「超」目立っていた。
単独で映してもこの大きさが伝わるまいと、重要なことに気付き、比較対象として私のスニーカーを差し出してもう一枚撮影した。朝からナイスなひらめき。それにしてもでかいでしょう? 平均的な大きさの足がとても小さく見えてしまう。
夕方、名古屋大学の鈴木泰博さんがふらりと研究室にお見えになった。大変面白いブログをお書きになっていることからも分かるように、懐の広い方だ。それをいいことに、私はほとんど一方的にずっと自分の新居の自慢話をしてしまった。ごめんなさい。私のブランド名は「ジマンシー」だと夫から言われるわけだ。
帰宅後、昨日買いだめしていた材料で鍋を作った。今日、日中は日差しが強く暑いくらいだったので、いまいち「感じ」がでなかった。〆の極太の鍋亭うどんは相変わらずおいしかったのだけどね。
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10月10日(金)
・日本酒
・担担麺
・えびチリソース
・水餃子スープ
担担麺とえびチリソースは夫が、スープは私が作った。
昨晩ころからひどい肩凝りがして、今日は鼻水、くしゃみが出るようになった。アレルギーか何かだろうか。それとも風邪か? 明日は仕事のことや将来のことを考えず、自分の好きなことだけして暮らそう。
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10月11日(土)
・白ワイン
・野菜のコンソメスープ、プチトマト入り
・スパゲティ・ペスカトーラ
本日、ある大学の教員公募の不採用通知を受け取った。そりゃあ最初から期待なぞしていなかったさ、でも実際に受け取ると、全くいい気分はしない。これで何度目だろう、慣れているとはいえ、それが人情ってものでしょう。こうなったら、木を植えてやるぜと、庭に桂と金木犀の木をせっせと植えた。ついでに美容院で髪をいつもより明るく染めてやったぜ。というのは半分嘘で、1,2週間ほど前から今日の午前中に木が届くよう手配していたし、美容院も予約を入れていたのであった。結果的にナイスタイミングでとてもいいストレス解消になったのは、本当だ。
木の持っている力、美容院でおしゃべりしながら髪をきれいにしてもらう力は、すごいと思う。ふと気付けば、いつのまにか肩の凝りと鼻水、くしゃみが止まっていた。昨日の私の調子の悪さはいったいなんだったんだ。風邪やアレルギーって一晩で吹き飛ばされるものなのだろうか。謎。
不採用は残念だけど、別の人生が開けたのだと素直に状況を認めている。きっと教員になるのはまだ早い、自分の食い扶持は自分でとってこれる研究者を続けろってことなのだ。3年周期の緊張感あふれる生活だ。やくざな生活だと思う。
夕食は夫が作ってくれた。おいしかった。・・・・・とここまで書いて、向こうの部屋にいる夫から呼び出された。『ニュータウン入口・NHK芸術劇場版』をビデオで見ていた。泣いていた。かと思ったら、次の瞬間笑い始めた。知らない人がこの様子を見たら、頭がおかしくなったのではないかと思うと思うよ。私たちのニュータウンの生活は始まったばかりだ。全ての戦いはあらかじめ敗北している、とまだ言いたくない負けず嫌いの秋。
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10月12日(日)
・スパークリングワイン
・ごはん
・お惣菜いろいろ
ピッコロ劇団の『桜の園』をピッコロシアターに家族3人で観にいった。原作チェーホフで、演出は松本修さん。主演の女主人は、なんと、保育園のゆういちろうの同級生のお母さんである木全晶子さん! ゆういちろうにとっては「○○くんのお母さん」で、木全さんの出る作品は大人向け作品であっても無理を言って特別に見せてもらっている(ありがとうございます)。どの作品も食い入るようにものすごく真剣に舞台を見ている。
俳優の演技、演出、舞台美術、どれも堪能した。後日、感想をまとめよう。アフタートークでは、別役実さんの『場所と思い出』のモスクワ公演時に、チェーホフの墓参りに行ったそうだが、そのとき別役さんが「戯曲がうまくなりますように」と願掛けした話など面白いエピソードも聞けた。
稽古では松本修さんは机をバンバン叩いてとても怖かったそうである。それに劇場通信には、「この二年間、ピッコロの役者たちと稽古をしたり、舞台を観たりしていて、チェーホフを通過していないなあ、と感じた。(中略)ピッコロの役者たちは、演劇表現について、深いところで考える、疑ってみるという作業を集団でする必要があるのではないのか、と外部の人間として感じることが多々あった。」と発言していたし、一体どんな舞台になるのか気になっていたのだけど、演出家と俳優のあいだで真剣勝負あったのだなという気迫の舞台に仕上がっていた。
