料理ネタ


2009年9月

9月1日(火)
・フレンチディナー

とうとう9月になってしまった。新学期も始まった。非常勤の仕事もスタートした。夕飯を作る気がおこらず、外食した。

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SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
9月2日(水)

・回転寿司

残暑の厳しい日だった。来るべき9月の山場の前に、今日も一日完全オフ宣言をして、庭仕事をした。朝3時間以上、草深い草と付き合い、午後は疲れて昼寝をした。今日もまた夕飯を作る気が起こらず外食した(すっかりダメ女だ)

悠長になにをやってんのと思う方もいらっしゃるかもしれないが、昨日茂みのなかにアシナガバチの大きい巣を見つけてからというもの、以前ゆういちろうが別の蜂の巣に気付かず近づいて刺され、土手の上から半分くらいまで落っこちるという事件があったこともあり、暗い茂みを一掃しないと落ち着いて眠れないという観念にとりつかれ、本日決行した。

1メートル近い高さの草は普通に生え、場合によれば2,3メートルもある草に囲まれての作業である。草刈をすると自然と無心となり、あっという間に時間がたつ。と、胸を張って言いたいところだが、半分は、いいアイデアが降りてきますようにという下心的願いもこめての草刈だった。でも途中でその下心も忘れ、無心となり、とくにアイデアが湧いて出たわけでもなく、庭が明るくなって終わった。秋になるとまたどっさりと球根を植える予定である。

ゆういちろうは放課後お友達のうちに遊びに行った。門のところにランドセルを放り出して、「急いでるねん、行ってきまーす」とことばを残してあっという間に見えなくなった。それに比べて昨日は別のお友達のうちに遊びにいくとばかり思っていたのに、「今日は時間がないからあきらめるわ」と言いながら帰ってきた。なんのことはない、自分のうちでゲームの続きがしたかったようだ。自由気ままである。

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9月3日(木)

・赤ワイン
・ごはん
・鶏団子のクリームシチュー

ひさびさに自分で夕飯を作った。リハビリ期間として、まずは1品だけ作った。母が作って冷凍して送ってくれた鶏団子(いったいいつの?)を利用し、あとは野菜を切ってコンソメスープで煮て、牛乳のほかに宴会のときに中途半端に残った生クリームや白ワインを投入。私個人的には好きな味に仕上がったけど、夫とゆういちろうは、手作りのホワイトソースを入れたシチューのほうがお好みのようだ(←もっとおだててくれれば作ってあげてもよくってよ。褒めよ、讃えよ)。いただきもののおいしい赤ワインもあけた。

帰宅後の夫の様子が変だった。どうやらいろいろとあったらしく、「コマーシャリズムの人間がことさら人権を歌い、アカデミズムの人間が経済原理を声高に語っている。もし西先生がまだ生きていたら、今の時代をどう感じているのだろうか。」と芝居のようなセリフが次から次へと口から出てきて、高校の卒業写真を開いて嗚咽するのだ。

西先生は夫が高校のときの国語の先生で、早稲田文学を体現するような、職員室が嫌いで国語室に立てこもって煙草ばかり吸っている「ぼくの好きな先生」なんだそうだ。夫からたくさんの「変態」ぶりを聞いて、私も勝手に親近感を抱いている方だ。

私が風呂に入っていると、仕事部屋から奇声があがり、とうとう頭でもおかしくなったかと恐る恐る風呂からあがってみると、、、夫の号泣とともに、西先生が先月に『島の賦』という処女作を出版されていたことが判明した。

  戦後のどさくさと、貧困の中で生きた島の子らが、
  決して手放さなかったものは何か?
  戦後のどさくさの中で生きた島の子らが
  現代に語りかけるメルヘンメッセージ。

と、「商品」の説明欄に解説があった。本を書くような人ではなかったのに、おそらくは最初で最後の本を、メルヘンとして書かれたのだ。希望である。西先生に私はお会いしたことがないが、私たちの精神はそういう人たちがいてくれるおかげでかろうじて保っていられる。さっそく注文した。届くのがとても楽しみである。

