2009年8月
8月1日(土)
・冷やしそうめん
・山芋とろろ
とにかくさっぱりしたものが食べたくて、そうめんにした。そうめんの器にはガラスもいいけど、染付けが似合う気がして、去年、藻と水イカの絵を注文して描いてもらった。出来上がりを待つこと半年あまり。やっぱりいい感じだわ。
8月2日(日)
・白ワイン
・ボンゴレスパゲティ
・ミネストローネ
・鱈のスパイス焼き
・茹でオクラの味噌マヨネーズ
知人に誘われて、知人宅での出張フラワーアレンジメント教室に参加してきた。グリ先生からは細い針金で仕立てていく「テク」を教わった。私はメインのピンクの花をどうやったらメインとして引き立てることができるかばかり考えていた。最初はメインの花の後光になるよう葉物を垂直に突き立てていたけど、うちに帰るとなんだかくどく感じてしまい引き抜いた。そしたら、残りのものたちが意外とかわいらしくまとまっていたことを発見。面白いなあ!
夕飯は夫婦共同でささっと作った。
今週末は(締切に遅れた原稿を抱えている身には本来はあってはならないはずの)奥様気分を味わっている。
ガザ人道支援(第14報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
8月3日(月)
・ごはん
・昨日の残りのミネストローネ
・チンジャオロース
・ニラ餃子
・冷麺(夫とゆういちろうのみ)
今日から岡山に行く予定だったのだけど、実家の都合により一日延期となり、ぽっかり待機日となった。日中ゆういちろうと二人で家にいた。夏休みの宿題「サマー16」をめぐって険悪な雰囲気になった。採点は保護者がすることになっているのが事の発端であって、15分も集中力がもてばいいほう。あまりごちゃごちゃ傍から言うと、国語の文章問題では、文章を終わりから読み始めるなど(そのほうがよっぽど頭を使うと思うのだけど)、とっても反抗的な態度にムカっ。1年生の担任の先生のご苦労がしのばれる。
ともあれ、なんだかんだといいながら岡山に行く前に済ませることができてよかった。あとは、一行日記と朝顔日記と絵日記(4日分)とこつこつやるべき課題と、図画工作と読書が残っている。向こうで何とかなるだろう
夕飯は、昨日から中華が食べたい!と言っていたとおり、夫が自分で作ってくれた。助かる〜。
書評原稿。取っ掛かりなく、一日が過ぎた。書評の定番スタイルってあったっけ?
とてもお世話になった方が本日手術を受けることになっていた。手術が成功して、早く回復されることを遠くから祈っている。元通りお元気になって、また近いうちにお会いしたいなあ。
ガザ人道支援(第14報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
8月7日(金)
・ごはん
・かんぱちの刺身
・焼きなす
・プチトマトやいんげんやら
・かぼちゃの漬物
・辛子明太子
3年前の出張時にやってしまった10万円以上の「パケ死」事件の後遺症をひきずっていて、定額制モバイル通信に切り替えた今でも、ITとは無縁の岡山の実家で日記を更新するのがやたらに怖い。めでたいこと、ごめんなさいを言うべきこと、いいたいことは山ほどあるが、ここしばらくは厳選したことばを簡潔に使うことを心がける。
ご飯は畑でとれた野菜と父の釣った魚(かんぱち、しまあじ、鯛)中心の毎日で、とても健康的である。ゆういちろうは岡山にやって来てすぐに軽い夏風邪にかかってしまった。別件で病院に行ったとき、偶然判明した。早めの対応が効を奏したのか、ほとんどいつもどおり元気なので、服薬期間中は暴れさせないようにするのが大変である。祖父は一時期の危機的状態を脱し、小康状態を保っている。
ガザ人道支援(第14報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
8月8日(土)
・ホテルディナー
父が宴席に出かけたため、母、娘、孫の3人組で外食した。外食をそそのかしたのは私である。長男の嫁としてずっと暮らしてきた母は家を留守にしてこういうことをするのは初めてだったので、気分の高揚とちょっとした罪悪感(お金を無駄にしている)を味わったようだ。実家に帰ると「まっとうな市井感覚」を再確認することができてよい。
