料理ネタ


2007年3月

3月1日(木)

・カレーうどん
・納豆
・コロッケ

とっても手抜きな献立。カレーうどんは夫が手配してくれた。市販の昆布だしをどこまで入れるかが腕の見せ所なんだが、いつもより少し物足りなかった。「あれ、うすくない?」とおそるおそる聞いてみたら、これからは塩分控えめでいくからというお言葉がかえってきた。

いつのまにか3月になってしまった。3月は、原稿締め切り3つ、そのうち2つは苦手な英語論文。。。4ページ×2本ですよ。ずっと2ページとばかり、ひそかにプチ楽勝と思ってだですよ。もうびっくりですよ。体感として2ページと4ページは全然違うんですよ。それに締め切り前に出張もあり。。。ひとつ、ひとつ、誠実に正確に対処していくしかないのだ。と政治家みたいな口をききたくなってる。

研究所の友人研究者も、同じ大会の原稿(こっちは日本語)にとりかかっていて、進捗状況を聞いたら、なんと既に発表した英語カンファレンスペーパーを日本語に翻訳しているというではないか。この差はいったいなんなんだ。かっこよすぎる。私は日本語から英語への方向しかありえない。逆は絶対無理。

しかも、自分の書いた日本語をネットの自動英訳サービスに放り込んで出てきた英語を手直しし、それをさらに自動日本語訳サービスに放り込むと、まったく意味不明の文章になって出てきて、唖然とした。中途半端なものどおしがあやふやなコミュニケーションを続けると、支離滅裂な事態に陥る典型例を身をもって体感している。だから、そんなものに頼らず、自分でしこしこ作業するしかないんだろう。横着はいけない。

いいんだ、いいんだ、私にはこの日記があるから、日記でむちゃくちゃなこと書いていくんだ。
3月2日(金)

・キムチ鍋
・卵雑炊

今日もまた手抜き&刺激物系献立となった。きっと花粉症のせいである。

夫宴会で不在のため、ゆういちろうと二人で食べた。こういうときは媒介項がないので、ぷりぷり喧嘩してるかラブラブかのどちらかとなることが多い。今日はそのどちらかというとラブラブ。おととい、保育園帰りのコープで、他の男の子(息子より年長クラスのお兄ちゃん的存在)としばらくのあいだ親しく話して以来、異常なほど焼きもちをやいて、わざと欲しくもないおもちゃを欲しいと泣き叫んだり、しばらく口をきかなかったり、突然「ぎゅ〜して」と強く抱きしめるよう要求してきたりするなど、大変だったのだ。めんどくさいので、ここのところ他の子とはなるべく話さないようにしている。

「男の子は多かれ少なかれそういうものだ」と夫はいうが、そんなにめんどくさいメンタリティをしてるのか。「おかあさんは、ゆうくんのこと、もう、だ〜いすき」となだめたり、なんか4歳の息子とのあいだで中学生カップルみたいな純粋擬似恋愛をしているので、最近は小説や映画などの恋愛ものに全く興味がわかない。
3月3日(土)

・ごはん
・ねぎとしいたけの中華スープ
・焼きビーフン
・青梗菜の塩炒め
・焼き韮ぎょうざ

夫が作ってくれた。中華鍋でがんがん作る中華はおいしい。

午前中は保育園の役員会に参加した。役名は、秋のレクリエーション係。毎年秋に保護者会主催で、子どもたちを連れて遠足にいくときのお世話係りになるのが仕事内容だ。各クラス1名ずつの選出なので、軽い役だと思って手を挙げた。役員というのは初めて。どうなるか行く前は緊張気味だったが、同じ役の他のクラスの方とも気が合いそうでよかった。

秋のレクリエーション係(通称、秋レク)のなかでも、会長、副会長、会計とか役割分担があって、我が家の担当は「書記」に決まった。そういえば、小学校か中学校のとき書記になったことがあって、家に帰って報告すると、ソヴィエトでは書記が一番偉いんだと教えられた。 そうだそうだ、前任役の方から、おうちで塾をされているそうで、自前の拡声器を貸してくれることも決まった。必須アイテムらしい。

夕飯前に、今日締め切りの原稿(日本語)を出し終えた。アブストラクト投稿でも、フルペーパー投稿でも可の、比較的ゆるいタイプの学会発表申し込みである。当初アブストラクト申請でいくつもりだったが、今週天啓に導かれ、フルペーパー投稿することに心変わりした。これまで口頭発表の申し込みはいつも落とされて、ポスター発表にまわされていたのは、もしかするとアブストラクト申請しかしてこなかったからではないかと思ってのことだ。つまり、アブストラクトでは、いくら自分のなかに「本気」はあっても、その本気が人にはちゃんと伝わってなかったのかもしれないと反省したのだ。

来年度は是非とも口頭発表して、みんなに話を聞いていただきたい。そこでいろいろ批評してもらって、教えてもらった内容を付け加えてジャーナルペーパーにしたい、という高邁な理想をかかげ、急にやる気になってしまったのだ。急にやる気になった私を誰も止められるわけでもなく、今週は、2日間で一挙に6ページ10000字の論文の大枠を書き上げ、それを微調整していく作業をしていった。ぐわっと書いているときは、うちに帰ってまで「書く」ペースを落とせず、日記のほうもやたら長い。結構おもしろい相関があるんだな。
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3月4日(日)
・牡蠣のスパゲティ
・かぼちゃのポタージュスープ
・サルティンボッカ(豚ヒレの生ハム巻き)

うちの台所は狭いので(2口ガスコンロなので)、まず最初にスープと肉料理を夫が作り、次にスパゲティを私が作った。とても効率のよい手順である。

本日の自分なりのヒットは、牡蠣のスパゲティの味つけとして、いつもの塩こしょうの代わりに薄口しょうゆを使ったことだ。ばっちりきれいにまとまった。しかも言わなければしょうゆを使ったとは分からない。本日の献立だと、和風しょうゆ味になってしまっては元も子もないので、しょうゆをたらす量の加減が最大のポイントだと思う。生のハーブが手に入らない時期でも、満足のいく味になるよ。今回は、タイム、オレガノ、バジルのフリーズドライを使った。もうひとつのポイントは、中華鍋を使うことかな。鍋のくぼみ部分で、牡蠣をやさしく煮ることができるのと、最後スパゲティを絡めやすいのとで、中華鍋が便利だと思う。

<作り方>
(1)塩をいれ、お湯をわかし始める。
(2)にんにく1かけみじんぎり、牡蠣を洗う、使うハーブを
  決めておく。
(3)スパゲティを投入する。
(4)中華鍋ににんにくとオリーブオイルをスパゲティ全体に
  ほどよく絡むだけの量をいれ、香りを出す。
(5)牡蠣、乾燥ハーブ、白ワイン適量を入れ、香りを出す。
(6)塩こしょうする代わりに薄口しょうゆを少量たらす。
  こうばしい香りが出てくる。
(7)茹で上がったスパゲティを中華鍋に入れて絡める。

1月、2月分の日記を過去ログに置いた。このブログ全盛時代に変人チックだと思うのだが、プログラムの都合で自動的に勝手に月ごとに整理されていくのはいやで、あくまでも自分が過去を過去にしたいときに、自分の手で時系列順に並べ直していく作業をするのが好きなのだ。そもそも忘れっぽいので、お、こんなことがあったんだと新たな発見があったり、「もう、自分大好き!」ってモードになるよ。酔狂な方、試しにやってみて。


3月5日(月)
・ごはん
・昨日の残りのかぼちゃのスープ
・鶏のグリル塩焼き
・マッシュルームとトマトとベビーリーフのサラダ

材料は夫が買っておいてくれた。ありがとう。夜の疲れ方が違う。鼻歌まじりに作った。

昼間は呆けてしまった。気が抜けたのだな。とたんに花粉症の症状が気になって気になってしょうがなくなった。薬屋に行き、新しく目薬と鼻洗浄スプレーを買った。それらとの相性がとてもよく、急にご機嫌になった。夕方、事務手続き上の重要案件がひとまず解決された。むりやり今日はよい日だったと宣言しよう。