きっと何かが呼んだんだねと、寄り来る美しい魂について布団のなかで話し合った。以下は、夕方の庭の様子である。すっかり秋の雰囲気がしている。







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9月4日(金)

・ごはん
・昨日の残りのクリームシチュー
・トマトとモツァレラチーズのサラダ

昨日の献立に一品+して、ちょっとずつ家事にからだを慣らしている。

岡ア乾二郎さんとのシンポジウムについて、自分のなかでいくつかの案がせめぎあっていて受苦的な状態が続いていたが、決めた。無難なほうは却下。もっとも情熱を注ぐことのできるテーマにする。失業中の身だもの、いかなる組織に遠慮することなく、自由にテーマ設定できなくてどうする。明日にでも、提案文書をまとめて、先方に連絡しよう。

仕事場の机のうえに自分の字で「ボルカニック・メドウ・ガーデン」と書いた走り書きメモが置かれている。いったいどういうつもりで書いたのか自分でもすっかり忘れていたが、今日思い出した。山を削って宅地用造成地として更地にされたこの土地で植物を復活させるイメージを、火山の爆発後のカルデラに草原が形成されるステージと重ね合わせ、庭作りのコンセプトにしたかったようなのだ。忘れてた忘れてた過去の自分よ、いいこと考えてるじゃない。

さっそくだがタキイの通販で、自生地は熊本の阿蘇山であるという、松本せんのうを注文した。ついでに火山とは全然関係ないが、原種系グラジオラスも注文した。夜に強く香るらしい。庭のことにあれこれ思いを馳せるのは私の唯一の頭のなかの贅沢である。

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9月5日(土)

・ごはん
・平あじとはまちのお造り
・がんもとたけのこの煮物
・焼きなす、おかかポン酢
・ところてん、三杯酢
・プチトマト



写真は食堂の窓から見た空の様子である。かわいらしい雲だと下からぼけっと空のほうを見上げていたら、珈琲で一服中の夫からちょっとあんた智恵子みたいだよと本物に会ったこともないくせに心配された。そういえば昔から何かを見ているとき、放心していることがよくあるみたいなのだ。例えばテレビを見ているときなど、父から白痴みたいだと何度か言われたことがあるのを思い出した。

夕飯は簡単さっぱりの和食にした。なすび熱復活。秋茄子のおいしい季節になった。

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9月8日(火)

・ごはん
・ねぎとわかめの味噌汁
・さんまの刺身
・まぐろの山掛け
・塩ふりきゅうり
・トマトとバジルのサラダ

さっぱりした献立が続いている。からだがそれを求めている。今は完全に魚と野菜モードで、肉を全然食べたくない。特に牛肉。私にしては珍しいことである。

弟のところに赤ちゃんが生まれた。3人目。弟は、子どもがたくさんいると場の雰囲気がにぎやかで楽しくなるので、もともと子どもはたくさん欲しかったそうだ。願いがかなってよかったね。私はこれからますます叔母としていろいろとちょっかいを出せそうで楽しみである。大きくなったら一緒に洋服を買いにいこうと今から姪っ子と固い約束もしている。



実家の畑に植えられていたダリアである。これを見てダリアもいいなあと思った。



うちの庭に咲いた返り咲きのバラである。ピンボケになってしまったけど、吸い寄せられるようにきれい。周囲の時空を変える。

きれいな花や草木よ、私をなぐさめてくれてありがとう。今日は、PTAのことで熱心にがんばりはるのは分かるけど、正直迷惑で困るのよとストレートに告げられ、世間と折り合いをつける難しさを知った。そんなに大したことをしたわけでもないのに。。。不信と疑心の渦巻く世界に深くはまりこんでいるのかしらね。。。

だけど私は大丈夫。花や草木から好かれる人間になろうと努力すれば、大丈夫な気がする。

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9月9日(水)
・赤ワイン
・豚とアンチョビのスパゲティ

東京駅で大事なミッションを果たしてから、翌日の午前中に学会発表があるため、一足早く慶應大学の湘南藤沢キャンパスのある湘南台入りした。太田省吾さんのことを思い出した。より正確にいえば、太田さんのことを忘れていたことを思い出した。夕食はホテルフロントにいた若い女の人が勧めてくれた近くのスパゲティ屋さんに入った。感じのいいお店だった。

