料理ネタ


2009年2月

2月1日(日)

・ごはん
・ねぎとわかめの味噌汁
・鯛の塩焼き、ポン酢で
・山芋とろろ
・焼きとうもろこし



玄関脇に置いていたビオラとネメシアの寄せ植えが甚大ななめくじ被害にあったので、しばらく前に表の庭の軒下に移動させた。さすがにきゃつらはこちらまではやってこないようで、きれいな花を咲かせるようになった。11月に植えつけてから2ヶ月弱で、もうこんなに鉢いっぱいに広がった。植えつけ当初はすかすかで土肌が半分くらい見えていたのに。寒い中がんばっているなあ。一緒に植え込んでおいたクロッカスの球根からも芽がにょきにょき生えてきた。春になるとかわいらしいクリーム色の花を咲かせることだろう。楽しみだ。

冷蔵庫にありあわせのもので夕食を作った。父の釣った鯛(冷凍切り身)はこういうときに助かるのだ。保育園で使うゆういちろうのマークがとうもろこしのため、うちでは季節外でも水煮パックをほぼ常備していて気が向いたときに網焼きしている。これまた助かった。

ガザ人道支援(第9報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
2月2日(月)

・ミネストローネ
・スパゲティ、バジルソース
・帆立と牡蠣のグラタン

ミネストローネは油を使わずさっぱり仕上げたが、あとはこってり系。グラタンは水っぽくなったし、市販の瓶詰めバジルソースは味が濃すぎたし、正直おいしくなかった。失敗。そういう日もあるさ。油に対する愛着と拒否感が交互に入り乱れる今日このごろ。



生協に食料の買出しに行くと、ご自由にどうぞと節分用のヒイラギの枝が段ボールのなかにどっさり入っていた。一枝もらってさっそく玄関に飾った。シーサーもいい感じでがんをとばしている。悪霊よ去れ! ヒイラギをつかむとき誤って手に棘があたって痛かったし、シーサーに睨まれてバツの悪い思いをしたし、私のなかの鬼も逃げ出しただろうか。

ガザ人道支援(第9報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
2月3日(火)

・おでん
・鉄火巻き(恵方巻き)

冷たい雨の日に暖かいおでんを食べるとほっとする。子どものときは「またおでんか」と、夏の昼のそうめんと同じくあまり好きなほうではなかったのだけど、大人になるにつれおでん好きに拍車がかかっている。



街路樹のユキヤナギに花芽がびっしり生えていた。地味だけど確実にそのあたり一面光っていた。



こちらはドライフラワー化した空き地のアジサイ。散歩中に見つけた。誰か花泥棒でもして、最後看取ってやったらよかったのに。



保育園で作った鬼のお面。ゆういちろうは帰宅途中生協の買出しのときもずっとかぶっていた。

ガザ人道支援(第10報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
2月4日(水)

・まぐろの山かけ丼
・昨日の残りのおでん
・菜の花の辛し和え

まぐろは添え物でとろろがメインのご飯になった。夫の発案、そして自作。菜の花はうっかり茹で過ぎたと思ったのだけど、かなりくたくたになるまで茹でたほうが好みであることに気づいた。



純白だったクリスマスローズがだんだんと緑がかった色味になり、桃色の筋も入るようになってきた。根元から切って家の中に飾ることにした。新しい蕾がどんどん出てきて、次々と純白の花を咲かせている。バトンタッチだ。この花ははまる。可憐で強くてころころと様子が変わり目が離せない。ブームになるのも納得である。

祖父が先週から入院している。注文していたカラタネオガタマシロヤマブキの苗木が今晩届いた。カラタネオガタマは祖父の好きな木のひとつで、自分の庭に2本も植えて楽しんでいる。私もうちに植えたくなった。シロヤマブキの実物を初めて見たときは、あまりにきれいでうっとりした。生まれ故郷の山にかろうじて自生するだけになった絶滅危惧種だそうで、これからは愛好家の家庭で生き延びていくことが予想される花木である。この木を買うことが絶滅に加担しているのか保存に寄与しているのか判断が難しいが、そばにいて欲しいので買うことにした。

明日にも開花するのではないかと思われるくらいふっくらと蕾が膨らんでいる梅の木のそばには、長崎の五島で買い求めた玉之浦という椿の挿し木苗を植えてある。高さ20センチにも満たないというのに5つも蕾をつけている。開花が楽しみである。椿は成長が遅いと聞くので、私が死ぬときに果たして私の背を越すほどに育っているのかどうか。これを考えると、健康に気をつけて長生きをして、たくさんの変化を目の当たりにしていきたいと思う。

ガザ人道支援(第10報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
2月5日(木)
・日本酒
・ごはん
・白菜としいたけの中華スープ
・回鍋肉
・菜の花の辛し和え
・納豆と温泉卵(父子のみ)

2月6日(金)
・赤ワイン
・キャベツのスパゲティ
・鶏肉のソテー、バルサミコソース
・ポテトグラタン、キムチ添え



人の情けに触れる機会に恵まれるこの頃、2月6日に庭の梅の木の最初の花が咲きました! 仕事を沢山持ち帰ったので、今日はこの辺で。

ガザ人道支援(第11報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
2月7日(土)

・日本酒
・海鮮水炊き、おろしポン酢で
・〆うどん

日の出前に起き出して、予定より遅れに遅れている原稿を書いた。まだ出来ていない。明日には形になるだろうか。平日は年度末処理その他諸々の関係で事務仕事に追われ、落ち着いて原稿を書く雰囲気じゃないことが多い。昨日なんか想定外の書類作成がふってわいて、異なる3つの案件を同時進行するという事態となった。助けてくださる人々の情けに感謝しつつ、しかし状況全体を俯瞰すると氷の世界ぴーぴーひゃららぴーひゃららと歌いたくなる感じ。これ以上書くと愚痴になるのでやめる。とにかく、原稿に取り掛かるのは、自分ひとりで世界に対峙している感じが得られる、皆が寝静まった夜か、まだぐっすり眠っている早朝が適している。