今度木全さんをうちにお招きして、いろいろお話を聞かせてもらおうと、帰りの車中はやたら盛り上がった。備忘録として書き残しておくと、例によって例のごとく泣き虫の夫は劇中号泣していました。夕飯を作るのが面倒になり、駅前のスーパーでご飯と惣菜(好物ばかり集めた)を買ってきて学生時代のホームパーティのような夕食となった。
10月13日(月)
・紹興酒
・長崎ちゃんぽん
3連休最終日。夫は休日出勤。ゆういちろうは朝起きるや否や、昨晩作りかけの模型飛行機を完成させたいとハイテンションで張り切っていた。私にも手伝えと言う。天気のいい午前中のいい時間をうちのなかで過ごすのも嫌なので、自転車に乗って公園に行こうと誘ってみたが、「こんなん太陽が照って、外は暑いねんで。あかん」とこんこんと説教を始めた。口が達者になってきた。憎たらしい。
早朝出勤の夫を送り出し、ゆういちろうが起き出す前に、ゆっくりと庭の見回りをした。葉っぱが黄色くなり、弱っていると思っていたミニバラ(前の家から持ってきた引越し組)が、新しい葉と花を咲かせているのを発見。バッタもいた。
既存の茅が覆いかぶさり、跡形もなく消え去ったと思っていた同じく引越し組のジキタリスに新しい葉がひっそりと青々と生えていた。草刈するまで気付かなかった。茅の葉の下で暑さをしのいでいたのかもしれない。
雨が降ると裏庭の不毛感漂う粘土質の土がじゅるじゅるとなり滑りやすくて危ないので、砂を撒いて様子を見ているのだけど、最近あちこちでミミズの糞を見かける(黒いぶちぶちがそれ)。よくあんな土のなかで生きられるなと思うが、せっせと土を耕してくれてありがとう。
夕食は簡単な一品料理にした。具沢山ちゃんぽんにしたので、さびしい感じはしなかった。
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第25報)
10月14日(火)
・日本酒
・鯛めし
・なめこと豆腐の味噌汁
・茹でオクラ、しょうゆマヨネーズソース
・プチトマト
さ来週お客さんがいらっしゃるので、そのときお出ししようと思っている鯛めしを予習してみた。父の釣った鯛の切り身がたくさん冷凍庫で出番待ちしているのだ。釣ってすぐ下こしらえして瞬間冷凍しているせいか臭みが気にならなかった。よかった。
以前インターネットで買い物した山野草屋さんから最新カタログが届いた。他に考えなければならない大事なことがあるというのに、食後は、アヤメと花菖蒲とカキツバタ、それぞれたくさん品種があるなかでどれを庭に植えたらいいか、いろいろ調べながら真剣に悩んだ。その結果、今悩まなくてもいいだろうという結論に至った。つまり、花の季節になって実際の花の姿を見てから買ったほうが得策だろうと思ったのだ。珍しいそして往々にして栽培の難しい品種に手を出すよりは、いつものホームセンターで強く美しく健康で平凡なものを求めよう。
花菖蒲の華麗な姿を前に、大名庭園じゃないんだからと急に醒めてしまったのだ。ついさっきまであんなに興奮して大型の花菖蒲をがんばって育てようと思っていたのに、この熱しやすく冷めやすい性格はなんなんだろうと自分でも呆れる。
と書きつつ、カタログにあった斑入りカキツバタはなんだかんだいっていずれ注文するんじゃないかという予感大。葉っぱが珍しくて気に入っている。花のない時期も楽しめそうだから。普通のアヤメと隣合わせになるよう植えてみようと密かに思っている。(落ち着け、自分。)
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10月15日(水)
・赤ワイン
・ごはん
・トマトのポタージュスープ
・ビーフステーキ、しょうゆトマトソース
・マッシュポテト
・からし菜のサラダ
十五夜お月様の日だった。家の前の土手のススキを切ってお供えした。重たい食事の後、庭に出て、しばし明るい月を眺めた。空気はひんやりしていた。こういうのがやりたかったのよ、やっぱり自分たちの好きにできる庭があるのはうれしいなあ。
昨晩日記を書いたあと、結局園芸熱を抑えることができず、前から買うと決めていた太陽という名の真っ赤な牡丹を予約注文した。気分はもう緋牡丹お竜! 月と太陽、上々だ。
最近とみに自分でも落ち着きがないと思う。いくつか原因は考えられるのだけど、ひとつに庭好きの祖父の入院のことがあると思う。今まで祖父の様子見があるからと実家の父母は奈良の新居に来る機会がなかった。入院すると世話は看護士さんがしてくれるので、これを期に行ってきたらと先週末親戚のおじさんからも言ってもらえたそうなのだけど、今度はこちらの予定が詰まっていて実現できなかった。