ホテルの部屋にはイオンスチームが出るホームエステ器具が設置されていたので、これ幸いとばかり、顔や首筋のミスト浴をした。最初は「わーい」という感じだったが、途中から同じ姿勢を取り続けるのに飽きて、めんどくさくなってしまった。だったら誰に頼まれたわけでもないので、その時点で止めればいいのだが、つい最後のミストが出切るまでぶつくさ文句をいいつつミスト浴してしまった。

私は喉を痛めやすく、一時、頻繁に病院で吸入していたことがあるが、それを思い出した。吸入のときは喉が楽になるのが自分でも分かるので最後まで薬を無駄にすることなくしてたけど、ホームエステなど、まめなことは自分には無理だと思った。温泉に浸かってお湯から立ち上る蒸気を自然にあてたほうがよっぽど肌や肩こりにいいと思うのだった。


9月10日(木)
・白ワイン
・前菜いろいろ
・梅と納豆の和風おろしスパゲティ

学会初日。言語学者の定延利之先生の招待講演が興味深かった。インターネットで調べてみたら、『煩悩の文法』に書いてある内容を中心に講演してくださったようだ。虚偽自白の分析など、過去の体験語りについても取り組んできた者としては、ちゃんと理解しておかないといけない内容だから、さっそく著作を注文した。

自分のポスター発表も無事に終わり、お昼や夕飯は研究者のお友達と一緒に楽しんだ。夕飯は昨日も行ったホテル近くのお店に誘った。注文しすぎて(今時のお店とは違って、思ったより一皿の量が多い)、全部食べ切れなかった。おいしいのに残してしまうのは、とても悔しい。デザートや珈琲もきっとおいしいはずなのに、そこまでたどり着けないなんて、、、、とローマ人のような感想を持った。

いろいろな話をしたが、そのなかに子どもの夏休みの宿題の話題があった。工作や自由研究は子ども本人ではなく結局親がヒートアップして作ってしまう現象について、等々。そういえば私にも岡山でボツになった幻の工作作品がある。



畑でとれた野菜や果物を乾かして、落ち葉も集め、お中元でもらった明太子の入っていた桶に並べていったものだ。どこかに材料を買いに行く余裕もなかったので、家にあるもので一銭もかけずに作ることを目標に制作したのだ。リアリズムの追求も見られる。向かって左、スイカの種で昆虫の糞を表現しているのがお分かりだろうか。だけど結局は、プチトマトが完全に乾ききっておらず、完成後数日たって緑色のカビがびっしり生えてしまい、残念ながらボツ。


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9月23日(水)

・焼酎水割り
・まぐろの漬け丼
・プチトマト

この間いろいろなことがあった。なかでも祖父が亡くなったのは大きな出来事だった。一族のゴッドファーザー、台風の目のような存在だった。葬式では一粒も涙は出なかったけど、ぽっかりとした気分になり、日記を書く気が湧かなかった。悲しい? さみしい? 死者に対する気持ちは自分でもよく分からない。



白の彼岸花もきれいだと思った。



山吹に留まっていたかたつむりを見ているところ。中央奥の木は咲き始めの金木犀で、ふうわりとかすかないい匂いを漂わせていた。秋である。祖父は気性の激しさとは反対に、花に関しては、おとなしくて優しい色形のものが好きだった。私もどちらかといえばそうである。

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9月24日(木)

・赤ワイン
・チキンカレーライス
・トマトとバジル
・ゆで卵

夕飯を作りたいという気持ちが起こってきた。ようやく日常生活が戻ってきたようだ。家にいてもすぐに疲れてベッドに横になることが多く、このどうしようもない気だるさはどうにかならないものか腹立たしかったが(仕事にならない!)、今はどこかに行ってしまった。