向かいの家と家の隙間を縫って朝日の光が食堂に差し込むようにこの家は設計されている。コーヒーで朝一服していると、遠くの山の稜線から昇る太陽が見られた。気持ちよかった。外からうちを眺めても清々しかった。桂の木の新緑が楽しみ。アベリアももう少し茂ったら、生垣だと主張できるだろう。家のなかから道ゆく人の頭がちらっと見えるくらいに低く刈り詰める予定。今はお互いに顔が丸見えだから目が会うと少しバツが悪い。

それでも窓辺から外を眺めるのは好きだ。朝はたくさんスズメがやってくる。地面を忙しくついばんでいる。草の種が落ちているのだろう。この前はきれいな模様の小鳥が梅の木に止まっていた。名前をインターネット上で調べていくなかで、偶然どなたか存ぜぬ見ず知らずの方のブログを見つけて、しばらく見入ってしまった。小鳥さんたち、かわいい。うちにやってくる小鳥は気が強いよ、迷い込んだイタチを集団でどつきまわして退散させたんだから。

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2日分まとめて更新!

2月8日(日)
・ごはん
・春雨入り中華スープ
・八宝菜
・キムチ







前日うちに閉じ込めてしまったゆういちろうのガス抜きのため公園に行った。上着なしでも大丈夫なくらい暖かかった。思い切り私も楽しみたかったのだけど、「本当はこんなことをしている場合じゃない」と心中穏やかではなかった。もともとは風邪気味だというのに夫が発案した公園行きなのに、夫は途中から熱が出て、夜はあまり楽しくない雰囲気になった。みんなが「いいこと」のためにちょっとずつ無理をして、結局は雰囲気を悪くする。ゆういちろうに悪いと思った。


2月9日(月)
・きざみうどん
・あさりの酒蒸し
・ひじきと大豆の煮物



和食器は食べたあともなんとなく片付けるのが惜しい気分になる。どんな人がこの絵を描いたんだろうなあ。

本日中に懸案の原稿を仕上げ、明日パワーポイントのアウトラインも決め、先方に提出しよう。これ以上遅れたらいろいろなところに迷惑がかかるし、なによりも自分の気持ちが苦しい。ゆういちろうを早く寝かせつけねば。一緒に眠ってしまうなよ、自分。

ガザ人道支援(第11報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
2月10日(火)

・赤ワイン
・スパゲティ・ミートソース
・プチトマト入りコンソメスープ
・マグロのレアステーキ
・春菊とマッシュルームのサラダ

たまりにたまったものがはきだされるかのように、原稿を一気に書き上げた。私天才かもしれないと錯覚してしまいそうになる気分のよさ。投稿していた国際会議の採録通知も届いたし、夕飯を作りながら昨日までの重く苦しさから解放された気分のよさも手伝って、ついお酒に手を出してしまい、ちょびっと深酒をしてしまった。この頭じゃ原稿の最終チェックができない。酔っているつもりはないが、クリアな判断ができる自信がない。こういうときは止めといたほうがいい。油断した。あほ、ばか、ぼけなす、おたんちん、がちゃらめちゃら、ちょんびにゅるにゅる。

ガザ人道支援(第11報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
2月11日(水)

・日本酒
・ごはん
・キャベツとじゃがいもの味噌汁
・うおぜの塩焼き
・たけのことがんもの煮物
・残り物のひじきと大豆の煮物



ほっとする和食の日となった。雑なところと丁寧なところのバランスがとれた食卓となり、自分では気に入った。週の中日の休日。水、土、日と完全週休3日制になったら、どんな世の中になるんだろう。

ゆういちろうは保育園の友達の家に遊びに行った。お母さんは仕事で、お父さんが遊んでくれるというのだ。まだひとりで出歩かせられないので、お家まで送っていくと、他の友達も来ていてすでににぎやかだった。親の分までケーキを用意してくれているとお聞きしたので、少し早めに迎えに行ってお茶の時間をご一緒させてもらった。今も昔も「ケーキ」ということばは大好き。甘美な響きがある。「スウィーツ」は直接的すぎてだめ。それにしても息子の友達のお父さんと二人で子どもたちを遊ばせながら世間話するという、なんとも不思議なニュートラルな時間を持てて面白かった。

皆が寝静まった。さあ、これから私はスライド作りに取り掛かろう。

ガザ人道支援(第11報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
2月12日(木)

・日本酒(ほんの少々)
・ごはん
・たまねぎとわかめの味噌汁
・豚の生姜焼き
・納豆
・キムチ
・大根の漬け物、ゆず風味

夫の帰りが遅い日なので、ゆういちろうと二人で食べた。最近は世話をする感じはなくなって、いろいろと他愛もないことを会話しながら一緒に食事ができるようになった。「お母さんもキムチ食べたら」と勧めてくれる。大きくなってうれしい。

ここのところ大騒ぎしていた原稿がようやく形になって一安心した。もちろん他に次から次へいろいろとあるのだけど、結局はひとつひとつ進めていくしかなく、途中でいい加減に投げ出すのとそうでないのとでは気分が全然違うもんね。次もがんばろうという気になるもんね。