他の媒体でも書いたことをここでも書く。花粉症に悩む同志にどうしてもエールを贈りたい。
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日曜はあんなに晴れて、あんなに暑かったのに(トレーナー1枚でも暑苦しかった)、今日は雨。花粉症の人間にとっては、雨のほうがいいのだけど、やっぱりこの時期の晴天の散歩は気持ちよかった。昨日は、自転車に乗って全速力で走っていくゆういちろうを追いかけながら、ああ、これで花粉症じゃなかったらもっともっと春を深呼吸謳歌できるのに、いや、花粉症になったからこそ春の素晴らしさに気付けたのだとか、ぐちゃぐちゃまとまらないことを考えていた。

だからこそ、にわかi-podderとしては、この時期の晴れた日の散歩のお供には、大御所のスーパースターに登場してもらわないと困る。
 
 スティービー・ワンダー "A place in the sun"
 中島みゆき "彼女の生き方"
 モンティ・パイソン "Always look on the bright side of life"
 エリック・クラプトン "Layla" (←70年の初演のほう)

解説:そりゃあ生きてりゃつらいこともいっぱいあるさ。でもね、陽のあたる晴れた場所で、物事の光のあたった面を見る生き方をしようよ。だけど、ああ、春よ、なんでおまえはそんなにぼくを苦しめるんだい。だけどぼくはあなたに愛のフレーズを捧げるよ。
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3月6日(火)
・ごはん
・なめこと豆腐の味噌汁
・かれいの煮付け
・あさりの酒蒸し
・オクラのしょうゆマヨネーズソースがけ
・ゆでもやしの青じそドレッシングがけ

今日はシンプルな和食にした。マヨネーズ以外、あぶらっけなし。ゆういちろうはもやしが大好物だ。とある用で実家に電話をかけ、祖父母(=私の父母)から「今日なに食べたん?」と聞かれたら、「もやし!」と即答した。電話の向こうでうけていた。

ミクシィのともだちの輪が広がった。同じ業界で、ともに演劇を取り上げて研究している数少ない同志。いてくれるだけで心強い人なのだ。ブログもやっているということだったので、そのアドレスもおしえてもらった。大切にしたいお友達向けに書いているブログなので、「元気かな?」と思ったときそっとのぞかせてもらおうっと。いちいち電話したりメールしたりしなくても何となく近況を知ることができる。私はこういうコミュニケーションの仕方が好き。


3月7日(水)
・ひき肉入りカレーライス
・サラダ菜とマッシュルームのサラダ

困ったときのお助けカレー。最近我が家で流行の具材を細かく刻んだお母さんカレー。粉のルー(市販)を使っているので、固形ルーよりさらっとして胃もたれがない。明日もカレーでも乗りきるために大量に作った。

ある方から「7日〜8日のブログはあなたへのお礼のつもりで書きます」という内容のメールをいただいていた。その予告のとおり、さりげなく私のことが(ただし個人が特定されないよう配慮されて)触れられていた。多くの読者を持っている方だ。なんだか、コンサートで私にだけ分かる合図を送ってくれているような特権にあずかっている気分で、こそばゆくも誇らしい気分だ。ありがとうございました。

昨日もそうだが、最近、実世界かメディア上かを問わず、感じのいい凛とした女の人とやりとりする機会が多く、優しい心をもらえている。人それぞれいろいろなブログの使い方があって(これにも驚かされる)、空元気とかそういうのじゃなくて、清濁込みで積極的に楽しんでいるのを垣間見れるのはこちらの精神衛生にとってもよいことだ。ネットって、よいほうにもわるいほうにもとにかく振れ幅の大きい不安定なメディアなんだなあと今更ながら実感している。
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さて、ほんとのこというと、原稿の締め切りが近づいていてこれ以上日記など書いている場合ではない。なのについ書いてしまう。書く暇があったら原稿ひとつでも終わらせなと私のなかの誰かがつっこむが、まあそう言いなさんなという声も聞こえる(喩えですよ。幸いなことに、ほんとに聞こえてはこないですよ)。

かつて友人が書いているブログ(っていうのかな、あれを?)のなかに、「締め切り遅れてごめんなさいと謝られた知り合いがいるが、その人が日記で毎日楽しそうなことを書いているのをみると釈然としない」という趣旨の発言だったか何かに対する違和を表明していた。私の記憶では、友人の論旨は、日記って多かれ少なかれ人生を編集したものでしょ、人の日記にいちいち目くじら立ててるほうが損するだけだよという内容だったような。それを読み、まずは「ひょえ〜、ごめんなさい、ごめんなさい。私も楽しそうに書いてるけど、実はとってもあせってるんです〜」と架空の誰かに謝ったうえで、友人の違和の唱え方にいたく賛同したことがある。

もっと切羽つまってたら、釈然としないという人に対して、「そんなちっさいこと言うな」と逆切れしてたかもしれない。でも、冷静に考えると、教員が学生にレポート課題を与えるように、自分が人に締め切りを課す立場だったら、期限を守らない学生で、毎日日記だけは書いている奴がいたら、腹が立つだろうなとも思う。

むりやり結論づけるが、毎日日記を書いていても、後ろ指さされないようにするためには、ユーモアのなかにペーソスを混ぜ込める(私が書くとなんて軽く響くんだろう)文体を目指さないといけないのだ。楽しそうにしていても、そこはかとなく苦悩とかペインとかがにじみ出るような。でもな、基本的には「哀しいほど能天気」「怒鳴られキャラ」「甘えん坊将軍」と人から言われてしまう性格なんだな。ごくごく親しい人たちがそういうんだからきっと当たっている部分もあるんだろう。だからやっぱり難しいよ。だから、どうか後ろ指ささないでね。あ、そうだ、花粉症がそうさせるのかもしれない。私の指を勝手に。。。
3月8日(木)

・昨日の残りのカレーライス
・ゆで卵
・プチトマト

作り置きしておいたカレーを食べた。昨日がんばった分、今日は楽ちん。夫、北海道出張のため不在。私も明日から東京出張のため、いったん岡山に寄ってゆういちろうを実家の両親にあずけ、東京に向かう。新幹線のなかで、たっぷり本が読めるぜ。

東京出張の目的は、桜井圭介さんプロデュースの吾妻橋ダンスクロッシングを観にいくことである。公費でまかなうため、上に挙げた関連HPを役所に届け出た。痛快である。堂々と「青年団の方法論と、コドモ身体の比較検討するため」と主張した。自由である。

同じ領域でさきがけ研究をすすめるKさんの日記に、「医者か患者か」という衝撃的な内容が記されていた。確かに言われてみれば、私たち研究者も頼まれないのに仕事をしていることが多い。そういうのは「患者(病気)」で、逆にデザイナと呼ばれる人たちは頼まれて仕事をする「医者」だという。そういえば私の好きな芸術家たちも、草間彌生のように純粋な患者さんもいるが、それ以外にKさんのことばを借りれば「医者のふりをしたがる患者」もいるように思えてきたぞ。だからどうなんだって話ではあるが、妙に納得してしまった。

ちなみに、夫は誰からも頼まれていないのに、私大に勤めながら今年度1年間で3本のジャーナルペーパー(国際的に権威あるとこの)をパブリッシュした。うちでも誰からも全く頼まれていないのに、ラジコンヘリコプターの部品を集めて一から作り上げたり、オーディオアンプを作ったりしている。しかも誰に知らせるわけでもなくいつの間にか、しれっと内緒で、その過程をここに記録していたりする。相当「変態的患者」なのかもしれない。何が彼をそこまでの創作意欲にかりたたせるのだろう。
3月9日(金)

・浅草の中華屋さんで
 ・しなそば
 ・半チャーハン
 ・餃子

昼間岡山駅で実家の両親と待ち合わせして、いっしょに和気藹々と天麩羅を食べ、無事ゆういちろうをあずけて新幹線に再び乗り込んだところまでは、1日のスタートとして完璧だった。

事件は新幹線のなかで起こった。予習も兼ねて読み終えてしまいたかった本を2ページほど読んだのち、熱海あたりまで爆睡(なにやっちょる)。ふと物音にびっくりして、後ろの席の人が珈琲をこぼしたかと思い、がばっと起きて下に置いていた手荷物をひざの上に乗せた。どうやら寝ぼけていたようで、珈琲はこぼれていなかった。そ知らぬふりして、荷物を足元に戻した。