実家に電話すると、父の声のトーンが日曜に電話したときよりもずっと明るいものだったので安心した。葬式後疲れが出て入院してしまった母が重湯を食べられるようになり快方に向かっていることや、叔父も謎の全身の痛みと高熱で同じく入院してしまったこと、だけど無事に昨日(だったかな?)退院したことをおしえてくれた。父も全く気力のわかない日には、弔問客を迎えるのが難しく、玄関の鍵をかけ2階に引きこもったことがあったと言っていた。祖父の死は家族のなかに大きな影響を与えている。それだけ私たちには大きな存在なのだ。

だるいだるいと言いながらもこの連休中は、伸びすぎた雑草を抜いたり、土地を耕したり、種を蒔いたり、苗や球根を植えつけたり、庭仕事をしているときだけは不思議なことにとても元気だった。なぜ涙が出ないのか自分なりに考えているのだが、祖父の志を引き継ぐ方法を考えているから、泣いている場合ではないのかもしれない。草に囲まれてひとり庭仕事をしていると、いろいろな想念が頭のなかをめぐる。

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9月25日(金)

・昨日の残りのカレーライス
・ゆで卵

明日はゆういちろうの通う小学校の運動会! 夕飯の支度は簡単に済ませ、明日の弁当の仕込みをした。予定しているのは、いなりずし、おむすび(薄塩)、豚のしょうが焼き、焼きししゃも、卵焼き、里芋のにっころがし、たっぷりサラダ菜とプチトマトである。夫は野菜が足りないんじゃないかと気を揉んでいるが、みんなで食べるお弁当の日くらいは大目に見ても大丈夫だろう。体操服や体操帽も洗って乾かしたし、あとは朝寝坊せずにレッツゴーだ。

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9月26日(土)

・残り物カレーライス(小)
・冷天おろしうどん(小)
・弁当の残り物



朝、いつもより早く起きて運動会の弁当を作った。写真は、夫がお揚げに酢飯を詰めていなりずしを作っているところ。私は塩むすびを担当した。

炎天下のもと、苦行のようにトラック付近の保護者席で競技を眺めていたが、比較的早いうちにこりゃだめだと諦め、木陰に移動した。こういうときにグロッキーということばを使っていいのではないかと思うくらい、直射日光をじっと動かないまままともに浴びるのはつらい。植物はえらい。

その後、快適な環境下にあるお友達ご家族のビニールシート上を渡り歩かせてもらい、自分たちの子どもが参加しない競技はそっちのけで、すっかり和んでおしゃべりをした。ゆういちろうは保育園にいたときより、ぐんと足が早くなった気がする。学童保育で鍛えられているせいかな。夫は、遮光テントを張ってソーラー扇風機を回したいと、早くも来年のプランを立てていた。

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9月27日(日)

・皿うどん
・ニラ餃子

午前中は長崎の母がお世話になっている特養の外出行事に家族で参加した。入所者とその家族も交えて一緒に地元のケーキ屋さんに行き、お茶を楽しむというもの。今日は、3人のおばあちゃんとそれぞれの家族の参加があった。おひとりすぐに帰りたいという方がいて、あっという間にお開きになった。

せっかく近くの施設に転院できたのだけど、長崎の母に会いに行くのは、意識的に控えめにしている。なぜなら調子にのって土日連続して会いに行ったりすると、決まってその日の夜から母の不穏行動(ベッドから落ちたり)が始まるからだ。長崎の施設でもそうだったし、奈良でも2回ほどそういうことがあった。いい加減にこちらも学習しろということだ。自分たちの存在が強すぎる刺激になってしまうのだから、按配が難しい。

午後は不動産物件の見学をした。自宅以外でも、気分転換にちょっとこもって仕事できる場を探しているのだ。当然先立つものがなにもないので実現可能性は今のところゼロだが、今すぐにどうこうという訳ではないうちから、気になった物件を現地でチェックすることで目の保養(?)をしておこうという魂胆である。ちなみに今日のは全然ダメだった。写真にまんまとだまされた。

夕飯は簡単に済ませた。

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9月28日(月)

・ぶりしゃぶ
・〆卵雑炊

予報では午後から雨が降ると言われていたのだけど、結局降らなかった。庭は乾いている。沈丁花が元気ない。葉が黄色くしおれている。枯れるなよ。今日は運動会の振替休日のため、日中はゆういちろうと二人で過ごした。日中は蒸したが、夕方窓を開けていると少し肌寒く感じた。今年初の鍋にした。〆の雑炊を食べる頃はからだが温まり汗が出た。