祖母のときもそうだったが、私は面と向かって優しいことばを肉親にかけたことはない。それどころか、自分の結婚のときも、いわゆるヴァージンロードを父と腕を組んで歩くとき、「いよいよじゃな」と言った父に、「あのオルガン音外れとる」と答えるダメ女だ。いくら照れ症で「今までありがとう」が言えなかったとしても、せめて「うん」ぐらい言ったらよかったのにと後悔先に立たずなことをした。
自分が死ぬときもきっと「この病院の空調はなってない」とか憎まれ口をたたきながらあの世に行ってしまうのではないかと今から心配している。まあこれはかなり先になるはずだ。問題は祖父のこと。祖父には長生きしてもらいたいが、寿命というものがある。平均寿命を15年ぐらい超えているのだ。だから将来どのような看取られ方になるのか、あれこれ気を揉んでいる。直接何ができるわけでもないので、揉んでいるだけともいう。
就職の機会を一つ失った、せっかく建てた家が抵当に入るようなことだけは避けたいと職場で派手に落胆していたら、友人がある専門学校の非常勤の口を1コマ譲ってくれた。深謝。しかも高校を卒業したばかりの未来の看護士さん対象の一般科目となるらしい。そういう人々に出会えるのはありがたいことだ。
参考程度にと教科書候補の本も貸してくれたのだが、最後のほうにあったターミナルケアの項目を前にすっかり動転した。私がそういうのを教えていいのだろうか。とりあえず本屋に行って、関係ありそうなものを探した。ホスピス医療に関わる医師と谷川俊太郎が交わした往復書簡『詩と死をむすぶもの』という本を見つけ、買って読んでみた。ターミナルケアの問題関心とは直接関係ないところで、次の詩が心にひびいた。
「あかんぼがいる」
いつもの新年とどこかちがうと思ったら
今年はあかんぼがいる
あかんぼがあくびする
びっくりする
あかんぼがしゃっくりする
ほとほと感心する
あかんぼは私の子の子だから
よく考えてみると孫である
つまり私は祖父というものである
祖父というものは
もっと立派なものかと思っていたが
そうではないと分かった
あかんぼがあらぬ方を見て眉をしかめる
へどもどする
何か落ち度があったのではないか
私に限らずおとなの世界は落ち度だらけである
ときどきあかんぼが笑ってくれると
安心する
ようし見てろ
おれだって立派なよぼよぼじいさんになってみせるぞ
あかんぼよ
お前さんは何になるのか
妖女になるのか貞女になるのか
それとも烈女になるのか天女になるのか
どれも今ははやらない
だがお前さんもいつかはばあさんになる
それは信じられぬほどすばらしいこと
うそだと思ったら
ずうっと生きてごらん
うろたえたり居直ったり
げらげら笑ったりめそめそ泣いたり
ぼんやりしたりしゃかりきになったり
そのちっちゃなおっぱいがふくらんで
まあるくなってぴちぴちになって
やがてゆっくりしぼむまで
『真っ白でいるよりも』 一九九五より
私の祖父は初孫である私が生まれた頃、どんなことを考えていたのだろうか。私の最初の祖父の記憶といえば、健康のためにとカゴメトマトジュースを無理強いする姿だった。当事はあんなまずいものは大嫌いだったので、断固として拒否を続けたのを覚えている。そのうち言われなくなった。今はトマトジュースは大好きで、しょっちゅうごくごく飲んでいる。
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第25報)
10月16日(木)
・鱈と鶏ごぼうつみれの寄せ鍋
・〆うどん
夫が作ってくれた。食事中にやおら、通勤経路としている道路付近で、大阪府が保育園の畑を強制的に壊して道路建設を進めたという話をし始めた。ネットニュース(例えば、ここ)で確認した。食欲が一気に減退した。子どもを力づくで泣かせる政治って、何のための政治だ。子どもたちの記憶のなかにこの日のことはずっと残るはずだ。それは大人として絶対にやってはいけないことのはずだ。今**をやらなかったらもっと甚大な損失を被るという言い回しは、原爆投下を正当化する人たちをはじめ、様々なところで使われるが、恥を知れ。
昨日、「2008 場のアーツとコミュニケーション開催のお知らせ」を受け取った。科学者の清水博先生が開催趣旨を長文で寄せておられた。科学者にそんなことを言わしめる世の中なんて末期症状以外の何ものでもないと昨日の段階では少し斜に構えるところもあったのだが、やはり自分のことばとして発言していかなければいけないのだと、大阪府のやり方を見て思った。私は、今はダメだ。力づくでなぎ倒される野菜や人の姿を見て、悔やし涙でことばが詰まって、うまくしゃべれないのだ。せいぜい出てくるのは、書いてしまえば自己嫌悪に襲われるだけの呪いのようなことばばかり。