私はお金がなければないので使わないが、あればあるだけ使う癖があり、「我慢」することが苦手というか、すぐに「我慢の限界」が来るというか、締まりというものがない。だから家計のことは全幅の信頼を寄せる夫にすべておまかせしているのだけど、それを言うと多くの人から驚かれる。そこのところを責任放棄できて私はなんて心持軽く幸せなんだろうと思うのだけど、かわいそうとかあなたよほどダメな人なのねとか愚妻扱いとなる。
仕事で多額の研究費(公金)をあずかっていたときは、無意識の不正をやってしまっていないかナーバスになることが多かった。だからあの独特の重圧から解放されて、今は大変だけど、すっきりと楽に行動できている。
お金はなければ本当に困るけど、余分にあったらあったで争いの元になるから、これからもいい加減のお付き合いができればいいなあ。
でもその「いい加減」が本当に難しい。ゆういちろうと話をしていて、「いい加減にしなさい」というときの「いい加減」は良い意味で使われているけど、「いい加減な奴」というときの「いい加減」は悪い意味になるから、「いい加減」というのは本当はどういうことを指しているのか訳が分からないねという結論になったばかり。
話は変わるけど、書評原稿の構想が確定した。結局私の言いたいことはそういうことだったのねと自分でも納得した。苦手な仕事もやはりよろこんで引き受けるべきである。これで3つの異なる案件がぐわっと同時に進むと思う。研究者としては今とても充実している。幸か不孝かお金がないときにアイデアが熟す。お金があるとそのパワーを使って(マンパワー含む)、割と強引にうじうじする暇なく分析を進めることができて、それはそれでとても必要なことなのだけど、どこか考えなしの雰囲気が漂ってしまう。今はたくさんのデータや文献にあたりながらものを考える時なのだ。
■追記
無駄なことを書かないと昨日心に決めたのに、すぐに破ってしまうようで気がひけるが、やはり書かずにはおれない。私たちがやってきてからゴキブリを何度か見かけたので、おとといの晩から家族総出で昔と比べてやたら複雑化したゴキブリホイホイ6つを組立て、台所と応接間の各所に置いて観察を続けている。今のところ、1箱一晩につき1匹ずつゴキブリが捕獲できている。このペースがいつまで続くのかが関心事の一つである。いったい全体何匹のゴキブリがこの家に棲息しているのだろうか。人間はいろいろなことを考えないといけないので、頭は大変である。
ガザ人道支援(第14報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
8月13日(木)
・2種類のスパゲティ
・トマトソース
・たらこソース
・きゅうりの酢の物
・茹でたさやいんげん
母が私たちが来る前に大量に獲れたトマトを煮てソースにしていた。熊本の親戚から辛子明太子が届いた。それらを利用して今晩は私がスパゲティを作った。実家では滅多に洋風料理を作らないので、目先が変わってよいのではないか。夫も昨日から合流したし、弟の家族も交えて合計15皿にスパゲティをよそっていくと、どっかーんと気分がよかった。イタリア人の気分?
洋風料理で思い出した。そういえば一昨日は、父と母がマクドナルドに行ったことがないので一度行きたいと言い出し、お昼はうちから車で10分ほどのところにあるマクドナルドに入った。父いわく、口が開けられそうもないという(まるで舞妓さんのような)理由で、ハンバーガーは好きではなかったそうだが、えびのハンバーガーのパンを上と下に分けて「うまいがな!」と言って食べていた。
服薬期間を終えたゆういちろうは従姉弟と遊べて大満足である。そしてどんなにせっついても頑なに宿題をしようとしない。あまりにも取り掛からないので、夫がじゃあいったい宿題をしないで何をしたいのかときつく問い詰めると、「遊ぶのと、ご飯を食べるのと、」と泣きながら応えたそうだ。宿題はみんながいないときこっそりやりたいそうだ。正直な子どもである。
野菜が毎日たくさん獲れる。軒下にも鉢植えのミニトマトが。
休みのあいだも幼稚園が開放していて助かっている。
石のある庭はそりゃやっぱり好きだ。落ち着く。でも自分ちの庭はもっと違うものにしたいのだ。
宿題の日記を書いている。3分もたなかったのではないか。とても珍しい貴重な写真である。