テレビを見ていたら、ダム建設中止のニュースで、熊本県五木村の様子が子守唄とともに映った。五木の子守唄は子どもの頃熊本出身の母がよく私に歌ってくれたものである。私は夕暮れ時の泣きがそれはそれはひどかったそうだが、こんな内容の唄を神社の下まで出かけて歌われたから余計泣きたくなったのではないかと思うほど、大きくなって歌詞の意味を知って驚愕した唄だ。(そういえば私はゆういちろうに子守唄を歌ってやっていない)

ここに子守唄の歌詞とその訳が載っていたので、一部訳を変更して引用する。

 おどま盆ぎり 盆ぎり
 盆から先ゃ おらんど
 盆が早(は)よ来(く)りゃ 早よもどる

 おどま かんじん かんじん
 あん人達ゃ よか衆(し)
 よかしゃ よか帯 よか着物(きもん)
  
 おどんが うっ死(ち)んだちゅて
 誰(だい)が泣(に)ゃてくりゅきゃ
 裏の松山ゃ 蝉が鳴く

 蝉じゃ ごんせぬ
 妹(いもと)でござる
 妹泣くなよ 気にかかる

 おどんが うっ死(ち)んだば
 道端(みちばちゃ)埋(い)けろ
 通るひと毎(ご)ち 花あぎゅう

 花はなんの花
 つんつん椿
 水は天から 貰い水

  【訳】
  私たち(の子守奉公)はお盆まで
  お盆が過ぎたら居ませんよ(実家に帰るんですよ)
  お盆が早く来れば、早く(家に)帰れる

  私たちは 貧乏、乞食同然
  あの人たち(ご主人たち)は 立派な人たち
  あの人たちは 美しい帯や着物を持っている

  私が死んだからといって
  誰が悲しんでくれましょうか 
  裏の松山で、蝉が鳴くだけです

  蝉ではなかった
  私の妹です
  泣かないでちょうだい、心配になるから

  私が死んだら
  道端に埋葬して下さい
  通る人たちに 花でもあげてもらえるでしょう

  花は何の花
  (道端に沢山ある)椿の花でしょうか
  水が無くても 天から雨が降ってきますから  

■追記
五木の子守唄のことを夫に話したら、「これは悲しくなんかない。もともとの奉公人のことばではなく、最近になって作られたものだから。いっぱいのかけそばと同じだよ」とのこと。「本当は悲しんでなんかないくせに中途半端な同情はよせ」というニュアンスで、はき捨てるかのように言われた。

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9月29日(火)

・フレンチディナー

今朝、夫は出勤前にテレビを見ていた。豪華客船で出されるフランス料理が紹介されたらしく、「フレンチ食べたい〜」と煩悶する声が聞こえてきた。その流れで今晩は外食することとなった。ラッキー。

さて、夫がなぜ五木の子守唄をそれほどよく思っていないかというと、子どもの頃母親が歌ってくれたのが島原の子守唄だったからだということが分かった。熊本出身の母と長崎出身の母を持つものの根深い違いがそこにあるのだ。(なんとかがなんとかを笑うとも言う)

島原の子守唄の歌詞や調べを聞くと、確かに、島原の唄のほうが奉公している子どもの視点が表現されているような気がする。早よ寝ろ、泣くと人買いがさらいに来るぞ、蟹にかまれるぞと赤ん坊を脅したり、主家の人間をうらやむのではなく、うらやむのはむしろ同じ境遇のお姉さんたち、からゆきさんにされたお姉さんたち(世間的には蔑まれている)が羽振よく金の指輪を2つもしていることだったりする。夫いわく、「おろろんばい」「しょうかいな(仕方ないよね)」は明るく軽く歌うのがポイントらしい。沖縄のノリに近いのかなあ。


島原の子守唄

(1)
おどみゃ 島原の おどみゃ 島原の
梨の木 育ちよ
何の なしやら 何の なしやら
色気なしばよ しょうかいな
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい
鬼(おん)の池ん久助どんの 連れんこらるばい