代わりに、以下に清水先生の開催趣旨のことばを一部引用する。
この地球という閉じた空間で生きていくためには、多様な地球の
存在者の間でその生死を含めて生命の循環がおきていることが必要
です。重要なことは、強者だけで生きていくことができないことに気づき、
そして強者であるほど、多くの弱者によって生かされているという事実を
受け入れることです。したがって、「愚かな形」から抜け出すためには、
強者であると、弱者であるとにかかわらず、弱者に「存在の理」を与える
生き方をすることが必要です。つまり地球においてはすべてが「弱者」
であり、強者と弱者という考え方自体が矛盾しているのです。このことから、
「勝ち抜きの文化」に代わって、強者と弱者という相対的な考え方を超えて、
存在者たちが共に存在する「共存在の文化」を創ることが必要になるのは
明らかです。
日本の「場の文化」は「かなしみの文化」です。それは「限りある短い
いのちを生きて、死ねばふたたび現れることがかなわない存在」として自己を
見るばかりでなく、また他者をも見ることから、存在することの「もののあわれ」
を心の奥底で共有することを人間のもっとも重要な感情とする文化であったと
いうことができます。またこの共存在感情によって「悲しみ」が「愛しみ」に
つながり、自己と自然との細やかな共存在感情にまで広げられて、さまざまな
場の文化を生んだことはよくご存知のことと思います。ここに私たちが参考に
すべき深い知恵があると思います。この地球において「弱者の理」に生きる
ことは、人間としての主体性を棄てることでは決してありません。主体性の
あり方を閉鎖的な形から開かれた形に変えることです。自分自身に内発する
はたらきにしたがって、多様な他者と共存在するように生きることが主体的な
生き方なのです。
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第25報)
10月17日(金)
・白ワイン
・宅配ピザ
・宅配コーンクリームスープ
今晩はジャンクな気分でピザにしたいと夫が言った。私も作るのが面倒だなと思っていたので、よろこんで同意した。
昨日、帰宅すると、飾ったススキが風にあおられて倒れていた。今日もそのままにして出かけ、帰ってみると、なんと穂がふさふさになっていた。土手に生えているススキはまだ固いままなので、乾燥することでふさふさ化することが分かった。田舎に生まれたのに、そんなことも今まで知らなかった。ついでに知らなかったことといえば、10月1日付の日記でクスノキにどんぐりの実がなると書いたが、それは間違い。これからどんぐりではなく青い実になるそうだ。またセイタカアワダチソウは花粉症を引き起こすと言われていたが、どうやらそれも誤りらしいのだ。虫媒花、つまり風で花粉は飛ばされないと最近では言われているとのこと。これで3つ賢くなることができた。そこはかとなくうれしい気分♪
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10月18日(土)
・懇親会メニュー
南山大学名古屋キャンパスで開催された法と心理学会に聴講に出かけた。2010年の裁判員制度実施に向けて準備しているタイプの研究が中心を占めているようだった。取調べの可視化をめぐるワークショップで、取調べのビデオ記録の際のカメラアングルをどうすればよいかという議題があった。自分自身の研究テーマとも深く関わる問題で、興味深く拝聴した。映画のカメラワーク技法を少しでもかじっている人であればあったり前のことが全く配慮されてなく録画されることで、不利益を被りやすい立場の人たちが出てくるというのは、やはり学際的な研究が非常に重要であるということを示していると思う。
韓国との研究者交流も本格的に始まった。あちらの最高裁判事の方々もいらっしゃっていた。とても気さくな雰囲気をかもし出しておられ、研究者とも仲がよい感じだった。日本の裁判官は集会に出かけるのを極端に抑制している(させられている)と思う。それぞれの国にはそれぞれの事情があるという当たり前のことをあらためて認識した。
来年で本学会設立10年目に当たるとのこと。10年の月日って、気づけばあっという間に過ぎていた。懇親会では新しい出会いを求めて社交するよりは、旧交を温めることばかりした。お話していて楽しい気分になる人たちなのだ。私がすっかりなついている人たち。楽しかった! でも新しい人たちがどんどん入ってくるような雰囲気ではないということは、少し残念な気もする。とても大事なことが話し合われているのにアクセスする人間が非常に限られているのはもったいないし、パラダイムシフトを起こすような新しい刺激が得にくい状況はよろしくない。それとも裁判員制度が始まる前の嵐の前の静けさなのだろうか。