ガザ人道支援(第14報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
8月16日(日)
・ごはん
・鮎の塩焼き
・みょうがのもろ味和え
・塩味きゅうり
・プチトマト
子どもの頃たまに行っていた山間の遊園地がある。とっくの昔につぶれた。その跡に、最近遊具たっぷりの公園が出来たと聞き、弟家族と一緒に出かけた。夢の跡という感じで感無量だった。あんなに人であふれかえっていたのに。チェッカーズもコンサートにやってきたのに。そんな私の思いとは無関係に子どもたちはきゃっきゃっと存分に楽しんでいた。これでいいのだ。
お昼は弟のリクエストで地元の焼肉屋モランボンに行き(初めて行った店。母が肉嫌いなので焼肉屋に入るのは夢のまた夢だった)、子どもたちがおいしそうにたらふく肉を食べるのを見て満足し、夕飯は母にあっさりとしたものをリクエストした。前日までうちにはお線香をあげに来てくださるお客さんが多かったが、お盆の終わりはこのように静かに終わった。
8月17日(月)
・ごはん
・真鯛の味噌汁
・れんこ鯛の煮付け
・きゅうりの酢の物
・プチトマト
・茹でオクラ
看護士さんに言われて、前日の夜から父は祖父の病室に泊まりに行くことになった。一瞬、それを聞いた家族全員、容態が急変したのか心配になったけど、どうやらそこまで悪くはないようだ。
父はこれまでも午前中と夕方、1日に2回、父の見舞いを続けているが、祖父にとってそれでも足りないみたいで、父が昨晩着くと、「ありがとう。わしはさみしかったんじゃ」と大喜びだったそうだ。これまで夜はしょっちゅうナースコールをしていたみたいで、たいていは父の名を呼んだり、父を呼ぶようにというもの。父が泊まることでそれが落ち着いたらいいのだけど、昨晩は一睡もできなかったという父の体も心配だ。
今日は父の釣った真鯛と、ご近所さんの釣ったれんこ鯛(ピンク色のきれいな鯛)を食べた。夕飯は魚と野菜をこころがけている。夫は仕事があるので奈良に帰宅した。上の写真はゆういちろうが見つけたオニヤンマの屍骸である。田んぼの上にはまだ赤くない生まれたての赤とんぼがたくさん飛んでいた。もうすでに秋の気配がする。
ガザ人道支援(第14報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
8月21日(金)
・ごはん
・たまねぎとわかめの味噌汁
・刺身の盛り合わせ
・白菜の漬物
・プチトマト
奈良に帰ってきた。そして簡単に食事を済ませた後、懸案事項のひとつ、本日締切の研究会用原稿をざっと書いて投稿した。いつも以上に中途半端にアフォリズムっぽい短く雑な文章になったと思う。私には今時間がないのよって感じがにじみ出ている。あんまりこんなのを続けると信用問題に関わるから、よろしくないのだけれども、今週は、父が祖父の宿泊看護をすることになった影響で、いろいろな予定がキャンセルになったり、プランが後手後手に回ってしまい、首が回らなくなったのだ。
もし私があのまま岡山滞在前半のように「深夜勉強」を続けていたら(どっちにせよ体力的に続くわけがなかったと思うけど)、日中ぼーっとしてかわいい3人の子どもたち(ゆういちろうと姪っ子、甥っ子)を事故に遭わすことになるかもしれないと思う恐怖。一番怖かったのが、実は、珈琲の時間だった。やかんで沸かした湯をカップに注ぐとき、お菓子ちょうだいと台所をうろうろするついでに、後ろからどんと抱きついてきたら、大やけどしてしまうでしょう。
夜しっかりと睡眠をとるのは大事なことなのだ。だからしょうがないのだ。誰が悪いわけでもない、声を大にして言い訳するぞ!
ああ、すっきりした。おやすみ、自分。
ガザ人道支援(第14報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
8月22日(土)
・ごはん
・ミネストローネ
・マグロのレアステーキ、しょうゆとオリーブオイル
・プチトマト
家を空けている間に裏庭がすごいことになっていた。岡山に出発前は通り道には土肌が見えていたのに、たった2週間ほどで、えのころ草、めひしば、おひしばの類が地面を覆い尽くした。ご近所の目もあることだし、さすがにこれはまずいと思う。クレマチスは一体どこ?