ちょうど売り子さんがやってきたところだったので、目を覚ますために珈琲を注文した。財布を戻したバッグを足元に置こうとして、あろうことか珈琲を落としてしまった。慌ててしまい、その上に読みかけの本も落とす。幸い蓋付だったので、被害は最小限に収まった。本の端が汚れたのと、真っ白の革靴に紺のビロード風のジャケットを着ていた長髪のお隣さん(堅気じゃなさそう)の靴にほんの少し飛沫が飛び散ったくらいで済んだ。即ふき取って謝ったので、許してもらえた。「これですっかり目が覚めました」と言ったら、苦笑された。

で、蓋を外してミルクを入れようと姿勢を正したところ、テーブルが斜めになってしまい、今度は思いっきりばしゃっとひっくり返してしまった。コントである。大丈夫か、自分。私のバッグは、全面的に珈琲をひっかぶってしまった。セーターの袖口も珈琲に浸かった。被害はそれにとどまらず、斜め後ろの方が足元に置いたバッグにまで。。運よくパーサーさんが通りかかり、ふいてもらえることになった。直前に寝ぼけてみた夢は正夢になってしまった。

3人がけの椅子。お隣さんも、そのまたお隣さんも、嫌な顔ひとつせず、「これは向こういってたほうがいいですね」と席を外してくれた。方々に頭を下げる。嫌な顔をされなかったのは、私が「少しおかしな人」として認知されたのが大きいと思う。2回目こぼしてしまったとき、第一声「分かりました! このセーターが原因だったんです!!」と膝かけとして乗せていたコート代わりの超厚手のセーターを指して思わず大声でお隣さんに宣言してしまったからだ。2回もこぼしたことのショックよりも、原因を突き止められたほうがうれしかったのだ。お隣さんは、一瞬目が点になって、鼻がふくらんだ。おそらく、よほど噴出したかったのをこらえたのだろう。

やたら珈琲の香りを漂わせる女となり、ダンス会場に向かった。吾妻橋ダンスクロッシングは予想を超える面白さだった。ある出し物(カツラ&ストッキング付)は、モーリス・ベジャール振り付け、シルヴィ・ギエムダンスの「ボレロ」より楽しめたし、またあるダンス(ふんどし付)は、マティスの「ダンス」の再解釈を促すものであった。他にも書きたいことがたくさん。これはなるべく早く感想をまとめねば。

今泊まっている浅草のど真ん中にあるホテルは素晴らしい。ダブルベッドシングルユース、朝食はルームサービスで、インターネット使い放題、チェックアウトは13時まで。宿泊料金1万円以下。ただ、椅子がよろしくないから、腰痛持ちの人には薦めない(でも文句を言うと罰があたりそうだ)。早起きして、原稿に集中して取り掛かろう。そのあとマチネをひとつ観て、奈良に帰る予定である。

ダンスの興奮をひとまず冷まして、原稿頭に切り替えよう。
3月10日(土)

・ダブルチーズバーガーセット・イン・マクドナルド

午前中粛々と原稿に取り組み(えらい!)、午後、アトリエ春風舎で多田淳之介さんの東京デスロックアトリエ公演を観た。浅草から小竹向原まで思ったより時間がかかって焦ってしまった。東京は広いんだな。

試みたことを順を追ってしゃべっていくという、誠実な学会発表を聞かされているような作品だった。私はそういう発表をする人はもちろん好きで、発表データにも信頼を置いているのだが、良くも悪くも、もっと打ちのめされるようなインパクトを常に求めてしまっている。公演を観ながら、育ちがよすぎるんだよ、もっと大暴れしておくれよと何度思ったことか。頭の中は、山口百恵の『プレイバック part2』が鳴り響いていた。

不良に憧れる甘えん坊将軍ごときの私に坊や扱いされるのはむかつくだろう。というか、むかついてもらわないと困る。私にこんな偉そうな言動をとらせるな。どうか頼みます。誰にも媚びずに屹立した作品を作っていってほしい。多田さんの作品、次回も見に行きたい。

夕食にマクドナルドを選んだんだぜ。どれくらい私が不良に憧れているか分かるだろう。

■追記
備忘録。締め切りたくさん抱えた東京出張のときに使いたいホテル(つまり、仕事がはかどったラッキーホテルね)。いずれもネット利用可。

(1)浅草セントラルホテル:ゆったりダブルステイプラン(詳しくはここ
 チェックアウト13時が助かる。朝食ルームサービスで、安いのも助かる。「食通街」に面しており、食べ物には困らない。気分転換に浅草の町を散策したのち、ホテルにこもって原稿書き書き。浅草の町はやたら面白かった。今後、常宿にしたいほど。ただし週末限定プランのようだ。

(2)高輪プリンスホテル:レディースプランOne day Princess・
  禁煙ガーデンビューダブル(詳しくは、ここ
 分不相応だったが(受験シーズンでたまたまここしか空いてなかった)、十分楽しんだ。朝食はいろいろと選べて、ルームサービスにしてもらえる。とてもおいしかった。そのほか24時間ルームサービスも助かる。泡のお風呂に入れるのも贅沢。その分お高い。品川なので、ホテルの外を散歩する気が起こらない。囚われのプリンセスね。その代わり、仕事はかどるはかどる。気分はもう売れっ子作家。
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3月11日(日)
・ごはん
・あさりの味噌汁
・刺身盛り合わせ
・ぶり大根
・ほうれん草の胡麻和え
・もやしの青じそドレッシングかけ

昼間、大津のびわ湖ホールで『ソウル市民・昭和望郷編』を見て、その足で岡山にゆういちろうを迎えにいった。アフタートークがあるとは思っておらず、新幹線の時間ぎりぎりとなりあせった。平田さんや俳優の方々に直接挨拶できなかったのは残念だったが、アフタートークではゲストに松田正隆さんを迎え、興味深い話が聞けたのでよかった。

上演中、夫は泣きむせっていた。そのほか後ろや隣の隣に気になる人(飴を何度も袋から出して口に入れる)がいて、私は全く落ち着かなかった。夫が今回一番泣いていたのは、朝鮮人の元書生(現エリート官僚)と篠崎家の次女が二人きりになるシーンだった。理由を聞いてみると、男の心理の哀しさ(人を好きになることの哀しさ)が表現されているからだそうだ。

夫いわく、朝鮮人元書生は、篠崎家次女のことが本当に好きなんだけど、だからこそ、自分の国を支配している他国の女を好きになることはどこかで民族としてのプライドが許さない、でも好きであることもプライドが許さないことも両方とも隠して、次女(残酷にモーションをかけてくる)に対して、仕事が忙しいからとか適当にごまかしている自分も不甲斐なく思っている。途中からその場面に乱入してくる女中たちにとって見れば、そんな複雑な心理を彼が持っているとは全然思っていなく、単に「女心を理解しないへたれ」としか見なしていない。三者三様のドラマが凝縮されていた。特に元書生の湯のみを揃えるしぐさにぐっと来て、泣いてしまったそうだ。

私はそんなこと全く考えてもなかった。私が鈍感なのかなあ(=次女のセリフでもある)。観劇って何が面白いかというと、隣にいても、全然違うことを考えているところだと思う。

実家での夕食は、魚づくし。晩酌に日本酒やワインも飲んだ。


3月12日(月)
・ごはん
・豚汁
・納豆
・おくらのしょうゆマヨネーズソースかけ

日曜は実家で一泊した。入院中の祖母を見舞いたかったので、今日は有給をとった。のんびり岡山から帰ってきた。近鉄の最寄駅に降り立つ直前までゆういちろうは完全に眠っていて、駅のホームにほとんどひきずりながら無理矢理おろしたら、「おかあさんのいじわる〜」と大泣きした。他の荷物もたくさんあるなか、一人電車のなかに残さなかっただけでもありがたく思えと、あっという間にいつもの喧嘩モードが戻ってきた。