10月19日(日)
・日本酒
・ごはんに偽カニふりかけ
・おでん
保育園行事である秋のレクリエーションに出かけた。会場の生駒山麓公園へは初めてだったので、私も期待に胸をふくらませており、いつもよりずっと早く6時半には目が覚めてしまった。やることがないので、庭のレモンの木の苗についていた色づきかけのレモンを収穫して、他の果物と一緒にあしらい、携帯カメラで撮影した。本日記に載せる用の完全に「狙った」写真である。ちょっと絵になりすぎているなあと朝からひとりでぶつぶつ。暇をもてあましていた。
公園に着くと最初の遊具は、本物の列車車両をそのまま一両置いただけのシンプルな作りのものだった。大人も子どもも自由に出たり入ったりできる。ときには座ってぼーっと外を眺めることだってできる。居心地のいい空間だった。
今年は役員の人たちがいろいろレクリエーションに頭をしぼってくださっていて、ありがたかった。ゆういちろうの同級生の保護者のなかにアメリカ出身のメアリー先生(小学校で英語をおしえている)がいらっしゃって、彼女による本格的な「英語で遊ぼう」コーナーは特に子どもたちに人気だった。ゆういちろうも英語が分からなくても、大喜びでからだを動かしていた。去年私たちが役員だったときは、おもにお弁当に頭を悩ませ、レクリエーション企画は一番手を抜いたところだ(本末転倒)。
お弁当を食べて、さらにしばらく遊んだあと、有志でフィールドアスレチックコーナーに行くことになった。これが、軽くみてたら痛い目にあうコースだったのだ。個々のアスレチック名にも地獄とか行者とかおどろどろしい名前がついている。私たちがスタートする前に救急車がやってきて、担架が運び入れられた。私たちが最初のアスレチックを終えた頃、下からどいてくださいという声が聞こえ、かなりお歳を召したおじいさんが運ばれてきた。痛そうに肩を押さえておられた。とてもかわいそうだった。終わってみて分かったが、この施設にはワープというか、リタイアした人がショートカットして戻れる道などついていないのだった。絶対ひとりで山に入ってはだめだ。私たちのチームは全員怪我もなく戻れてほっとした。みんなで助け合って、自然と連帯感が芽生える場所だった。
帰宅後、カリンと沈丁花とフジバカマの仲間の草を庭に植えた。夫がおでんを作ってくれた。とてもおいしかった。
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第25報)
10月20日(月)
・赤ワイン
・ハヤシライス
・春菊と生ハムのサラダ
・焼きエリンギ、ゆずこしょう風味
春菊と生ハムはとても相性がよい。奥村まことさんから教えてもらったことだ。奥村先生、まことさん、まきさん、みなさんお元気かな。うちの祖父はおかげさまで手術も無事成功し、術後すぐに、退院したらマスカットと鰻が食べたいと言ったそうだ。よかった。
私の植樹熱はとどまることを知らず、今度は祖父の好きなイチイの木を注文した。赤い実のなる雌木で、根元近くから2つに分かれているものにした。「相生」ともいう、おめでたい形だそうだ。←モロに受け売りです。到着が今から楽しみだ。
こんなに買ってお金が続くのかという素朴な疑問を持つ友人も出てきたので、この場を借りて補足説明しよう。高さ1.5メートルくらいの今回のイチイは2800円。昨日の沈丁花999円、カリンは698円、いずれも高さ50〜70センチくらいの苗木。つま〜り、何年もの年月をかけて立派に仕立てた銘木(松など)でもない限り、家が傾くほどの高値はつかないと見て大丈夫。かわいい苗木や幼木をゆっくり育てていくのが楽しみな上、お値段もかわいいので、カジュアル園芸にはまっていく人が出てくるのも分かるでしょう? 目下の問題はついあれもこれもと植えすぎないようにすることだ。
ちなみにイチイの別名はアララギといい、あの近代短歌の最大派閥の名前もこの木からとられているそうだ。知らぬ間に文学趣味の庭になってきたぞ。そういうのに無意識的に影響されてきたのか、先日寝起きにものすごい句を思いついたと思ったことがある。とにかく忘れないうちに書き残そうと思い、半ば命令的にすでに起床していた夫に口述筆記してもらった。しばらくまどろんだ後、起きて、紙を確認してみると、
本人も
仕事も
メイルも
いっぱいだ