グリーンフィンガーを持つ人間の手にかかると、植物は活力をみなぎらせ緑いっぱいの庭になると言われているが、うちの場合は何もしなくても緑いっぱいになるので、私はグリーンフィンガーではない。引っ越してきてこのかた、もしかして私はグリーンフィンガーかもしれないと自惚れた時期があったが、単に季節の問題であった。
とはいえごく一部分だけ切り取れば、狙い通りに事が運んだエリアもある。夕方には裏の畑に夕顔が咲いた。里芋の葉と夕顔の美しい組み合わせが仕事部屋の窓から見えるのだった。奈良は岡山の山中よりもずーっと蒸し暑いが、こおろぎもコロコロ鳴き始めたし、田舎の風景を凝縮した夏の終わりを家にいながら存分に味わっている。
家のことでやりたいことがいっぱい出てきて、集中して仕事に取り掛かれなかった。けれど精神的に落ち着いているなと自分でも思ったのは、「えーいめんどくさいから外食にしよう」という気分にはならず、家で食事をしたいと思ったからだ。
ガザ人道支援(第14報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
8月23日(日)
・ごはん
・昨日の残りのミネストローネ、チキン付き
・茹でとうもろこし
・納豆
・温泉卵
夫が夜7時から地域の防犯パトロール活動に参加するため、夕飯は6時過ぎに食べ始めた。残り物や冷蔵庫にあるものを利用した簡単な食事だった。唐獅子プリントのアロハシャツを着て、出かけていった。
ひょんなきっかけから防犯パトロールに参加しようと思いたったのだった。ものすごく前向きに考えると、積極的に防犯チームに入ったほうが地域で不審人物扱いされないような気がするしね。ヤクザ者っぽい発想だけど、積極的防衛とやらである。
草取りをさぼっていると、たまに店で買って植えたかのようなきれいな花を咲かせる草に出会う。そのなかに紫色の気に入ったやつがあって、抜かずにそっとしている株があるのだが、今日偶然名前が分かった。柳花笠(やなぎはながさ)という南米原産の帰化植物だった。今春、もともとあった株の少し離れたところに小さな株が生えてきた。こぼれ種で増えたのだろうか。大事にしよう。
秋の庭にはやはり紫苑が咲いていたらいいなあとか、来年の夏は実家のまねして白いダリアを咲かせようかとか、庭仕事のプランが次から次へと頭に浮かんでくる。タキイの通販では、チューリップの球根や葉牡丹の苗を当然のように注文した。勝間和代もびっくりの、未来の自分の知覚に向けての先手先手の自己投資である。
さて、これから原稿書きの仕事の続きをする。今晩中に仕上げるぞ。
ガザ人道支援(第14報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
8月24日(月)
・回転寿司
やったー、ようやく書評原稿を締切一ヶ月遅れで書き上げることができた!! 出版社からとくに催促がなかったので、他の執筆者の方々も遅れているのかなと勝手に都合のいいように解釈してのらりくらり暮らしていたが、締切に遅れている原稿があるのは何とも気持ち悪い事態なので、これで肩の荷が少しおりた。これさえなければ岡山滞在3倍は楽できたと思うのだけど、終わったことだからどうでもいい。
しかも今回の原稿の何がうれしいかっていって、自分の言いたいことがなるべく正確に書けたからだ。ちょっと前に投稿した発表原稿は、生煮えの料理をお客様に出してしまったみたいな情けなさを自分に感じてしまい、自己嫌悪の素だったが、今回は違うもんね。今、私は深夜の2時半に、「素晴らしい原稿」を書き上げたばかりの多幸感に浸っている。薬なんて必要ないぜ。イエーイ。明日の朝、推敲してみてガーンとならないことを祈る。
写真は、私の仕事椅子を奪い、アイドル座りする昨日のゆういちろうである。しかも自分から写真を撮るように要求。ウィンクのおまけ付き。正直この忙しいときに何すんねんなとイラっと来たが、今となってはそれもいい思い出である。窓の向こうには夕顔が見える。今日はひとつ咲いた。夕顔大好き。
今晩夫は飲み会で帰りが遅くなるので、ゆういちろうと二人で夕方散歩に出かけ、駅前で回転寿司を食べて帰ってきた。ちょうどいい夕涼みとなった。外の空気はもうすっかり秋の気配で満たされている。イネ科とキク科の草が存在感を発揮しだす季節である。野菜づくり1年目の失敗で、はややる気を完全になくし、来年からは花にしようかと考え中である。だって私は「団子より花」のタイプなんだもん。
ガザ人道支援(第14報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
8月25日(火)
・きざみうどん
・マグロの山掛け
8月26日(水)
・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・鶏の酢照り焼き
・ゆでたもやし
・プチトマト
仕事がたまりにたまっていて、今週は連日3時4時ぐらいまで何かしら原稿を書いている。5つの案件が8月末に一気に集中した。どうかしてる。からだに悪い。目の下に隈がくっきりとでている。ここ2日夕飯は夫が作ってくれたので、とても助かった。手帳には、今日は学会に聴講に行っている予定が書き込まれているのだけど、そんなのはきっぱりと無理。
それにしても疲れすぎて眠れないのはダメだ。もっと前から計画立ててこつこつやっておけば、こんなにつらい思いをしなくて済んだものを。今、この時期の多くの子どもたちの気持ちと擬似的に連帯中。君たちの気持ちはよ〜く分かるよ。思い煩うことなくゆっくり好きなだけ寝たいよな。
ガザ人道支援(第14報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
6日分まとめて更新!