(2)
帰りにゃ 寄っちょくれんか 帰りにゃ 寄っちょくれんか 
あばら家じゃけんど
唐芋飯(といもめし)しゃ 粟ん飯 唐芋飯しゃ 粟ん飯
黄金飯(こがねめし)ばよ しょうかいな
おろろん おろろん おろろんばい
おろろん おろろん おろろんばい

(3)
山ん家はかん火事げなばい 山ん家はかん火事げなばい 
サンパン船はヨロン人
姉しゃんな握(にぎ)ん飯で 姉しゃんな握ん飯で 
船ん底ばよ しょうかいな
泣く子はガネかむ おろろんばい 
アメガタ買うて ひっぱらしゅう

(4)
姉しゃんな何処(どけ)行(い)たろかい 姉しゃんな何処行たろかい
青煙突のバッタンフル
唐(から)は何処(どこ)んねきぇ 唐は何処んねきぇ
海の果てばよ しょうかいな
早よ寝ろ 泣かんでおろろんばい
おろろん おろろん おろろんばい

(5)
あすこん人(し)は二(ふた)ちも あすこん人は二ちも
金(きん)の指輪(ゆびかね) はめちょらす
金な何処(どこ)ん金 金な何処ん金
唐(から)金げなばい しょうかいな
嫁御(よめご)ん紅(べん)な 誰(だ)がくれた
唇(つば)つけたなら 暖(あ)ったかろ

(6)
沖の不知火(しらぬい) 沖の不知火
燃えては消える
バテレン祭の バテレン祭の
笛や太鼓も鳴り止んだ
おろろん おろろんおろろんばい
おろろん おろろんおろろんばい


訳はここから抜粋。

  (1)私は、島原の貧しい家の育ち
    色気なんてないから人買いに連れて
    いかれることもないでしょう
    泣かないで早く寝てちょうだい
    早く寝ないと、天草の鬼池の人買いの
    久助どんが連れにくるよ
 
  (2)帰りには寄って下さいね
    あばら家で白飯は出せないけど
    粟(あわ)にさつまいもを混ぜた黄金飯があるよ
 
  (3)人々の注意を火事の方にそらすため、人買いの集団が火をつけて
    山の家は火事だよ。その間に娘たちは、サンバ船という小船で
    沖に連れていかれたよ。小船を漕いでいるのは与論島の人だよ。
    姉さんは白い握り飯をもらって、いまは石炭船の底だよ。
    泣く子はカニに噛まれるよ。
    泣かん子には太い飴ん棒買ってやるよ
 
  (4)姉さんはどこへ行ったのだろう?
    青煙突のバッタンフル船は、外国のどこへ行ったんだろう?
    海の果てだろうか
    早く寝なさい、泣かないで
 
  (5)あの人たちは2つも金の指輪をはめておらっしゃる
    あの金はどこの金だろうか
    外国から持ち帰った金だろう
    お嫁さんの口紅は誰がくれたの?
    燃えるような赤い口紅、唇につけたら熱いでしょう
 
  (6)有明海の不知火は燃えては消えるよ
    バテレン祭りの笛や太鼓も鳴り止んだよ
    泣かないで早く寝てちょうだい
    泣かないで早く寝てちょうだい


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9月30日(水)

・ごはん
・なめこの味噌汁
・豚ひれ肉のソテー、辛子添え
・たけのことがんもの煮物
・ヤマイモとろろ
・かぶの漬物

夕飯はささっと1時間で作った。これくらいのスピード感覚があったほうが気持ちよい。

2件の頼まれごとがあって、こちらののほうは、どれもぐずぐず引き伸ばしている。こういうのこそ軽くささっと反応できたらいいのだけど、ちゃんと応えたい気持ちがあり、そうするとぐずぐずしてしまう。明日、えいやっととりかかろう。

仕事では懸案の本読み完了。前半はとても苦戦したが、最後の最後のほうでパズルのピースが埋まっていくように、筆者の主張点がすっと頭に入ってきた。ひさびさにそういうことだったのか!という感覚を味わった。こういうのもとても気持ちよい。 

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