と書かれてあった。確かにいろいろなことでいっぱいいっぱいの生活なのだが、これのどこが名句なのだろう。全然ダメである。夫が不機嫌だったのも当たり前だ。朝の忙しいときに、寝ぼけた奴を相手にするのは、さぞかし腹立たしいことだったろう。その書かれた紙を前にして、私は今も自分に腹を立てている。
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第25報)
10月21日(火)
・昨日の残りのハヤシライス
・焼きなす、しょうゆオリーブオイルだれ
・ゆで卵
・プチトマト
平田オリザさんは最近大阪大学/ATRの石黒浩先生とタグを組んで、ロボット演劇を作ろうとしている。本日、情報交換のため石黒先生とお会いした。平田さんが私の研究のことを紹介してくれたらしいのだ。石黒先生からは、11月の公演に向けて、現在の稽古状況についておしえていただいた。非常に興味深い話だった。このお話、早くどこかに公開してくれたらなあと思った。ぜひとも今後の論文で引用したいのだ。私は自分の論文をお渡しした。研究者冥利を味わえた。
夕食は残りものを利用した楽チン献立だった。食後ゆういちろうと一緒にレイモンド・ブリッグズ原作『スノーマン』のアニメーションをDVDで見た。オープニングは実写。青年が庭の林をバックに雪景色のなかを歩くシーンから始まる。青年によるナレーション。 I remember that winter. Because it brought the heaviest snow that I had ever seen. ...略... It was a magical day... And it was on the day. I made the snowman. そして、あの有名な歌"Walking in the air"のメロディが流れ、実写がいつのまにかアニメーションに変わり、子どもの頃の物語が映し出される構造をしている。
空を飛ぶシーンでは、ゆういちろうと二人して、ここぞとばかり、 We're walking in the air〜〜〜とほとんどハミング調の裏声で熱唱。ところが「お母さんは唄わんといて。ゆういちろうがうまいから」と禁止された。むっとしながらも、ラストシーンには毎度のことながらほろりときた。ゆういちろうがたくさん幸せな思い出を抱えて、大人になれますようにと願う。
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第25報)
10月22日(水)
・日本酒ほんの少々
・鶏と鴨つくねの水炊き
・〆うどん
夫が作ってくれた。ありがとう。
昨日からスノーマンの主題歌でもありクリスマスソングでもある"Walking in the air" が頭から離れない。他の人からしてみれば気持ち悪いであろう裏声を振り絞って、気づくと大声で歌っている。これがまた日本人でも分かりやすい韻を踏んでて気持ちよいのだ。Howard Blake による歌詞は次のとおり。
We're walking in the air
We're floating in the moonlit sky
The people far below are sleeping as we fly
I'm holding very tight
I'm riding in the midnight blue
I'm finding I can fly so high above with you
Far across the world
The villages go by like trees
The rivers and the hills
The forests and the streams
Children gaze open mouth
Taken by surprise
Nobody down below believes their eyes
We're surfing in the air
We're swimming in the frozen sky
We're drifting over icy
Mountains floating by
Suddenly swooping low on an ocean deep
Arousing of a mighty monster from its sleep
We're walking in the air
We're floating in the midnight sky
And everyone who sees us greets us as we fly
I'm holding very tight