8月27日(木)
・懇親会メニュー
巨大学会である日本心理学会でポスター発表し、その足で、法と心理学会関連の研究会へ。立命館大学と龍谷大学の施設と京都の大学をはしごした。学会ではひさびさにお会いした方々と旧交をあたためた。思い起こせば、同世代の女の研究者ばかりだ! 性格のよい女の人と一緒にいると、本当にほっとする。研究会では、懇親会幹事を担当。急いで適当に選んだお店が自分の好みとずれていたので、ダイエットにはよいかもしれないが、やはり適当に選ぶとよくないと思った。
8月28日(金)
・和風ハンバーグ定食(京都駅)
公募の出ていた大学に書類を出し(就職活動)、ゆういちろうのお友達のお父さんがやっている美容院へ移動し、翌日の重要な2つのプレゼン in Tokyo のため髪を整えた。お昼前に帰宅して、急いで英語の発表スライドと一部日本語原稿を書き足し、3時過ぎにアメリカ出身の友人宅にお邪魔して、日本語原稿部分を英語に訳してもらった。芸術のことも科学のことも分かる人なので、頼もしい限りだ。再びうちに帰り、パッキングを済ませ、東京へ向かった。夕飯は京都駅新幹線構内の喫茶店で20分で食べた。深夜にホテルに着いて発表練習してお風呂に浸かって就寝。
8月29日(土)
・缶ビールとサンドイッチ(新幹線)
午前中は、第4回身体知研究会で発表した。イタリアの芸術家(演劇の人。画家でもある)John Schranz 氏を前にしての発表だったので、伝われ、伝われと念を押しながらしゃべった。同僚の哲学者もいらしていた。イタリアのマルタ大学では、ミラーニューロンを発見した脳神経科学者チームとも交流しながら、芸術、哲学、科学が三位一体となって大学で身体知学習プログラムが推進できる環境にあるのだから、うらやましい。幸いなことに、私の研究に興味を持ってくださったようだ。そして自著を2冊もくださった。"THE PERFORMER AS ACT OB FAITH"というタイトルがいいでしょう。
午後は、画家の岡ア乾二郎さんに私が描く今後の計画に参加していただけないかと研究室にお願いに伺った。結論から先に言うと、ご承諾いただけた! 気付けば3時間半もずっと話し込んでいた。清浄な水によって頭のなかを高速回転洗浄してもらった感じであった。計画のひとつに、シンポジウムの企画があるのだけど、もう少し形にできるようになったらここでも紹介しようと思う。岡アさんから「後安さんがこんなに闘う人だとは知らなかった」というコメントをいただく。獰猛なのがばれてしまった。
帰りの新幹線のなかでサンドイッチを食べた。いろいろとうれしくて半泣き状態だったので、あまり味がしなかった。
8月30日(日)
・パーティメニュー
ゆういちろうのお友達のご家族をお招きして、新学期が始まる前に宴会をした。発案準備は夫が取り仕切り、私はお手伝いしたぐらい。総勢大人10名、子ども10名と大人数になることを聞いたときは一体どうなるのかと思ったが、にぎやか、なごやか、にこやかに過ごすことができて、万々歳だった。いやあ、楽しかった。ずっと笑っていた気がする。面白くて魅力的な人たちとお付き合いできてラッキーだ。それにしても家のなかの空気がものすごくきれいになったような。。。こういうのを目の当たりに感じるとき、「気」の力ってやっぱりあるのかなあと思う。笑う門には福来る。
民主党圧勝の選挙結果にいろいろなことを思った。選挙戦最後のほうは、政策とは無関係の、あまりに低レベルな誹謗中傷の類が飛んでいたようだけど、誹謗中傷は、されるほうより、しているほうの人格を映し出すものだから、言わないほうが懸命だと心底思う。「笑う門」の反対のことわざって、何だっけ?
8月31日(月)
・卵かけご飯(夫とゆういちろうのみ)
・残り物ペンネの復活炒め
一日オフ宣言。怒涛のようなここ数日の出来事から一転、のんびり過ごした。庭の草刈をしていると、茂みのなかに直径10センチほどのアシナガバチの巣を発見した。申し訳ないが、殺虫剤で処置した。こちらにも小さい子どもがいるので、共存は無理なのだ。
庭に出て作業するときは、だぼだぼの長袖長ズボン、顔や首には巻きタオル、これでメガネと蛇よけの棒を持ったら、ちょっとした中核派ルックとなる。自分の庭なのに、なんでこんなに緊張感をもって武装して挑まないといけないのか。。。
9月1日(火)
・フレンチディナー
とうとう9月になってしまった。新学期も始まった。非常勤の仕事もスタートした。夕飯を作る気がおこらず、外食した。
ガザ人道支援(第14報)
SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)