ストレスがたまっているときやってしまうことのひとつに、インターネットで植物を注文するということがある。今回もいろいろ頼んだ。今晩はオトコヨウゾメという面白い名前の苗木が届いた。(奥村)まことさんが当初庭に植えましょう!と言っていた木で、最終的に何かの都合で外されたのだけど、調べてみるとガマズミに似たかわいらしい木なので自分の手で裏庭に1本植えることにした。

そしてせっかく家の前にどーんと開けた土手があるので、ツルアジサイを這い登らせることにした。木造の家の壁や強そうでいてひび割れに脆いコンクリート護岸壁に直接這わせるのはリスクが高すぎるから絶対にやらない。土手なら、蔓延って手に負えなくなる前に何らかの対処できると思う。既存の雑草とどのような生存競争をするかしばらくのあいだ観察しよう。私の予想では、6,7月ごろまでアジサイの勢いが強く、花が終わった頃からイネ科の下草の勢いが増してアジサイの葉を覆いつくすのではないか。アジサイが直射日光にやられなければの話だけど、都合よくそう予想している。

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2月13日(金)

・赤ワイン
・ごはん
・ビーフシチュー
・菜の花のサラダ



今日は気持ちに余裕があったので、ことこと煮ながらシチューを作った。ハインツの缶詰デミグラスソースを利用した。缶に印刷されたレシピを中途半端に実行した。鍋で肉を煮込みながら、隣のフライパンではバターで玉ねぎをじっくりと炒め、途中で合わせるというもの。玉ねぎとバターのいい匂いに包まれながら、こういうのがやりたかったのよねとひとり悦に入った。原稿が一段落すると、見える世界も違う。つかの間のよろこび。ハインツのレシピはこってりしているようでいて意外とさっぱりしており、汁気の多い洋風肉じゃがのような味になった。

食後はクラプトンのCDをかけた。"After Midnight"のときゆういちろうが「むちゃくちゃ踊りをしよう、おにぎり!おにぎり!!」と誘ってきたので一緒に踊った。"Wonderful Tonight"のとき夫は、「日本人の男でこんなこと言う奴はおらんよ、電気消したらさっさと寝ろ」とひとりでプンプン怒っていた。そんなにムキにならなくてもと思った。

ガザ人道支援(第11報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
2月14日(土)

・ごはん
・昨日の残りのビーフシチュー
・ゆで卵
・春菊とマッシュルームのサラダ

一晩ねかせたシチューはよりおいしくなっていた。3人ともしばらく無言で自分の世界に浸りながらせっせと口にした。半熟のゆで卵を二つに割って、マヨネーズを絞り出して食べるのが好きで、今日もそうした。酢を効かせた軟弱野菜(葉物)で〆た。

朝起きると外気温14度。2月とは思えない生暖かさだった。午前中は保育参観だった。本当は親子ドッジボールの予定だったのだけど、雨上がりで園庭がじゅるじゅるだったので、取りやめになった。残念極まりない。代わりに子どもたちの折り紙遊びを見学した。ゆういちろうは、帰り道が一緒だったR君のお家までそのままくっついていって、しばらく遊んで帰ってきた。近所にお友達がいてくれて本当にありがたいと思う。



クリスマスローズの二番花が静かに地味に、けれども一番花のときよりも咲き誇っている。きれいだなあと、通るたびにうっとりと眺めている。

玄関脇の鉢植えの植え替えをした。3年ぶりだろうか。ベランダ時代は毎年丁寧に植え替えていたのに、庭をいじれるようになってからさぼってばかりだった。ほとんどの鉢が根詰まりをおこしており、かわいそうな状態だった。それまで別々の鉢で育てていた朝霧草(あさぎりそう)と風知草(ふうちそう)の古い葉をカットして、思い切って大鉢にひとつにまとめてみた。無事に根付いて、夏に涼しげな葉が茂ってくれたらなあ。



写真は、植え替え直後の小鉢類と、朝霧草の葉をカットする前の大鉢の状態。夕暮れ時。ぱっと見た感じは冬枯れて寂しい印象なのだけど、よくよく見ると芽吹き前の充実感が全開していて、横を通るのが結構楽しみなのだ。

ガザ人道支援(第11報)
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2月15日(日)

・冷天おろしうどん
・まぐろの山かけ
・切り落としローストビーフ少々



Yくん(幼馴染のKちゃんの一人息子)からゆういちろうへ手紙とともに手作り凧や折り紙や組立ゴム飛行機が宅配便で届いた。凧には京都駅(お正月やって来たのだ!)やポルコロッソやハウルのお城やらが細かくびっしり描かれていた。かっこいい! ありがとう。

さっそくゆういちろうは飛行機を組み立てて、父親とともに仏徳山に飛ばしに行った。日中二人はラジコンヘリクラブの皆さんと一緒に過ごしたのであった。私はうちに残り、庭仕事に精を出した。今日植え付けしたのは、カラタネオガタマ、ツルアジサイ、それらの下草として斑入りアジュガと銀杯草。土手の下に大きな穴を掘って、将来的な見栄えを気にしながら植えつけた。裏庭に植えたのは、無粋なコンクリート護岸壁の部分目隠しにすべく仙人草と鉄線の2つのつる植物と、エアコンの室外機の脇に斑入りどくだみである。

半袖を着て汗が滴り落ちる暑さだったのだけど、土手の穴掘り作業中に、上からふうわりと梅の香りがほんの一瞬ただよってきたとき、すべてが報われる感じがした。至福の庭仕事だった。



お昼はチキンラーメンにした。一人の気楽さ。





クリスマスローズと一緒にこの前活けた麦が弱ってきたので、切り詰めて、別々に活けた。クリスマスローズの一番花(のガク)はすっかり緑がかってきた。これはこれでいいなと思う。麦単体にすると余計に夏っぽい雰囲気になった。家族全員陽光をたっぷり浴びて、夜になってもぽかぽか火照っていたので、夕食も夏っぽいものにした。うどんには刻んだ青葱をたっぷり添えた。