I'm riding in the midnight blue
I'm finding I can fly so high above with you
で、急に日本語に訳したくなった。残念ながら子どもの頃の「ピュア」な気持ちはすっかりなくなってしまったようで、子どもの立場にたったうまい日本語がなかなか思い浮かばない。わざとらしい幼児語になってしまう。
私が最も近く「ピュア」だった頃といえば、、、やはり何の利害関係も絡まなかった初恋の頃まで遠く遠く遡らないとだめみたい。ということで、思いっきり都合よく美化された思い出を利用し、恋する乙女ヴァージョンで訳してみた。
秋の研究提案書作成シーズンに突入し、多くの研究者は苦しんでいることだろう。現実逃避するのもほどがある、こんなことをやっている暇があるならさっさと提案書書き上げなと、この際そんな無碍なこと言わず、できたら笑わないで聞いて欲しい。
ねえほら宙を歩いているわ
お月様が照らす空に浮かんでいる
なのにずっと下にいる人たちは眠っているのね
私はぎゅっとしがみついて
真夜中の青に乗っかっている
あなたといると私ずっと高く飛べるのね
世界のはるか彼方
まるで林のなかを通り過ぎるかのように村々が飛び去っていく
たくさんの川や丘や
森も、飛び去っていく
下にいる子どもたち、ぽっかり目をあけて
驚いている
自分の目が信じられないでいるのね
ねえほら宙を波乗りしてるわ
凍りつく空を泳いでいる
ぷかぷか浮かんでいるように見える氷の山々を
私たち滑っているのね
突然深い海の底向けて潜っていくと
恐ろしい怪獣がその眠りから覚める
ねえほら宙を歩いているわ
真夜中の空に浮かんでいる
飛んでいる私たちを見て、みんなあいさつしてくれる
私はぎゅっとしがみついて
真夜中の青に乗っかっている
あなたといると私ずっと高く飛べるのね
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第25報)
10月28日(火)
・ロゼワイン(いただきもの)
・ちゃんこ鍋
・〆うどん
夫が作ってくれた。ありがとう。
しばらく間があいた。主にどんなだったかというと31日締め切りの提案書が書けずに苦しみに苦しんでいた。そのファンドがとれなかったら、来年度からほぼ無給となる可能性が高い。生活がかかっているのだ。新居建ててすぐ差し押さえなんて絶対に避けたい。何とかしなければと気持ちだけ焦っていた。まだできていないけど、あまりに切羽詰りすぎて、なんだか余裕が出てきた。この感覚、もしかして「やばい」ものなのではないか。
先週末は、かつて事務・研究業務で散々お世話になった方々や院生さんたちをお招きして新居お披露目パーティをした。前から決まっており、夫婦ともどもひさびさにお会いできるのをとても楽しみにしていたのだ。予定では既に提案書を書き上げているはずだったが、甘かった。いやむしろ完全によい気分転換になってよかった。楽しかったな〜。なかには徹夜してずっと今後の研究計画について話し込んでいる方たちもいらっしゃった。私も最後までお付き合いしようと思ったが、途中で睡魔ノックダウン。無理無理。
昨晩もほぼ徹夜して、今も別の重要書類を書き上げ、なんだかハイテンション。今晩はこれからちゃんと寝て、明日絶対に完成させてやるぞ。猛烈にやる気が出てきた。シケた辛気臭い提案には誰も見向きもしないから、提案書作成中は無理矢理にでも自分をアップさせ、すなわち「私は今とってもすごいことを考えているの、こんなことできる奴他にはいないわ、これにお金つけないなんてどうかしてる」と本気で思い込みながら書かないとだめなのだ、少なくとも私の場合は。ところが今回なかなかそのモードに入ることができず苦労していた。なんかハシタナイ文章だなと、ことあるごとに自分でつっこみが入るのだ。でも、明日からは人が変わったかように書いてやる。生活のためにがんばるのをハシタナク感じるほうが愚かだ。何様のつもりだ。当たり前のことじゃないか。
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第25報)
10月30日(木)
・白ワイン(いただきもの)
・ごはん
・にゅーめん
・昨日の残りの豚スペアリブの煮込み
・ほうれん草の胡麻和え
競争的研究資金を獲得しようと、徹夜続きの日々である。3年周期でやってくる美容と健康にとても悪い時期だ。昔の研究者って、貧乏してても明るいというか、こんなに切迫していたように思えないけどな。競争を続けるのはなんでこんなにつらいんだろう。それでもやめられないのはなぜだろう。みゆきさんの歌になぐさめてもらおう。