『ソウル市民』関連の作品をみると、ついいろいろと祖父から昔話を聞きたくなる。今回分かったのは、曽祖父(かなり、ごんぞう)の学歴をめぐって家庭内詐称をしていたことだ。私はてっきり京都で大学に行っていたと思っていたが、実は。。。

地元の関西中学(現・関西高校。甲子園にもよく出るとこ)でやんちゃして退学処分を受ける。親の働きかけで、東京の錦城中学に編入する。慶應義塾内にあるその学校の前身は、三田英学校といい、島崎藤村も通っていたらしい。当事、地方で放校処分にあった者たちの受け入れ先にもなっていたそうだ。だが、そこでも退学処分を受ける。何をしでかしたかというと、浅草で遊び、陸軍大尉の軍服を闇ルートで手に入れ、それを着て学校に行き、本物の大尉が来たかとびびった先生たちに敬礼させたことが原因らしい。

何をしてるんだか。祖父も激しい軍人嫌いだが、その父親も相当嫌ってたんだな。その後、京都を浪曲謡となって遍歴していたそうだ。つまり大学には行っていない。実家が破産した後は、土方をしたり、書がうまかったので八幡様(八幡系の某神社)のお札を細々と書いて生計を立てていたそうだ。2度も退学処分を受けた人間の書いた札に、何かご利益とかあるのかなあ。アヤシい。

曽祖父にはひとつ感謝していることがある。それは、自分のうちの女中(私の曽祖母にあたる人)を正妻にし、祖父を私生児にしなかったことだ。曽祖父の父親が健在だった当事は、200軒ほど家を人に貸しており、方々に妾がいたそうだ。現代的感覚からすれば、曽祖父の父親の行為のほうが野獣のようにインモラルに思えるが、当事はそういうのは当たり前で、そういう風潮のなかでは、結婚を認めないなら家督を継がず家を出て行くぞと主張し、実際出て行った曽祖父のほうが変人扱いされる。

だから私は、「社会常識」や「正しいこと」を何も疑いもせず主張する人間が心の底から大嫌いである。科学だってそうでしょう?現代社会で正しいとされる行為も、後世の人間からはインモラルだと判定される可能性は多いにありうる。リベラルであろうと努める我が家だって、平田オリザさんに教えられるまでもなく、内なる差別はたくさんある。それを公にしていくのは痛くてしんどいので、まだ書けないだけだ。

それにしても、私、浅草の町が性にあっていると思ったのは、どこか血が騒いでいたからかもしれない。
3月13日(火)

・ごはん
・あさりの味噌汁
・ラフティ(沖縄の豚の角煮)
・かぼちゃとピーマンの煮物
・ほうれん草の白和え

実家から郵パックでラフティが届いた。それ以外は夫が作ってくれた。最近は和食が食べたくて仕方ない。

吾妻橋ダンスクロッシングの感想を演劇鑑賞のページに載せた。背景色とか文字色とかページのデザインをもっと変えたい。最近の気分は黒じゃないのよ。それに、もっと読みやすいように整理したい。べたっと書き連ねているので、自分でもいつどこに何を書いたか分からなくて困っている。開くのも、やたら重いし。この前向きな気分は、桜井さんからもらったな。それくらい今回の吾妻橋、よかったのである。
2日分まとめて更新

3月14日(水)
・鮭ときゅうりのサラダ寿司
・大根とねぎと豆腐の中華風コーンスープ
・茹でもやし、青じそドレッシングがけ

3月15日(木)
・ちゃんこ鍋
・卵雑炊

締め切りを2本かかえ、激しく忙しいので、何を食べたか忘れないうちに献立だけでもアップする。ちなみに我が家では、激しく忙しい状態のことを「げきいそ」、朝4時〜5時まで起きて仕事をするのを「半徹(はんてつ」(半けつではない)と呼んでいる。げきいそはつい外でも使ってしまって、怪訝な顔をされたことがあるので、うちのなかだけで使うようにしている。
3月16日(金)

・ごはん
・じゃがいもとたまねぎの味噌汁
・かれいの煮付け
・ひじきと大豆の五目煮
・卵黄入り納豆
・きゅうりとなすの漬け物

原稿2本とも無事提出した。2本とも英語だったので、業者のネイティブチェックを受けているあいだ、気が抜けたのか風邪の症状が出始めた。鼻水がとまらない。いつものことだが、原稿が佳境に入ると知恵熱を出したり、原稿終わり始めると風邪を引いたり、分かりやすく大騒ぎするからだをしている。根詰めていって、パタッと倒れるのだ。やだやだ。

で、いつもはトゥーマッチでしないけど、納豆に卵黄を混ぜて、ねっとりねばねばを食べた。栄養たっぷりで精がつきそうじゃないですか?風邪を吹き飛ばしたい。

ゆういちろうには、投稿前の最後のチェックをしているとき、「とにかく黙ってて!」と思わず大声で当たってしまった。ごめん。明日はたくさんいっしょに遊んで、埋め合わせしよう。明日は遊ぶぞお。

備忘録のため、今回とても世話になった英文作成関連のサイトを載せることにする。私は完全に初心者なので、英語論文に慣れている人にはさほど役立たない情報かもしれないが、学生さんとかこれから書いてみようかなという人には何かの参考になるかもしれない。

・辞書:アルク・英辞郎
・無料英語翻訳:EXCITE翻訳
・英文添削:クディラ関西
・APA format:丁寧に解説はここ

英文添削に関しては、今まで研究所の対面式のデスクサービス(クディラ関西)を受けていたが、去年からファンドの種類が変わって研究所割引がきかなくなったので、今回は自分でネット添削を申しこんだ。噂にはよく聞いていたが、やはりいくつかある添削業者のなかでクディラ関西は非常に迅速かつ的確かつ安価で、とてもお勧めである。朝一で頼めば(泣きつけば)、半日で仕上げてくれる。つまり1時過ぎには上がってきた。

数ある無料英語翻訳サイトのなかで、なぜEXCITE翻訳に頼ったかというと、ここで勧められていたから。放り込む日本語を、いかにも英語逐語訳っぽい日本語に書き直すなど、いろいろと小細工しないといけないが、こつさえつかめば効率よく事が進む。ポイントは、美文を求めず、つまり、英語で韻を踏みたいとか変な欲を絶対に持たずに、がちんこの論理で書くこと。あとは、英語ネイティブチェックのプロ(人間)がこちらの意図を汲み取り、みちがえるような美文にしてくれる。

添削後の文章のなかに、あまりに美文すぎて、こちらが一瞬読んだだけでは分からないものもあった。英語のとっても得意な日本人に聞いてみると、ちゃんときっちり通じるとのこと。日本人のきらいな「,which」を多用した英国風のちょっと気取った表現らしい。ここまでくれば、いったい主体的に書いたのが誰なのかが分からなくなってしまう。私が第一著者でいいのだろうか。面白いなあ。
2日分まとめて更新

3月17日(土)
・ごはん
・あさりの味噌汁
・鶏の酢照り焼き
・ひじきと大豆の五目煮(残り物)
・プチトマト

昼間は自転車にのったゆういちろうと公園をはしごして数時間過ごす。この辺は、いくつも公園があって助かる。暖かな日差しは強烈に差し込むが、風は強く冷たいという、この時期特有の天候だった。鼻水はだらだらと流れ出たが、花粉は以前ほど飛んでいなかった(はず)。

うちの前は、なだらかな丘陵を利用した広い運動公園で、野球場2面、テニスコート4面、スカッシュコーナーのほかに、お弁当ピクニックできるところや、子どもの遊具付きの広場3つが、土地の形状に合わせて点在している。駅前には、上水道施設が公園を運営していて、人工的に滝や小川を再現していて、子どもに人気の公園だ。ゆういちろうは、小川をジャンプして渡るお姉ちゃんたちをうらやましそうに眺めていた。自分にはまだできないことが初めからよく分かっていて、無謀に試したりはしない。かわいらしくそっと両足とも靴を水につけて小さな満足を得ていた。子どもは思慮がないというのは嘘で、ちゃんと知恵を持っている。無謀なことをしでかすのは、いつも大人のほうだ。