ガザ人道支援(第11報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
2月16日(月)

・宅配ピザ

週明け、肝心の原稿の仕事が進まず、鬱屈している。夕食は家族にごめんねと言って、ピザを注文した。でも初めて頼んだ期間限定ピザが妙においしく、食卓の雰囲気がすさまなくてよかった。今晩は昨日とはうってかわって冷えている。



仕事中、外の空気が吸いたくなって研究所周辺を少し散歩した。街路樹のクヌギの様子が気に入った。学研エリアだと誰も落ち葉を気にしないのか、気持ちよさそうに枝を伸ばしている。住宅地だとクヌギが使われることは滅多にないし、もし使われたとしてもかわいそうな剪定をされてしまいそうだもん。犬だって自分ひとりで出歩くのは許されない世の中だもん。



研究所の敷地内も散歩した。ここは林の傍のバーベキューサイトである。夏になるとよくパーティが開かれる。奥には沼がある。この辺は土地が有り余っていてゆったりしている。ここの世界に慣れると、どんどん浮世離れしそうだ。私は慣れていないつもりでいて、どっぷり浸かっているのではないだろうかと最近ようやく疑問視するようになった。

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SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
3日分まとめて更新

2月17日(火)
・チキンカレーライス
・野菜のコンソメスープ
・春菊とマッシュルームのサラダ
・ゆで卵

2月18日(水)
・火曜と同じ

2月19日(木)
・白ワイン
・ごはん
・ミネストローネ
・アジのスパイス焼き
・キムチとチーズのスクランブルエッグ

花粉症の症状が出始めた。それぞれ対策用のお茶2種類(べにふうき緑茶とネトル・ミント系ハーブティー)を飲んで、何もなかったかのようになんとか過ごしている。かゆくなんかないもんねと強がりを言う。ヨーグルトもいいらしいですね。

特に意識しなかったが、この3日間を振り返るにスパイス系の食事をとっている。この時期スパイスの香りをちゃんと嗅ぐことができたら、無事に感覚機能が生きていると納得できる。私は生きている。関東に住んでいて最も花粉症がひどかった頃、自分の感覚がなくなってしまった。あの感じは思い出したくない。恐怖体験だった。



大事な手紙を出すために、今年の干支の牛にちなんだ記念切手を使った。白黒毛筆、立体仕様で地が金色なんて、牛が大好きな丑年生まれの私の好みを直接反映しているデザインである。うまくいけばいいなと願う、年女の春。



牛で思い出した。節分の頃、奥村先生ご夫妻と椅子や食堂の照明を作ってくださった木曽三岳の吉田亞人さんからそれぞれ牛とニラの蕾のイラストの入った「立春大吉」ハガキが届いた。どうかよいことが起こりますように。

ガザ人道支援(第11報)
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2月20日(金)

・赤ワイン
・ゴルゴンゾーラのペンネ
・昨日の残りのミネストローネ
・鯛のカルパッチョ風
・ルコラとマッシュルームのサラダ

忘れてしまいたいことが 今の私には多すぎる。締め切りとかその他もろもろね。イタリアンな気分だった。どれも簡単なものばかり。30分以内で仕上げた。昨日大量にスープを作っておいて助かった。



一昨日から夫が工作室にこもり気味で何をしているのだろうと思っていたら、ラジコンヘリを部品から組み立てていたのだった。私だったらキットを買うけど、そういうのは面白くないらしい。

週末の庭いじりに向けて、トクサとダイオウショウが今晩届いた。明日はじゃがいもも植えるつもり。晴れて!

トクサは坂下隣のお宅との境に列植する予定である。なぜならコンポスト問題が浮上しかたからである。つまり最低2個ないといけないということに今ごろになって気づいたのだ。上から生ゴミを投入し続けていたら、いつまでたっても堆肥化しないという大問題があった。もちろん下のほうから掘り返して使うという手もあるけど、なんといいますか、上に生ゴミがあるのなかで、あまりそういうのはしたくないというわがままな考え。

坂上隣のお宅とはお互い玄関が向かい合っていてきれいな花や木など表の顔を見せているのに対して、坂下隣のお宅とは洗濯物干し竿など、かっこよく横文字を使えばユーティリティスペースをお互いに見せ合っている。うちの家の際はすでにいろいろなものを設置して置くスペースがない。だからといって2個目のコンポストをあけすけにお隣さんとの境、お隣さんからしてみれば裏口を開けてすぐ目の高さにくる位置に置くのは、いくら匂いは気にならないとはいえデリカシーに欠ける行為である。ということでいろいろ考えて、思い至ったのが、境にトクサを植えてお隣さんからの目隠しにしよう!ということである。背の高い遮蔽物を置いたら今度は日当たりを悪くするし、トクサなら風情もあってちょうどいいのではないかと思ったのだ。

ダイオウショウはお正月飾りにも使われる憧れの松。花言葉は不老長寿。今晩届いたのは高さ30センチくらいの苗木だけど、どこまで大きくなるのかこの目で確かめてみたくて、裏庭の中心に植えることにした。将来竹を植えれば、松竹梅がそろうことになる。限られたスペースのなかで、担げる縁起はとにかく担ぐ庭にしよう。夢は宇宙的。抑制の効いた庭なんて私たちには早すぎる。

ガザ人道支援(第11報)
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2月21日(土)