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風にとけていったおまえが残していったものといえば
おそらく誰も着そうにもない
安い生地のドレスが鞄にひとつと
みんなたぶん一晩で忘れたいと思うような悪い噂
どこにもおまえを知っていたと
口に出せない奴らが流す悪口
みんなおまえを忘れて忘れようとして幾月流れて
突然なにも知らぬ子供が
ひき出しの裏からなにかをみつける
それはおまえの生まれた国の金に替えたわずかなあぶく銭
その時 口をきかぬおまえの淋しさが
突然私にも聞こえる
エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
エレーン その答を誰もが知ってるから 誰も問えない
流れて来る噂はどれもみんな本当のことかもしれない
おまえは たちの悪い女で
死んでいって良かった奴かもしれない
けれどどんな噂より
けれどおまえのどんなつくり笑いより、私は
笑わずにはいられない淋しさだけは真実だったと思う
今夜雨は冷たい
行く先もなしにおまえがいつまでも
灯りの暖かに点ったにぎやかな窓を
ひとつずつ のぞいてる
今夜雨は冷たい
エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
エレーン その答えを誰もが知ってるから誰も問えない
エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
エレーン その答えを誰もが知ってるから誰も問えない
- 右の翼は夜 忘れさせる夜 つらさ悲しさを忘れさせる翼
左翼は海 思い出させる海 忘れたくなかった人を映す海
逃げなさい心よ 怖れの国から 闇色翼に抱き守られながら
逃げなさい心よ 憂いの国から 時も届かない夢へ逃げなさい
歌ってもらえるあてがなければ 人は自ら歌びとになる
どんなにひどい雨の中でも 自分の声は聞こえるからね
ララバイ ララバイ 眠れ心 ララバイ ララバイ すぐ明日になる
ララバイ ララバイ 眠れ心 ララバイ ララバイ すぐ明日になる
- 思い出は翼に変われるだろうか つらさ悲しさも翼になるだろうか
思い出がなければ笑えるだろうか 怖れや憂いを笑えるだろうか
歌ってもらえるあてがなければ 人は自ら歌びとになる
どんなにひどい雨の中でも 自分の声は聞こえるからね
ララバイ ララバイ 眠れ心 ララバイ ララバイ すぐ明日になる
ララバイ ララバイ 眠れ心 ララバイ ララバイ すぐ明日になる
- 歌ってもらえるあてがなければ 人は自ら歌びとになる
どんなにひどい雨の中でも 自分の声は聞こえるからね
ララバイ ララバイ 眠れ心 ララバイ ララバイ すぐ明日になる
ララバイ ララバイ 眠れ心 ララバイ ララバイ すぐ明日になる
僕のことばは意味をなさない
まるで遠い砂漠を旅してるみたいだね
ドアのあかないガラスの城で
みんな戦争の仕度を続けてる
旅をすること自体おりようとは思わない
手帳にはいつも旅立ちとメモしてある
けれど
with…そのあとへ君の名を綴っていいか
with…淋しさと虚しさと疑いとのかわりに
with…そのあとへ君の名を綴っていいか
with…淋しさと虚しさと疑いとのかわりに
with…
生まれる前に僕は夢みた
誰が僕と寒さを分かちあってゆくだろう
時の流れは僕に教えた
みんな自分のことで忙しいと
誰だって旅くらいひとりでもできるさ
でも、ひとりきり泣けても
ひとりきり笑うことはできない
with…そのあとへ君の名を綴っていいか
with…淋しさと虚しさと疑いとのかわりに
with…そのあとへ君の名を綴っていいか
with…淋しさと虚しさと疑いとのかわりに
with…
僕のことばは意味をなさない
まるで遠い砂漠を旅してるみたいだね
けれど
with…そのあとへ君の名を綴っていいか
with…淋しさと虚しさと疑いとのかわりに
with…そのあとへ君の名を綴っていいか
with…淋しさと虚しさと疑いとのかわりに
with…そのあとへ君の名を綴っていいか
with…淋しさと虚しさと疑いとのかわりに
with…そのあとへ君の名を綴っていいか
with…淋しさと虚しさと疑いとのかわりに
with…
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号泣してしまいそうだ。すぐ明日が来てしまってはまことに困る。
よし、いったん風呂に入って、気持ちをさっぱり入れ替えて書こう。書くぞ。
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第25報)