そんなこんなですっかり疲れ、夕方からいっしょに昼寝したら、7時半過ぎまで眠り込んでしまった。いそいで夫にご飯を作ってもらった。私はその助手をした。

あんなに昼寝したのに夜もぐっすり眠れた。ゆういちろうを寝かせつけ、そのあとこの日記をつけるつもりでいたのに、自分までいっしょに即夢の世界へ。。。

■追記
17日(土)の日記は、忘れないうちにと思い、日曜朝に書いたのだった。今になってわかったことを訂正せねばならない。「子どもは思慮がないというのは嘘で、ちゃんと知恵を持っている。無謀なことをしでかすのは、いつも大人のほうだ。」という箇所。今日(18日・日曜)の午後もゆういちろうにせがまれ駅前の公園に行ったが、目を放した隙に小川をジャンプし、両足ともずぶぬれに。しかも、本人のプライドが許さなかったのであろう、泣き濡れて始末に終えない状態になってしまった。思慮浅く、身の程知らずとはまさにこのこと。


3月18日(日)
・白ワイン
・スモークサーモン
・たまねぎと人参のコンソメスープ
・牡蠣のスパゲティ、ハーブ風味
・たらのムニエル
・マッシュルームとベビーリーフのサラダ

洋食が食べたくなった。今日はコンソメスープを時間をかけて作った。たまねぎをいつもよりじっくり炒めただけで、おいしいものができた。ゆういちろうもことのほか気に入ったみたいだ。全部一気に飲み干した。愛情をもって作ったら、料理は分かりやすく応えてくれるから安心する。

気分の赴くまま、サイトの微調整をおこなった。そのなかでも趣味のページはかなり更新したほうだ。今までの梅の写真をやめ、バイキンマンとアンパンマンの写真にした。言わないと誰からも気付かれないと思うので、野暮を承知で書くが、趣味のページの表看板「趣味」のロゴにも地道な手作業を施した。しかと見ていただきたい。

ゆういちろうはキャラクターのなかではバイキンマンが大好きだ。趣味のページに載せたバイキンマン(もどき)は、実家の父が退職を機に通い始めたパソコン教室で、はじめて描いた絵が素材となっている。孫を喜ばせたい一心で描いた絵だ。プリントアウトしたものを見せてもらったときは絶句した。個体発生は系統発生を繰り返すというが、ここまで「子どもの絵」になるとは。。。電子ファイルをちょうだいと言ったら、「???」の顔をされた。そこまでまだレッスンが進んでいないようだ。仕方なくプリントアウトした絵を私の携帯電話のカメラで撮った。ここではその映像が使われている。蛇足だが、実家の両親にこの日記を読まれるのはやたら照れるので、私は父のやる気をさりげなくそいだりして、実家のIT家計画を微妙に邪魔している。

2番目のアンパンマンの写真には、ゆういちろう(当事2歳)と私が映っている。2005年の夏、隣町にあるデパートの屋上で撮ったプリクラ写真が素材となっている。アンパンマンの乗り物で遊んでいたら、なんとゲームの最後にプリクラサービスまであるではないか。ということで、ぱちりと1枚撮られた写真である。

ゆういちろうは、写真撮影(プリクラ)という概念がなく、下のほうにあるアンパンマンの画面にずっと夢中だった。私はカメラ目線をしたつもりだが、間違った方向を向いていたみたいで、史上まれにみるアホ面になっている。でもなぜか、はからずも、向かって左側のアンパンマンと見事に左右対称になっていて、絵的には美しい写真である。さすがにほっぺのつやはアンパンマンにはかなわないが。

自分で言うのもなんだが、人のよさがものすごくよく面に表れている写真である。世の中には、女の研究者は怖いという固定概念があるようだ。現に、夫の知り合いの先生からは、「辻田先生の奥さんって笑うんですか?」と質問されたり、私はアマゾネス扱いされている。本サイトの趣味のページに、えもいわれぬかわいらしい写真を2枚も載せれば、その誤解は払拭されよう。
3月19日(月)

・まぐろの漬け丼
・なめこと豆腐の味噌汁
・じゃがいもと玉ねぎのサラダ

まぐろの漬け丼は我が家の定番だ。井上絵美さんのレシピを適当にアレンジして作っている。

(1)しょうゆ大さじ2、ごま油大さじ1、練りわさび大さじ1弱を混ぜ合わせる
(2)(1)にまぐろの切り落とし2パック分をいれ、味をなじませる
(3)少し冷ましたごはんに(2)を乗せ、刻んだ青じそ、白ゴマ、刻みのりなど、適宜トッピングする。

じゃがいもと玉ねぎのサラダは、『土井家の「一生もん」2品献立』を見ながら作った。パセリ半束も刻んだりレモン半個を絞ったりするのが面倒だったので、乾燥パセリとポッカレモンで代用した。今日で2回目だが、前回よりおいしくできた。これも定番になる予感大ありの一品だ。詳しくはその本を見ていただきたいが(とにかく丁寧にポイントが説明されている本なのだ)、ここでははしょって紹介する。

(1)じゃがいも3つは1.5センチの輪切り、玉ねぎ1つは8等分のくし切りにする
(2)鍋に(1)をいれ、ひたひたの水で蒸し煮っぽく茹でる
(3)以下の材料を混ぜ、ドレッシングを作る
    オリーブオイル 大さじ3
    ポッカレモン  大さじ2
    おろしにんにく 1かけ分
    乾燥パセリ   大目にどばっと
    しょうゆ     大さじ1/2
    塩        小さじ1/3
    こしょう     適量
(4)茹で上がった熱々の(2)を水気を切って(3)に投入、よく和える

先週の金曜に2つ無事論文投稿できた。今度は4月20日に論文一本仕上げればよいので(ただし長い)、大変だけど比較的余裕が出たかなと思っていたところ、今日になって別の学会からお知らせが届き、同じ日に論文締め切りがあることが判明した。この、「判明した」という書き方は誤解を招きやすいな。わたくしの心象風景のなかでは、確かに今日突如「判明した」のだが、手帳を見ると自分の字でちゃんと2つともメモしてある。なんでこんなに忘れっぽいのだろう。自分の都合のよいように記憶(心理学の専門用語では「展望記憶」「未来記憶」という)をねじまげるのだろう。 

でもって、そういうときに限って査読の依頼が入るのであった。学会事情に慣れていないことがばればれの対応を先方にしてしまったが(ごめんなさい)、やはり結局は引き受けないとまずい仕事だ。

つまり、非常にあせっている。ここに「あせっている」と書く暇があったら、仕事しろって感じなのだが、書かせてほしい。この1ヶ月の身の振り方をきっちり考え直さないと、発散する。きゃ〜。

ああ、あと、保育園の役員「秋のレクリエーション係」の書記の仕事もあったのだった。16日の締め切り日までは、なかったことにして無視していたが、そろそろ集会の議事録をまとめないと。当日は出席率が悪く、申し訳ないが欠席裁判みたいな形になったのだ。その場にいない人(で責任感のありそうな人)に会長さんをしてもらうことが決まり、それをうまく伝える文章を書かないといけないので、気が重いのだ。会長職が決まった人は律儀に委任状を提出しているので、後から文句を言うことは表向きはできない。だから、なおのこと気を遣ってしまう。(←そういうのが滅法苦手な夫は早々と私にバトンを投げた。)ま、クールに割り切るしかないんだろうな。とかくこの世は生きづらい。

■追記
金曜に法学者の先生から非常に実直で丁寧なメールをいただいた。私はものすごく感激している。心強い味方の出現だ。本日、感謝の気持ちを込めて、そのメールに返事を出した。この案件に関しては、ただただ何事もなく過ぎていってほしいと願っている。
3月20日(火)

・ごはん
ゆめさんのカゼ撃退鍋
・納豆
・きゅうりの漬け物

寒いときの定番の鍋。豚バラだけの脂で済ませようという魂胆。上で引用したカゼ撃退鍋のレシピに、我が家ではたいてい、しめじと豆腐と加え、たっぷりとおろし大根を添えてポン酢で食します。豚の臭みが少し残るときとそうでないときがあり、その原因を探りたいのだが、いまだに分からない。