・ごはん
・かぶらの菜っ葉汁、中華風味
・麻婆豆腐
・青梗菜の塩炒め
・キムチ

ミネストローネに蕪をいれて、余った葉っぱを今晩ようやく汁ものに使った。予想以上においしかった。子どもの頃は冬場は夕飯にしょっちゅう大根の菜っ葉汁が出てきて、祖母は滋養があるから食べなさいと言っていたが、またぁという感じでうんざりしていた。だけど10数年ぶりひさびさに菜っ葉の汁が飲みたくなり、作ってみたら、おいしいではないか。青物に体が飢えていたのかもしれない。葉っぱつきの大根が欲しいのだけど、スーパーになかなか売っていないのが残念である。

ジャガイモを植えるために土を耕していると、斜めお向かいの奥さんがムスカリと挿し芽で増やしたアジサイ、キク(名前は野路菊だったか野紺菊だったか)、あと紫色の花が咲くという聞いたことのない名前の木の苗をくださった。さっそく土手や門の傍の芝の土手に植えた。お向かいのご主人からは、春になってスズランの芽が出てきたら今度分けてあげると声をかけてもらえた。

こうやってご近所づきあいが広がっていくと、将来的に植物が茂って多少道路にはみ出しても、私たちに対する憎たらし度が違うような気がする。つまり「車に当たるから早く切りやがれ」ではなく「車に轢かれたらかわいそうだから早く切ってもらいなさい」という感じになるのではないかなあ。そうなってくれたらいいのにという希望的観測を抱いている。

ガザ人道支援(第11報)
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2月22日(日)

・日本酒
・ごはん
・あさりの味噌汁
・じゃがいものそぼろ煮
・春菊とマッシュルームのサラダ
・大根の漬け物、柚子風味

今にも雨が降りそうななかで庭仕事の続きをおこなった。植えるべき苗を植えて、昼ごはんの支度に取り掛かったとき雨がざーっと降ってきた。植物にとって恵みのタイミングだった。夕飯はしとしと雨の降っているときに食べた。



ダイオウショウの苗。気持ちよさそうに葉を広げているでしょう? インターネットで調べてみると、これくらいの苗を植えてから30年で10メートルくらいの高さに成長したという報告があった。30年先といったら定年を迎える頃だ。いったい私たちはどうなっているのだろう。ゆういちろうに子どもがいたりするかもしれない。10メートルまで大きくするかどうかは別として、いろいろなことを考えた。ともあれ松よ、元気にすくすく育ってください。



お隣さんとの境にトクサを植えた。数は少ないけど道路側から見て奥行き感が出せたらいいなと、小ざかしくフィボナッチ級数を意識して奥にいくほど密に並べていった。密になっているところにコンポストを設置する予定である。ただし目隠しになるかどうかは甚だ疑問。頭で想像しながら考えるのと、実際は全然ちがうのね。。。ちょうどいい感じに殖えてくれればいいけど。

ここら辺の土地は畑用に耕している。面積は一坪に満たない。あまり日当たりがよくないので、セリ、三つ葉、青じそ、ミント、万能ねぎなど香味野菜系を中心に植えようと思う。表庭は畑にできるまとまったスペースがないので、ゲリラ的に的を絞って耕して、とうもろこし、ミニトマト、なす、枝豆などを植えたい。夏は庭木に混じって野菜も元気に育っているような庭にしたい。

今庭は冬枯れ状態だけど、ほとんどすべての植物が、よく見ると春に向けて準備万端整っていますという雰囲気をかもし出していて、さびしくない。庭がもっともさびしかったのは、落葉樹の葉がすべて落ちてしまった晩秋から冬にかけてだった。この時期、彩度の高い色の花で庭を埋め尽くしたいという欲望を抑えるのが大変だった。今は大丈夫。待てる。



カイコ蛾を使ったクレイジーな研究をしていらっしゃる東京大学の神崎先生から、きれいなペーパークラフトのシールをいただいた。きらきらしたビーズ模様がすごくかわいい。「僕こういうの好きなんだよ。奥さんにどうぞ」と、ずーっとずーっと前の学会のときに夫に渡していたそうだ。鞄を整理して出てきたとのこと。つぼにはまるかわいさ。私もこういうのが大好きである。時間遅れがありすぎてお礼を言う機会をすっかり逸してしまった。

ガザ人道支援(第11報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
2月23日(月)

・日本酒(少々)
・ごぼうとねぎと鶏団子鍋
・〆卵雑炊



実家の母が送ってくれた鶏団子を使って鍋にした。鶏ひき肉、青ねぎ、しょうが汁を茹でてつぶした里芋でつないだおいしい団子である。その他の具はごぼうとねぎをたっぷりと、あとマロニー少々と、シンプルな構成にした。自分でいうのもなんだが、ものすごく大好評だった。

仕事を持ち帰っているので、今晩はこの辺で。

ガザ人道支援(第11報)
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2月24日(火)

・フレンチディナー

夫と私どちらが夕飯を作るか、最初はお互いに譲り合っていたが埒があかず、結局ふたりとも断固として作りたくないと主張するようになり、こうなったらフレンチディナーにでもしようじゃないかとべやんめぇ口調で急遽レストランにかけこんだ。ささくれだった家族を優しく迎えてくれて本当に助かった。

細馬(宏通)さんの日記を読んだら、ご自分で日本語に翻訳した村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチ全文が載っていた。そして亡くなった父親のことを語った部分について、なぜ各国の多くのメディアが足並みをそろえて無視しているかについての考察も大変示唆深かった。忘れないためにも、出典を明記の上でここに全文掲載させてもらう。

細馬さん、本当にありがとうございます。

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今日、わたしがエルサレムに来たのは、小説家としてです。つまり、うその紡ぎ手のプロとしてきた、ということです。

I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.

もちろん、小説家だけがうそをつくわけではない。政治家もうそをつくのはみなさんご存じの通りです。外交官や軍人は必要に応じて、彼ら特有のうそをつきます。セールスマンも、肉屋も建設業者もうそをつきます。しかしながら、小説家が他の人達と違っているのは、小説家はうそをついたがゆえに不道徳だと咎められることがない、という点です。じっさい、ついたうそが大きいほど、うまいほど、そして巧みであればあるほど、世間や批評家からは賞賛されます。これはどういうことなんでしょう?

Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling them. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?

わたしの答えはこうです。巧みなうそをつくことによって、言い換えれば、フィクションを本当らしく見せることによって、小説家は真実を新しい場所に持ち出し、それを新しい光で照らし出すことができるのです。真実をもともとの形のままつかみ取り正確に描き出すのは、ほとんどの場合不可能に近い。だからわたしたちは隠れ家に潜んでいる真実をおびき出してそのしっぽをつかみ、フィクショナルな場所に移し、フィクショナルな形に置き換えてやります。ただし、これを達成するには、まず自分の内側のどこに真実がいるのかを明らかにする必要がある。これは、よいうそをつくための大事な資質です。

My answer would be this: Namely, that by telling skillful lies - which is to say, by making up fictions that appear to be true - the novelist can bring a truth out to a new location and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth lies within us. This is an important qualification for making up good lies.

でも、今日、わたしはうそをつくつもりはありません。できるだけ正直であろうと考えています。年に何日か、うそをつくことにかかわらない日というのがあるのですが、たまたま今日はそのうちの一日になったというわけです。

Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.

そんなわけで、本当のことを言わせて下さい。少なくない人々から、エルサレム賞の受賞に行かないようにというアドバイスを受けました。もし行ったら私の本の不買運動をすると警告する人もいました。

So let me tell you the truth. A fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came.

その理由はもちろん、ガザで起こっていた激しい戦闘にあります。国連の報告によれば封鎖されたガザ地区で1000人以上の人が命を落とし、その多くは非武装の市民たち、子供や老人でした。

The reason for this, of course, was the fierce battle that was raging in Gaza. The UN reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded Gaza City, many of them unarmed citizens - children and old people.

受賞の知らせをいただいてからというもの、わたしは何度も自分に問いました。こんなときにイスラエルへと旅してよいのか、文学賞を受け取るのは正しいことなのか、そんなことをしたらわたしが紛争の一方の側についたような印象を与えるのではないか、圧倒的な軍事力を発揮することを選択した国家の政策を是認することになるのではないか。もちろんそんな印象を与えたくはありません。わたしはどんな戦争も是認しないし、どんな国家も支持しません。そしてもちろん、自分の本が不買運動の憂き目に遭うのも見たくありません。

Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. This is an impression, of course, that I would not wish to give. I do not approve of any war, and I do not support any nation. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.

けれども、つまるところ、よくよく考えてから、わたしはここに来ることに決めました。ひとつには、あまりにも多くの人々がわたしに来るなと言ったから、です。たぶん、他の多くの小説家もそうでしょうけれど、わたしには、言われたことと全く逆のことをしてしまう傾向があるのです。アドバイスをされると、とりわけ警告めいた口調で「そこへ行くな」「それはやるな」と言われると、わたしはついそこへ行ってしまうし、それをやってしまう。これはわたしの小説家としての性癖といってもいいかと思います。小説家というのは特別な種族で、彼らは自分自身の目で見たもの、自分自身の手で触れたものでなければ信じることができない生き物なのです。

Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me - and especially if they are warning me - "don't go there," "don't do that," I tend to want to "go there" and "do that." It's in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.

さて、そんなわけでわたしはここにいます。我が身を遠ざけていることよりも来ることを選びました。見ないより、自分で見ることを選びました。何も言わないより、みなさんにお話することを選びました。

And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.

だからといって、政治的なメッセージを届けに来たというわけではありません。
正邪の判断をするのが小説家のもっとも重要な義務であることはもちろんですが、
しかし、他人にその判断をどう伝えるべきか、その形式を決めるのはそれぞれの小説家に委ねられています。わたしはといえば、その判断を、いくつかのお話に、それも超現実的な方向へと向かうお話に移し替えたい。というわけで、本日みなさんの前に立っているのは、直接的な政治的なメッセージをお伝えするためではないのです。

This is not to say that I am here to deliver a political message. To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course.
It is left to each writer, however, to decide upon the form in which he or she will convey those judgments to others. I myself prefer to transform them into stories - stories that tend toward the surreal. Which is why I do not intend to stand before you today delivering a direct political message.

けれど、非常に個人的なメッセージをひとつお伝えすることは、お許し頂きたい。これはわたしがフィクションを書くときにいつも心に留めていることです。紙に書いて壁に貼り付けるというようなたいそうなものではなく、わたしの心の壁に刻みつけてあるもので、それはこんなぐあいです。
「高く堅い壁とその前で壊れる卵のどちらを取るかと言えば、わたしはいつも卵の側に立つ。」

Please do, however, allow me to deliver one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

そう、どんなに壁が正しかろうと、どんなに卵が間違っていようと、わたしは卵の側に立ちます。どちらが正しくどちらが間違っているかを決めなければならない人もいるでしょう。時や歴史がそれを決めてくれるかもしれません。でも、いかなる理由であれ、小説家が壁の側に立って書くとして、その作品にはどんな価値があるというのでしょうか。

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide. If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?

この喩えにはどんな意味があるか。場合によっては、意味はごくごくシンプルでクリアです。爆撃にタンクにロケットに白燐弾が高く堅い壁です。卵とは非武装の市民、これら爆撃の前に押しつぶされ、焼かれ、撃たれる人々です。これはこの喩えが持つ意味の1つです。

What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.