仕事場では、もしや他に何か締め切りを忘れているものがないかと不安になり、もう一度手帳を見返すと、やっぱりありました。4月2日締め切りの役所提出用の書類、17年度研究進捗報告書が。昨日も手帳をチェックしたはずなのに、いったい何を見てたんだろう。記憶どころか、いまここの知覚の仕方そのものに問題がありそうだ。

そういえば、3月16日(金)でこの夕食日記2周年を迎えたのだった。すっかり忘れていた。ここを見ると、記念すべき冒頭の一文は、「本日、長引く風邪で体力消耗、体調かんばしくなく会社を休む。」となっている。やたら不機嫌な暗い書き出しだ。2年前の自分には会いたくないな。そのあいだ、いろんなことがあったな。それにしても、開設当初は全くやる気がなく、こんなに自分が毎日更新するほど夢中になるととは、夢にも思っていなかった。

この辻田家のホームページは夫が発起人となり、ページのネーミングをはじめ、だいたいの枠組みを作っていった。2年前の私は、その後ろからああしてこうしてと言うだけで自分の手は動かさなかった。ただ「みきのページ」に使う背景写真だけは強固にこれを使ってとお願いした。夫がチュニジアでの学会発表の際、遊びに行ったところで撮った写真で、私はなぜだか知らないがこれが大好きだったからだ。もちろん今でも好きだ。だからこの背景写真は今でも変えたくない。

昨日夫から、ここに写っているのはカルタゴの遺跡だと聞いた。ローマ人が焼き払い塩までまいた土地だというのに、カルタゴは再生復興したというのだ。2年前の私がそれを好むのは想像がつくのだけど、今でもそれを好むとは、不在の他者に向かって不屈系ファイティングスピリット爆裂ではないか。私はいったい何と(誰と?)戦っているのだろうか。自我としては、ほのぼの生きて行きたいと願っているのに。
3月21日(水)

・赤ワイン
・ごはん
・ねぎの中華スープ
・麻婆豆腐
・もやし炒め
・きゅうりの漬け物
・プチトマト

夫が手早く作ってくれた。今日はちゃんとオイスターソースの入った麻婆豆腐だった。でも、前回のオイスターソースを切らして、それの代用として使ったすき焼きの割り下じょうゆの味も捨てがたい。どっちもどっちで、おいしい。その日の好みで作り分けていこうということになった。

懸案だった保育園役員の仕事、「秋のレクリエーション役員便り(第1号通信)」をA41枚にまとめあげた。腹をくくって集中して取りかかれば、1時間半で済む話だったのだ。それなのに3週間近く、やりたくな〜いといってほっておいた。そっちのほうが精神衛生上よろしくなかったような気もしている。

そのほか、植物関連のことにも首をつっこんだ。植物日記に顛末をまとめた。

なんだか、春分の日ということで週の真ん中にぽっかり休んでしまったせいで、今日が土曜日のような気がして、明日も休みという気分なのだ。全国にどれくらいいるのだろうか、そういう気分になっている人の数は。(ちゃんと曜日感覚があるということは、サラリーマン研究者だってことだ。青年団の稽古場のフィールドワークに出かけていたときは、まったく曜日感覚がなくなってしまったものだが。。。)
3月22日(木)

・ごはん
・じゃがいもと玉ねぎの味噌汁(ごく薄味)
・かつおのごまみそ焼き
・きんぴらごぼう
・キムチ

かつおのごまみそ焼きの作り方は、オレンジページブックス『和食のシンプルレシピ』のなかに載っている。友達から薦められたこの本は、我が家でもとても活躍している。タイトルどおり、シンプルでおいしいレシピばかり。肩の凝らない料理ばかり。Sちゃん、おしえてくれてありがとう。

きんぴらごぼうのごぼうはチンジャオロース用の細切り水煮ごぼうをちゃっかりと利用した。うちの、簡単手抜き料理の一つだ。サラダ油で同量の人参(同じく細切り)とともに炒め、途中隠し味程度に薄口しょうゆをまわし入れ、最後に塩と粗引き黒こしょうで味を調えて出来上がり。薄味に努めることと、胡椒を効かせるのがポイントかな。以外とおいしいよ。

夫婦喧嘩のち晴れ。

夫から言われたのは、私は被害者意識が強いそうだ。男に虐げられているという被害妄想。それっていわゆる「レイプ神話」じゃないのって反論したら、ますます被害者意識強すぎる人になってしまうので、ぐっとこらえた。でも、こんなのは序の口。そこから益々お互いに嫌なところを掘り下げていった。で、結局互いの問題点がはっきりして一時的にでもすっきりして(問題点が分かった気になって)、不思議と腹立ちがすとんと治まるんだから、やっぱり夫婦喧嘩は小出しにしていったほうがよいと思う。

私が彼に何を言ったかは、怖すぎてここに書けない(ずるい?)。ごめん、言い過ぎたよ。
3月23日(金)

・ごはん
・かぼちゃのポタージュスープ
・サーロインステーキ、トマトソース
・ルコラとマッシュルームのサラダ

私は疲れると左目がプチお岩さん状態になる。前日から痛みがあったが、今日それがひどくなったので、大事をとって仕事を休んだ。職場でも家でもなんだか最近フル回転でまともに休んでなかったから、有給をとってのんびりした。現役生活を長持ちさせる秘訣のような気がする。

ここ1週間、人が目の前で殺されていく悪夢ばかり見て、気が滅入っていた。昨日の被害妄想といい、たいていの当たりはついている。ここ1週間、気持ちだけはやる気があっても、本職の仕事(アウトプット系)がなかなかうまくいかず、気分を入れ替えるために、インプットに努めようとしたわけだ。第一に、(坂口安吾的表現をすれば)バカになるために英語論文読みやヒアリングに取り掛かった。それだけに没頭すればよかったのだが、つい日本語も恋しくなり、内田春菊の創作論『作家は編集者と寝るべきか』と、たまたま本屋で目に入ったカフカの『断食芸人』を立て続けに読み、完全にシンクロ、すっかりかぶれてしまったのだ。カフカ33歳、日記のなかに小説が入り混じる不思議なノートをつけていたそうで、短編「田舎医者」などにぐっときてしまったのだ。

昨日の夫婦喧嘩で、やっと分かった。つまり私はあぶない状態に入ってしまっていたのだ。前日の献立の描写でも、たけのこの細切りをごぼうと間違えたり、完全に注意散漫だった。というわけで、今日は休養をとって「何か」をリセットした。

で、今日は、楽しいことを考えようと、旅行の計画を立てた。ゴールデンウィークの長崎旅行の飛行機を予約した。それと伊賀上野フリークとしては外せない福森雅武の『土楽食楽』を読んで、心の贅沢をした。レシピは詳しく書かれている。でも、『土楽食楽』の世界は、現地にいかねば絶対にありえない食の楽しみ方だ。私たちには実現はほど遠いだけに、かえって新鮮に感じる。やたら読者に親切な本が増えたが、そんなのはいらないのだ!!

で、勢いにまかせてステーキにしようと相成った、今晩の献立であった。
3月24日(土)

・日本酒
・ごはん
・若竹汁
・たけのこの佃煮
・マグロのレアステーキ、しょうゆバターわさびソース
・焼きなす
・焼きたらこ
・ちりめんじゃこ

酒をおともに、それぞれほんの少しずつつまむ感じの食卓にした。昨日読んだ福森雅武さん的贅沢が続いている。生の皮つきたけのこを手に入れ、NHK出版の『辰巳芳子の旬を味わう』を見ながら若竹汁とたけのこの佃煮を作った。佃煮といっても甘辛系ではなく、水と酒と少量の薄口しょうゆで煮含める、たけのこ自体の甘みが味わえる料理法だ。こりこりとした独特の食感は、いつもの水煮パックでは絶対に味わえない。

熊本産のたけのこだった。1本(ほんの上の部分)で980円の値がつく高級品だ。一年に一度の生たけのこショッピング。大切に大切に食べねば。若竹汁なんて、皮の甘皮部分を使うんだよ。辰巳先生いわく、「たけのこを語ればつきませんが、今回は一見ケチの最たるもの、見方を変えれば愛惜の行き着くところ」と語っている。

でもな、母の実家が熊本なんで昔話をさせてもらうと、たけのこなんて裏山にみんなで採りに行き、大人でも抱えきれない量をどさっと持って帰って、大なべでたくさんゆがいて食べていたものだ。春休みに熊本に行けないときは、ダンボール箱にぎっしりと詰まったたけのこが送られてきた。それくらい食べきれないくらいあったのだ。当たり前のものだったので、愛惜など感じたことはなかった。

どちらが幸せかは一概に言えない。ただひとついえるのは、昔にタイムスリップして、旬のたけのこをどっさり、もう見るのもいやというくらい味わいつくしたい! 手に入りにくくなって、初めてありがたみが分かった。ああ、なんでこんなに値段がつりあがったんだ。それとも、都会の人にとっては、今も昔も高級品だったの? 