でもそれがすべてではない。喩えはもっと深い意味を運びます。こんな風に考えてみましょう。わたしたちは、多かれ少なかれ、みんな卵である。わたしたちはみな、壊れやすい殻の中に閉じ込められた、ユニークで、かけがえのない魂なのだと。わたしもそうだし、みなさん一人一人もそうです。そして、程度の差はあれ、わたしたちはそれぞれ、高く堅い壁に直面している。壁には名前があります。それは「システム」です。システムはわたしたちを守るはずのものですが、ときにはそれ自体がひとつの生き物となって、わたしたちを殺したり、わたしたちに誰かを殺させたりします。冷酷に、効率的に、かつシステマティックに、です。

This is not all, though. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.

わたしが小説を書く理由はひとつしかありません。そして、それは個人の魂の尊厳を目に見えるようにし、そこに光を照らすことです。物語の目的は、警告を鳴らすこと、システムに光を投げかけ、システムがわたしたちの魂を網にからめとり意味なきものにしようとするのを阻むことです。わたしは、小説家の仕事はそれぞれの個人が持っている魂のユニークさを、物語を書くことで明らかにすることだと信じています。生と死の物語、恋の物語、泣き出したくなるような、恐怖で身震いするような、笑いで身体が打ち震えるような物語です。だからこそわたしたちは、来る日も来る日も、真剣そのものでフィクションをこしらえているのです。

I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on The System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I fully believe it is the novelist's job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories - stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.

昨年、父が90で亡くなりました。父は教師を辞めたあと、通いの仏僧をやっておりました。大学院のときに徴兵されて、中国戦線に送られました。戦後に生まれたわたしは、彼が毎朝朝食の前に、仏壇に向かって長く深い念仏を唱えるのを見てきました。あるとき、なぜそんなことをするのかと尋ねたら、戦争で亡くなった方々のために祈っているのだ、と彼はこたえました。彼が言うには、それは敵味方の区別なく、亡くなった人々すべてに対する祈りでした。仏壇の前で頭を下げる父の背中を見つめていると、その回りに死の影が漂っているのが感じられました。

My father died last year at the age of 90. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the war.

He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.

父は死とともに、彼の記憶を持っていってしまいました。それがどんな記憶だったのかを、わたしは決して知ることはできません。けれども、彼の回りを漂っていた死の気配は、わたし自身の記憶の中に残っています。それはわたしが彼から受け継いだ数少ないものの1つであり、もっとも重要なものの1つです。

My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.

今日、わたしがみなさんにお伝えしたいことは1つだけです。わたしたちはみな人間であり、国や人種や宗教を越えた個であり、高く堅いシステムという壁の前にいる、壊れやすい卵です。どう見ても、わたしたちに勝ち目はない。壁はあまりに高く強く、そして冷たい。もしわたしたちに、ほんのわずかでも勝ち目があるとしたら、それは、わたしたちの魂、そして他の人々の魂が、この上なくユニークでかけがえのないものだと信じることにしかない、そして、そんな魂が寄り集まることによってもたらされる暖かさにしかないはずです。

I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong - and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others' souls and from the warmth we gain by joining souls together.

このことをほんの少しの時間、考えてみて下さい。わたしたちはそれぞれ、形ある、生きた魂を持っている。システムにはそんなものはない。システムにわたしたちを思うままにさせてはいけない。システムを、それ自身の目的のために生きさせてはいけない。システムがわたしたちを作るのではない。わたしたちがシステムを作るのですから。

これがわたしがみなさんに言わねばならないことのすべてです。

Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System.

That is all I have to say to you.

エルサレム賞をいただきましてありがとうございます。自分の本がこんなにも世界のあちこちで読まれるということにも感謝しております。そして、今日、ここでお話させていただく機会を得たことも嬉しく思っています。

I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today.

(試訳:細馬 2009.02.18 ehagaki@nifty.com)
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20090220

旗色を明らかにすることで遠ざかること

 村上氏の受賞に関するニュースがあちこちに掲載されている。限られた紙面で彼のスピーチをまとめようとする記者が、どのようにそのスピーチのエッセンスを抜き取るか、興味深いところだ。

 まず、おもしろいのは、「旗色を鮮明にする」ことに腐心している記事が多いことだ。
 たとえば、Guardian誌は「Murakami defies protests to accept Jerusalem prize (「ムラカミ氏は抗議を拒み、エルサレム賞を受け入れた」)というタイトルのもとに、なぜエルサレムに来ることにしたかという件と、人は卵であるという件を主に引用している。
 朝日の記事では、「村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判」というGuardianと正反対のタイトルを掲げ、 


また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言とみられる。

 と、独自の踏み込んだ解釈を加えている。

 これらの記事からは、記者ができごとを要約する際に、オリジナルに何を付け加えてしまうかが、よくわかる。
 記者が付け加えるのは「旗色」である。卵と壁、という、旗色不鮮明な、さまざまなものに当てはまりうる比喩に対して、記者たちは、それぞれ引用を限り、注釈を加えて、村上氏のオリジナルでは明言されていなかった旗色を鮮明にする。
 しかもこの旗色は、一意には決まらない。革新系のGuardianが、彼のスピーチから「抗議を拒」んだことを抽出し、やはり(どちらかといえば)革新系の朝日新聞が「ガザ攻撃を批判」という問題を抽出していることからもそれはわかる。そもそも、村上氏のスピーチに、どちらか一方の旗を振るような記述がないので、旗色を明らかにしようとすると、論者の考えに応じて旗色が180度変わってしまうのである。

 そして、もっと大きな問題は、このように旗色を鮮明にすることこそが、もっとも村上春樹氏のスピーチから遠ざかる行為である、ということだ。

 「壁とはエルサレムの壁である」「圧しているのはイスラエルで、圧せられているのはパレスチナである」このような考えこそが、じつは高く冷たい壁に添うことであり、壁の正しさに荷担することになってしまう。そんな風に、楽々と正邪を分け隔てることを疑わない力こそ、壁の力であり、卵を圧する力になってしまう。村上氏の議論はこうした「壊れやすさ」を抱えているのだが、Guardianの記者も朝日の記者もそのことに無頓着に見える。

 もうひとつおもしろいのは、ほとんどの記事が、見事なほどに、春樹氏が父親について語った部分を無視している点だ。この父親に関する部分が今回のスピーチの焦点であることは、彼のこれまでの文章を少しなりとも読んだ読者なら気づくことである。それをほとんどの記事がオミットしているのは、おそらくこの部分が「旗色を鮮明にする」ために邪魔になるからであろう。

 敵味方の隔てなく祈りを捧げるということが、どういうことなのか。なぜ、祈りはどちらか一方ではなく、双方に対して行われるのか。なぜ「パレスチナが卵である」という捉え方を村上氏は留保して「わたしたちはみな卵なのだ」というのか。なぜ、祈りを捧げる者の背中には死の影がまとわりつくのか。

 村上氏の議論が抱えている「壊れやすさ」を捉えるには、簡略化された記事でなく、全文を読む必要がある。何かを簡略化しようとするとき、わたしたちは何かを鮮明にしようと努める。ところが、この、鮮明にしようとする行為そのものによって、「壊れやすさ」は失われてしまう。
 じつのところ、こうやって各新聞の論調を比較し、論をクリアにしようとするわたしの行為もまた、どこかで何らかの旗色を鮮明にしつつあるのではないか、という疑念は去らない。「壊れやすくあること」は意外に難しい。この危ういバランスを、村上氏はエルサレムという、その地じたいが危ういバランスに立っている場所で、よく保ち続けたものだと思う。
 問いには、答えを急がせる問いと、閉じることなく、繰り返し問うことへとつながる問いとがある。おそらく、村上氏の「壊れやすさ」が発しているのは、後者のような問いなのだろう。だから、この文章も問いを閉じないでおこう。
 わたしたちは、いかにすれば、「壊れやすさ」を抱えたまま、卵を抱えるように、つつましく慎重に語ることができるだろうか。
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ガザ人道支援(第11報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 

2月25日(水)

・日本酒
・ごはん
・たまねぎとじゃがいもの味噌汁
・ぶりの照り焼き
・かぼちゃとピーマンの煮物
・もやしの三杯酢和え
・きゅうりの漬け物

ゆういちろうの保育園最後のお別れ遠足があった。いつもより1時間早く集合しないといけなかったので、昨晩はちゃんと起きることができるだろうかと興奮して、なかなか寝付けなかった。結局4時間ほどしか眠れず、朝早く起きてお弁当を作った。夕飯はしみじみとした献立になった。

ガザ人道支援(第11報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
2月26日(木)

・ごはん
・豚汁
・キムチ&ポテトグラタン
・春菊のサラダ

生クリームが余っていたのでグラタンにした。もちろんおいしかったのだけど、どちらかというと今日はそういう気分ではなく、ずっしり重く感じてしまった。こういうとき「ごめんなさい」と謝って捨てたほうがよかったのかどうか悩んでしまう。もったいないことをしたら精神的に悪いけど、胃袋がついていかない。ゆういちろうが食べ盛りになってガシガシ食べてくれるようになったら解決するのかな。それともこんな贅沢な悩みを抱えていたのかと驚きをもって振り返ること(つまり日本も食糧危機に見舞われること)が将来起こっているのかな。10年後の今頃はどうなっているのだろう。

国内の学会の申し込み原稿を書き上げ、現在共著者チェックにまわしている。今日は目標どおりに仕事が進んで、ほっとしている。  と、これを書いている隣で夫は論文作成している。明日の午前中が締め切りだということで、今晩は徹夜になる予定だそうだ。心から同情する。だけど最近寝不足が続いているので、悪いが私は先に休ませてもらうよ。

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2月27日(金)
・ごはん
・豚汁(ただし肉なし)
・肉じゃが
・納豆
・キムチ

豚汁にいれた野菜はごぼう、人参、大根、しいたけ、肉じゃがにいれた野菜はじゃがいも、たまねぎ、青ねぎ。とにかく野菜いっぱいの献立だった。からだが野菜を求めていたのか、肉よりも野菜ばかり食べた。


2月28日(土)
・鶏団子鍋
・〆卵雑炊

昼間は保育園の同級生のお父さんがやっている美容院に行って髪をきれいにしてもらって気分よかったのに、風邪なのか。それとも花粉症が急に悪化したのか。激しい鼻水、鼻づまりと喉の痛みがある。どちらであっても嫌だなあ。不快。今晩は小林製薬ののどぬ〜るぬれマスク就寝用をして眠ろうと思う。効け。





今日は生ぬるい暖かさだった。体調はよろしくないが、庭は春の濃厚な気配が漂っている。梅や水仙は満開だし、晩秋に霜にやられたゼラニウムも玄関内で力をたくわえ花を咲かせるまで恢復したし、勝手に生えてきた雑草もそこかしこで開花している。黄色の花が多いようだ。つくしんぼはたくさん頭をのぞかせているぞ。花粉症になったのも春に浮かれすぎずにおとなしくしろという神様からのメッセージなのかなと思うくらい、花の季節がやってくるのがうれしくてうれしくてたまらない。

夕飯は鍋にした。そろそろおしまいになるだろう。

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SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)