明日は、残りの一番おいしい部分を、同本でも薦められている「羽二重のようなベシャメルソースと、アツアツのグラタン」にして食べる。チーズは使わず、シンプルに塩こしょうだけで味付けしたホワイトグラタン。なんだか自分で書いていて、お腹がすいてきた。思い切ってもう一本買いたくなってしまったではないか。
3月25日(日)

・あさりとトマトのスパゲティ
・ミネストローネ
・たけのこのグラタン
・カプレーゼ

夫がほとんど作ってくれた。トマトをたっぷり食べた。季節はずれだがトマトを欲している。欲しいときに手に入るのはやはりうれしい。

これまでごまかしごまかしやってきたが、ついに本日風邪の諸症状がオンパレードで襲ってきた。熱っぽくて、やたらだるい。書きたいことはたくさんあるが、睡眠のほうを優先する。おやすみなさい。明日、仕事できるのか。。。
3日分まとめて更新

3月26日(月)
・朝の残りのごはん
・前日の残りのミネストローネ
・非常食用冷やし中華、レトルトのラフティ添え

体調最悪で仕事を休んだ。脈略のない献立となった。しょうがない。

去年の今頃私のいた研究所(大研究所の下部組織のようなもの)が消滅してしまい、みなちりじりになってしまったのだが、この26日は、元同僚の就職先が決まり、関東に行ってしまうということで壮行会を開く大事な日だった。泣く泣くキャンセルした。

仕方なく、なぐさめを求めて、福森雅武さんの『土楽花楽−伊賀に花を活ける』を寝床で開いた。正月、春夏秋冬と季節を追って野の花が活けられている。こういうのいいなあ、今私に足りないのは野の花を活ける心だわとか思いながらページをめくっていった。枯れた蓮の葉が活けてある最後のページに次のようなことばがあった。

   なぜか、蓮の枯れ葉を見ると、
 澄ましたる心になり、自分の浅き心が
     しみじみと見えて来る。

最後にがつんとやられた気分になった。お澄ましのオピニオンリーダー気分でこの日記を書いていまいかと不安にもなった。でも、オピニオンリーダー気取りなのは、今も昔も変わってなかったと苦笑もした。私は、大学院の先輩たち相手にしょっちゅう世の中の不平等さをぷりぷり怒りながら演説をぶっていたのだ。先輩たちはときには困惑しながらもにこにこと穏やかに聞いてくれた。たくさん私の話を聞いてくれた先輩は3人とも亡くなってしまった。私は亡くなった親しい先輩たちに向けてしゃべるように、話し相手が欲しくてここに書いている。


3月27日(火)
・ごはん
・じゃがいもとたまねぎの味噌汁
・焼きぎょうざ
・コロッケ(惣菜)
・かぼちゃの煮物(惣菜)

仕事に行った。前日の壮行会の主賓である元同僚が訪ねてきてくれ、話し込んだ。うれしかった。就職が決まってとにかくめでたいね。夕食は、生協の惣菜を多用して乗り切った。


3月28日(水)
・豚キムチ鍋
・卵雑炊

仕事のペースがつかめてきた。病み上がりハイにならないよう気をつけつつ(あまり根つめすぎずに)、分析作業を続けよう。

以前勤めていた大学の元同僚から翻訳書、スラヴォイ・ジジェクによる『厄介な主体2』が届いた。ありがとう!! 夫婦で訳しており、後半部もようやく翻訳が終わったみたいである。おめでとう!! ここのとこのキーワードは、「元同僚」「ようやく」のようだ。

実を言うと、1冊目のほうもまだ読み終えていない(情けない)。2005年9月分の過去ログのなかの16日(金)の日記にもあるように、内容が難しいからだ。でも、『厄介なる主体2』のなかで訳者のひとりである鈴木俊弘さんがあとがきに代えて「「スロヴェニアの」ジジェク」という貴重な論考を残していて、それに感銘を受けた。お世辞でもなんでもなく、訳者あとがきに感銘を受けたのは初めてだ。普通は、作者ご本人へのファンレターか、どれだけご本人と親しいかの自慢話かになってしまうものだ。しかし、鈴木さんはそうしなかった。私は同世代で、ものを考えている人間に出会えて幸せである。またどちらかの家でホームパーティ(実質討論会ですよね?)したいなあ。鈴木さん、増田さん夫婦の感じる怒りは、専門の違う私にもこんなに素直に分かるんだから、よほど気が合うか、同時代的なものかどちらかだろう。

私は、やたら深刻ぶって世情を嘆きながら、そのくせ人のことなんてこれっぽっちも考えていない、自分がバカにする大衆が支持しているからこそ浮き名を流している、しかしそのことすら気付いていないお調子者の名前を目にするだけで異常に不機嫌になってしまう。だから、最近の本屋に行くのは勇気がいる。

「またジジェクね。彼もマンネリだからなあ。カルスタ、ポスコロってもう終わってない?」と知ったような口(ここに書いただけで恥ずかしくなる、けれどもよく耳にする口調)を絶対にきかないためにも、ジジェクをちゃんと読むぞという宣言も兼ねて、鈴木さんのことばをいくつか引用したい。ただし鈴木さんの解説によると、ジジェクには、スロヴェニア語で書かれたものも含めるとざっと1000以上もの著作があり、全部目を通すことなど不可能。。。

スラヴォイ・ジジェクが、「口を酸っぱくさせて」という表現がぴったりなほど、繰り返しわれわれに教え込もうとするレッスンのひとつに、「象徴世界の矛盾なき調和を維持するため、われわれは必ずや<もの>とのあいだに最小限度の距離を保持しておかなければならない」との真理がある。異質な<もの>に対峙したとき、われわれはそれとギリギリまで近接した地点で、現実を「否認」し、理想化したうえで、その幻想に盲目的に従属しようとしてしまうわけだ。たとえ自分がこれ以上は考えられぬほど悪しき境遇に直面していると嘆いてみても、実際のところはわれわれが直面しているのは、最悪と感じるゆとりが生じるくらいに程よく現実を否認し、理想化した世界であって、真に異形なる<現実>の領域は、さらに眼前の扉を開いた先に広がっているという―「さぁ、最悪の世界を想像したまえ……そんなものは天国だ」と。p.321

われわれ読者というジジェク評価の裁定者は、いったいどの程度の著作を受容できているのならば、彼をこのように切り下げ、あるいは「見切って」しまうとしても、妥当な評価として意味を持ちうるのであろう。そしてわれわれは、スラヴォイ・ジジェクによる著作の全体像をどのように想定したうえで、彼の研究を概観、ときには手放しで礼讃し、ときには不当に見下げ、挙句の果ては「ジジェクは何を述べて、何を述べていないのか」などと知ったような解説書を書きうるのだろう p.323  

ジジェクが現代の思想界と政治問題に寄与する役割がこれほど強いにもかかわらず、われわれはジジェクがスロヴェニアに生き、スロヴェニア語を母語とし、スロヴェニアで書くことがもっとも多い人間であることに気がつけなかったのはなぜであろうか―ジジェクがこれまで、信じられぬほど多くの著作を西欧諸語で刊行しつつも、まったく同時に、信じられぬペースでスロヴェニア語での執筆を続けていた事実について無関心でいたのはなぜであろうか。その疑問への回答は、さらに別の疑問を突きつけることによって得られるのかもしれない。「はたして、これまでジジェクにインタビューを求める人びとは、ジジェクが独特のアクセントを持った英語(や仏語や独語)を話すことに苦笑し、それを微笑ましいエピソードとして繰り返し紹介しつつも、決して彼にスロヴェニア語で語らせようとしなかったのは、なぜであろうか」と。 p.328

ジジェクは、スロヴェニア語以外の言語、とくに英語・仏語・独語にて発表するテクストのなかで、現在のスロヴェニア社会についてほとんど語らないばかりか、スロヴェニア語によって発表された自身の研究成果、業績、著作に直接言及したり、注釈を付してみたり、それらから引用したりすることは、まず絶対にない。それは、こんにちのカルチュラル・スタディーズやポスト植民地主義の最前列に布陣する論客たちの多くが、比較的幼いうちから伝統的な<西洋>の教育制度の枠組みのなかで高度に陶冶され、<西洋>社会のエリートとして立ち振る舞い、高度な<西洋>語を操りながら<西洋>型アカデミズムの再生産に重要な役割を果たし続けているにもかかわらず、つねにみずからの非<西洋>性に不必要なまでに正面から向かい合おうとし、<西洋>的な資本主義や<西洋>的な植民地主義の懐に切り込もうとする企図を、被植民地世界の絶望的なローカリティへの微視的研究と微分的言及を通じて体言しようとする―そのような研究アプローチが定着し、読者もその技法に親しんでいる時代に照らして、じつに興味深い特徴として浮かび上がることだろう。ふと立ち止まって考えてみて欲しい。われわれは、ここ何十年にもわたって、「語られぬ語り、テキストの表面に浮上しないテクストを、不在する存在として見出す」ことが何よりも重要であると、骨の髄にまで叩き込まれていたはずなのに、なぜジジェクがスロヴェニアについて語らぬことを素通りしてしまったのだろう、と。 p.329

(注:ここに、スロヴェニアにおけるジジェクの政治活動や生い立ちについての解説がなされる。必読。)

だからこそ、ジジェクの著作を評価するうえで決して見落としてはならないこと―それは、ジジェクのテクストから立ちのぼる政治的な異臭が、現実の政治に手を染めるならば誰もが肩まで浸からなければならない汚物の放つ臭いに他ならないという特徴である。繰り返すが、ジジェクにとって政治とは、膨大な筆致によって築き上げられた自理論の妥当性を証明する応用問題では決してなく、わが身の破滅を賭しても成し遂げるべき「現実の行為」であったのだ。ゆえに、絶えることなく次々と刷り上げられていくスロヴェニア語の論考は、スロヴェニアの社会運動がラカン派の理論に後押しされて躍進した一九八〇年代末においてはとりわけ、徹底的に政治的なものに奉仕するような、革命前夜の地下出版物と喩える方が適切な様相を呈するようになる(それはまったく同じ時期に<西側>の読者たちが、鮮やかな切り口で論じられていくジジェク流の映画・文化論に魅了され、彼をカルチュラル・スタディーズの新旗手と見なしていた態度とは、可笑しいまでに対照的であろう)。 p.335
3月29日(木)

・チキンカレーライス
・マッシュルームとベビーリーフのサラダ
・たけのこの佃煮

数日前に作ったたけのこの佃煮があまりに気に入ったのでもう一回作った。今度は、鹿児島産580円のもの。前回の熊本(980円)のより大きかったし、とくに大味というわけでもなかったし、食べ物の値段ってどうやって決められているんだろう。熊本は知る人ぞ知るブランドたけのこの産地なの? 京都産だったら、希少価値で高くなるのかな? お隣の奈良に住んでいながら、なぜ京都産のたけのこが生協で手に入らないんだろう? 小学生の課外学習のテーマにぴったりではないか。

仕事では、よい話が舞い込んだり、ひさびさに「書く」ほうではなく生データとじっくり向き合えたり、よいことが起こった。一方で、昨日日記に書いた友人夫婦に日記を書いたお知らせがてら、お礼のメールを書こうと、メールアドレスを調べようとひさびさに鈴木さんのブログを開いて、思いもかけない訃報を知るなど、悲しいことも起こった。

生物はいずれ死ぬときがやってくる。しかし、その事実は受け入れがたい。当たり前じゃないか。私はいつも植物になぐさめられている。植物日記を書いた。おやすみなさい、みなさん。
3月30日(金)

・昨日の残りのチキンカレーライス
・昨日の残りのたけのこの佃煮
・ゆで卵

前日の残り物で無難に済ませた。カレーは翌日がおいしいとよく言うが、ほんとうにそうだと思った。

夕食後、ゆういちろうとおしゃべりしていたら、一瞬目の前の子が「乳幼児」から「子ども」に変身したような気がして、眩暈のする気分に襲われた。意思疎通可能と確信した瞬間がやってきたのだ。昼間仕事場で、根気のいる作業をしている合間に、3度もここを開いて、大きくなったものだなあとほのぼの系息抜きをしていた。

つい先日3月を迎えたばかりと思っていたのに、もう今月も終わりだ。週明けは、新年度。ゆういちろうは「まあがれっと組」から「じゃっく組」に進級する。「ゆういちろうはな、今度じゃっくさんになるんやで、でぇ次はなぁ、ぽぱいさん。でぇ次は、学校。でぇ、次は小学校!」と微妙に間違いながらも、鼻を大きくふくらませながら、未来への期待を喜びいっぱい表現している。

産休(二人目)に入った同僚が、所用のため(異動の人に挨拶するなど)、研究所にやってきた。しばらく見ないうちにますますお腹が大きくなっていた。もう赤ちゃんはすでに2600グラムに達しているらしい。大きいと生まれた後は育てやすいが、産むのは大変だろう(ちなみにゆういちろうは3602グラムで生まれた)。お昼をいっしょに食べた。今現在、真昼間からひとりで元気にうろうろ遊びに出かけられる「最後のこの世の春」を謳歌しているとのこと。夕方、「よいお産を」といって別れた。
3月31日(土)

・ごはん
・しいたけの中華スープ
・チンジャオロース
・八宝菜風五宝菜
・青梗菜の塩炒め

夫婦合作。買い物の段階から夫主導で、私は助手役を勤めたのだが、意外と早くできた。三河内の大皿に3皿中華がどーんと並ぶと外食しているような贅沢な気分になれる。今日の発見は、たけのこの水煮パックでも、旬のときはしゃきしゃきとした歯ごたえが残ってとってもおいしいということだ。

何度もしつこくたけのこの話題をしてしまうが、本日の生協では熊本産980円の生たけのこだったので、早々にあきらめたのだったが、水煮パック138円に新たな発見があり、それはそれでよかった。やはり旬のものを食べるべきなのだ。たけのこはさすがに温室栽培できないだろう。

で、もうひとつ(あまりうれしくない)発見があった。青梗菜は大好きな野菜のひとつだが、ふつう根元の部分に土が入り込んでいて、それを落としきるのが割りと面倒なのであるが、今日生協で買った青梗菜にはほとんど土らしきものがついていなかった。青梗菜まで水耕栽培されているのか?それとも進化した青梗菜だったのか? 青梗菜の旬がいつか知らないのもよくないな。ネットで調べたら、「冬」とのことだった。

昼間は、通常の洗濯に加えてシーツ系の大物洗濯をしたり(ついでに布団を干したり)、鉢の植え替えをしたり、剪定をしたり、雑草取り、枯れ葉むしりをしたり、と庭にいることが多かった。車のフロントガラスを見ても分かることだが、確実に黄砂は飛んでいて、鼻や目がむずむずと反応した。でもやっぱり春の晴れた日の気持ちよさには代えられない。

どこから種が飛んできたのか、玄関先の砂利の下からスミレが顔をのぞかせ、可憐な花を咲かせていた。去年掘り起こしたチューリップの球根は裏庭軒下の砂利上に放ったままだったが、勝手に根を出し、チューリップのなかでは今年一番早く開花した。赤だった。背も低く小さいが、それがかえってかわいらしい。口紅水仙も本日開花した。春の修羅場が始まりつつある。

ゆういちろうもいろいろと庭仕事の手伝いをしてくれた。植物主義的男子になるか、機械系男子になるか、両親から趣味の押し付け合いをされてどうなることやら。